2011年、19歳だった私は大学のサークルの先輩たちに連れられて、初めて夏フェスに参加した。そのころから音楽は大好きで”洋楽”こそが最も優れた音楽であるという痛ましいコンプレックスを抱えながらThe Strokesを見に行ったSummer Sonic(以下、サマソニ)は、それ以来たびたび参加するようになる。特に2016年からは毎年参加し、時に友達と、また時には一人で参加し、かけがえのない音楽体験を重ねてきた。

2024年、コロナでの中止を除けば2016年から毎年通い続けたサマソニに行かなかった。開催直前まで行くつもりではあったが、諸事情あり行くことはできなかった。久しぶりのサマソニのない夏。2020年、2021年のサマソニがない年はみんなで我慢したけれど、今年は指をくわえてXのタイムラインを眺めるだけの夏。うらやましいような、そうでもないような、微妙な気分だ。

フェスに行かないと決めてから考えるのは、フェスはいったい何をもたらしてくれているのだろう、という疑問。フェスってなに、フェスってなんで楽しいの、という初歩的な疑問に立ち返ると、意外とフワっとした回答しか思い浮かばなかった。あるいはすごくロマンティックで、強いワードでフェス体験をまるで人生の道標かのような形容をもって表現する手法しか出てこない。でもなんだかそれも酷使しすぎたようにも思う。もっと身近で、もっと手軽な表現こそ、自分にしっくりくるのではないか、なんて考えている。

私は昔から、群れなきゃ寂しいのに、群れるのがダサいと思っていた。ダサいと思いつつ「不本意だけど群れてやるぜ」というスタンスで人と接していた思春期があり、今思えばそれが最もダサかった。部活動にはずっと所属していたし、いつものメンバーみたいなものも幸運ながらあった。そういうのがとても愛おしかった。大学でも真っ先にサークルに入って何かに所属したがった。それしか仲良くなれる方法がわからなかったから。

音楽にのめり込んだのは高校一年生のとき。クラスメイトから教えてもらった”ロック”にすっかり夢中になった私はいわゆるロックキッズだった。自分の部屋でthe BeatlesやNirvanaを聴いて「うおおお」と興奮していた子ではなく、RADWIMPSやらELLEGARDENやらマキシマムザホルモンを家で、帰り道で、学校で、単純に楽しんでいた。音楽の真髄なんてどうでも良かった。今聴いている音楽をただただ何度もリピートしたかっただけだった。

でもどうしてか、音楽では明確な居場所を見つけられなかった。今に至るまで、どのジャンルに精通したこともなく、どこかのジャンルに仲間入りできた感覚もない。

サマソニにはたくさんの人が集まっている。しかもみんなそれぞれ違う趣味嗜好を持っている。唯一共通しているのは”音楽が好きだ”ということだ。ロック好きもヒップホップ好きもクラブミュージック好きも特定の推しがいる人もみんな混じり合って場を共有し合っている。私はサマソニに「ここが生き甲斐だ」とか「ここが居場所だ」なんて言うつもりはない。むしろその逆で、サマソニは私が居場所を見つけなくてもいい場所だったと言える。居場所を見つけられない自分が居場所がないままでいられるのがサマソニ、フェスだと思っている。あられもない姿で泣いてみたり歓喜のまま踊っていたりだれにも興味が持てず日陰でくすぶっていても、そのままならない自分に焦ることなく今居たいところに居させてくれる。フェスの自由さはそこにこそ表れているような気がしている。

思えば私は、音楽とともに過ごしてきた時でも居場所に喜びや安堵を覚えたことはあまり記憶にない。中学生の時友達とORANGE RANGEの「花」を大合唱しながらダイエーの店内を走り回っていたことや、高校生の時に軽音部の友達らと映画「ソラニン」を観て帰り道に大盛り上がりしたこと、放課後に教室でRADWIMPSの「有心論」の「かみさま」は「かみ さよなら」と実は言っている説ではしゃぎたおしたこと、その断片的な思い出ばかりがある。そこには居場所というたいそれたものはなく、かといって孤独という独りよがりもなく、ただただそこにあったものだった。そこにあったから、ずっと一緒にいた。それが居場所だということもできるかもしれないが、もっとずっと一期一会の存在だった。帰るべき場所ではなく常に出会いの種だった。

フェスってなんだろうって改めて問い直してみる。実家のような安心感、という安易なフレーズは、フェスに行けばいつものメンバーと再会できるとかお馴染みのステージやエリアに”帰って来た”感覚になれるからとかではない。実家は自分を無条件に迎え入れてくれて、そしてなんでもない自分でいることが許されている。フェスも、盛り上がらなくていいし途中で帰ってもいい。自分がこの集団の一員であることを意識させてくれないのは単独ライブと異なる点だと思う。実家でただ黙って飯を食って面白いこと一ついわずにテレビに向かって「この政治家早くやめろよ」とか「このアイドルよく見たらブスだよな」というあられもない言葉を発することが許容されるのは自分が何者であることも求められていないから。

2022年までは明確にこれが見たいというアーティストがいたサマソニも一つの区切りを迎え、目的のない旅になった。サマソニ自体が存在意義となった時、それは居場所になってしまう気がした。居場所ととらえるには私には重すぎた。心がすっと離れていき、行きたい気持ちはあれど何かを犠牲にしたり労力をかけて時間を確保することにコストをかけられなくなった。思えば全部のイベントがそうなってしまった。そう思うと、誰かを観たいという原動力はとても原始的かつ効果的なモチベーションだったのかもしれない。私はフジロッカーにもサマソニ民にもなりたいと思わないしそれをリプレゼントしているとも思っていない。こんなブログを書いていたとしてもだ。

私は群れたくないんです、一人がいいんです、という独白ではない。むしろもう誰かといなきゃ自分では動けない。だけれど、所属するという感覚にもなじめない。みんながそれぞれいろいろな思いと熱量でやってきたものを、同じ形で表現できるわけもなく、誰かの後追いですらしんどい。

とかなんとかだらだらいいつつ、フェス最大の魅力はオーディエンスの一体感だったりする。そのいろいろなバックボーンを持った人たちが日常の網目をかいくぐってたどり着いたこの場で、群れるわけでもないのに全員が同じ方向を向く瞬間。あれがたまらなく好きだ。みんなで示し合わせてモッシュしたり同じダンスをしたりするより、互いに異なる動きをしていた振り子が偶然同じタイミングで降り始めるあの奇妙で必然的な瞬間を楽しみにしている。私がフェスに「ありがとう」というのは、このかけがえのない偶然の振り子の一致に立ち会わせてくれたことへの感謝だ。

来年はまた行きたい。何年後かにも行きたい。そのたびに初めましてみたいなそぶりでフラッと現れ、馴染みの人たちと再会し、またねと言ってまた別れていく。高校生の時、放課後の教室で自ら持ってきたギターをぽろぽろ弾いていたクラスメイトを思い出す。あそこで彼と出会い、音楽で交わり、そして何事もないかのように帰っていく。別に親しくもなく、かといって取り繕うこともない。彼は彼のままで、私は私のままだった。何者であるかを明示しないまま時間の波に消されてしまっては、こうやって文章に書き起こしつなぎとめる。サマソニも、そんな放課後のような空間でありたい。放課後の教室は居場所じゃない。でも確かに出入りはできて、好きなだけいられる。チャイムも無視できたし、巡回にきた先生の「早く帰れよ」はいなすことができた。自分に絡みつくしがらみとか期待から一切はぎとられたあの空間こそサマソニに感じた自由だった。だから今はそれを一緒に体現してくれる友達と一緒に行っている。

いつか自分の子どもが大きくなって、すこしずつ世界を感じ取れるようになったら、このままならない空間を味わわせてあげたい。これからどんな世の中の縮図に流され負けそうになっても、この世の中には何者でもない自分を受け入れてくれる場所があるということを。