レインボーフラッグをはためかせ

2019年、令和元年の紅白歌合戦はある意味とてもシンボリックなものになった。それは単なるメモリアルなセレモニーだったという意味ではなく、2020年代を生きる我々の指針を示唆するような内容だった。特に顕著だったのはラスト3組の演出だったように思う。

白組として出場した氷川きよしは立派なメイクアップで大舞台に立ち、ヘドバンをかましながら力強く、そして耽美に歌い上げた。2019年、”美しすぎる”といった薄汚れた大嫌いな枕詞と共に氷川は注目された。彼が生きたいように生きることができる社会が実現しているとは思えないが、少なくとも彼はそれがいばらの道であろうと選んだのだ。

赤と白で染まった着物で登場した氷川に対する世間の反応はいまだにイロモノ扱いだ。「オカマ」「オネエ」が平然と蔓延っていて疑う余地もない社会で致し方ないことだが、私たちはいったい誰に配慮して何に寛容であろうと努めているのだろう、と悲しくもなる。

そんな杞憂も吹き飛ばすほどの熱量で歌い上げる氷川きよし。ドラゴンボールの主題歌である「限界突破×サバイバー」は今までのジャンルを破壊するような激しいロックチューンで、いかに彼がいままであるべき姿に抑圧されていたかがうかがえる。もちろん過剰に彼の心境を慮ろうとして勝手に理解したつもりになるのは避けたいところだが、やはり共通の認識として、今の氷川きよしは素敵だ、は揺るがないはずだ。



その後に登場したのはMISIA。多様性が叫ばれる中でようやくその声に応えたのか、あるいはなすがままの演出だったのか、どちらにせよMISIAの演出は彼女が掲げる「人種も性別も国境も愛の力で越えていける」を端的に表したステージだったと言える。

私は少し間違ったことを言った。それを観たときの紅白とのダブスタに思い悩んだからだ。

MISIAに落ち度はないし、やはり自分がすこし卑屈な見方をしてしまったと思う。

彼女のステージを観れば一目瞭然であるが、まだなじみのない我々には困惑さえ生んでしまうようなキャスティングだった。突然煌びやかな恰好をしたガタイのいいダンサーが踊り始めて、「なんだなんだこれは!ショーパブか!!」と感じたかもしれない。なので一つずつ紐解いていく。(もちろん自分もネットで調べた物をまとめただけなので”教える”立場ではない)

レインボーフラッグの歴史

レインボーフラッグというものがある。MISIAのステージの後ろに掲げられていた虹色の旗の事だ。これは1978年、アメリカのサンフランシスコで誕生した。ギルバート・ベーカーという人物が発起人で当時ゲイのデモに参加していたときにその象徴となる旗の制作を任され、人間の多様性の意味をこめて虹色の旗を作ることを思いつく。サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレードにて初めて使用された。初めは8色で、一番上には性を表すピンクがあったのだが、技術的な問題で6色に変更された。

この旗を持って行って、「これを作ってください。ゲイのシンボルにしますから」ということでね。ところが、ピンクはあまり旗に使われる色ではなかった。大量生産のためには、8色から6色に減らすことを受け入れなければならなかったんです。今日に見られるようにね。

ゲイのデモ自体はもっと前から存在はしていた。60年代にはジュディ・ガーランドの死をきっかけに(彼女もまたゲイだった)ストーンウォール事件と呼ばれるLGBT達による警察との衝突が有名であるように、あらゆる差別的な抑圧やソドミー法という同性愛を禁止する法律に対して抵抗の姿勢を示していた。それが実を結ぶのは2015年(アメリカ全土で同性愛が認められた年)なので、そんなに簡単に世の中は動かないというシビアな現実もある。

あの旗は単なるシンボルではなく、その背景にいくつもの犠牲者が重なっていることを私たちは自覚しないといけない。上辺だけの会議室でテキトーに決めたよくあるうさんくさい団体のクソみたいな標語とは全く重みが違う。だれでも使ってもよいレインボーフラッグではあるが、それを知らずに安易に使うことは誤解を生みかねないだろう。

ドラァグクイーンとは

そんなレインボーフラッグの生みの親であるギルバート・ベーカー氏もそうだったというドラァグクイーンについても少し調べてみる。
MISIAの横で大きな体のきらびやかな衣装の人が踊っている、あれがドラァグクイーンと呼ばれる人たちだ。耳で聞くとドラッグクイーンにも聞こえて、昨今話題の覚せい剤を使用する女王様と勘違いする人もいるらしいが、そうではない。

「これが最後かも知れない」。たった一度のショーにその先の人生を賭けてでも演じてきた男たちがいる。大げさな化粧、きらびやかなドレスを身に纏い、危ういほどのピンヒールを履きこなして踊ってみせる。“彼ら”はドラァグクイーン。1970年代より、屈強の時代を越え確立されたエンターテイメントだ。

ゲイカルチャーの中の一つとして誕生したこの文化は、さかのぼる事100年前。”男性が求める女性”をパロディ化してド派手なメイクと衣装で踊ったりパフォ―マンしたりする人たちをドラァグクイーンという。ドラァグとは引きずるという意味の英語で、長い衣装を引きずって歩く様からそう呼ばれるようになったそうだ。

日本ではミッツマングローブやナジャ・グランディーバが有名なので、それをイメージしてもらえればよい。ただ、全てのドラァグクイーンが女装家であり女性であると思っているわけではない、むしろそれとこれは別でる。多分ナジャやミッツを世間のほとんどは”おかま”あるいは”女装家”と思っているだろうが、単にそれだけで片付かないからドラァグクイーンなんて言葉があるわけで。そこに言葉があるのは違いが存在するからだ。そこをわきまえて、少し掘り下げてみたい(ちなみにナジャはミッツのことをテレビでドラァグを避けた人間として非難している、ネタかガチかは不明だがあの喋り方は多少リアルなんだろうと思われる)。

ドラァグクイーンの多くは性自認を男として認めていて、トランスジェンダーである事とは少し異なる。

「ドラァグは歴史のなかで築き上げられ、文明のなかで私たちが押し付けられてきた”ノーム”に対する解毒剤のようなもの——社会が強要してきたジェンダーの二分化を浮き彫りにする、クィア・アート」と、バーミンガムを拠点に活動するドラァグアーティスト、チャイナ・デスクラッシュ(China Dethcrash)は説明する。

1920年代、「蝶々夫人」を模したことから始まったドラァグ文化。ジーン・マリンというアメリカの俳優がドラァグとして活動して、ゲイを初めて自称した人物だそうだ。40年代に入るとフランシス・ルノーが大きな注目を集め、その後のドラァグ文化の貢献に大きく寄与している。80年代にはデヴィッド・ボウイも、ドラァグ文化、あるいは男性によるメイクアップのパイオニア的存在としてそのカリスマ性は後世に語り継がれている。もちろん亡くなった今も絶大な人気を誇るミュージシャンの一人だ。

ルポールは90年代に活躍し、今でも世界でもっとも有名なドラァグクイーンのひとり。ドラァグクイーンの認知を高めることに成功した偉大なる人物である。

こうして100年近くかけてその存在感を強め、市民権を得るまでにいたった。

日本では90年代にゲイ・ナイトやミックス・パーティといったクラブカルチャーから始まった。DIAMOND ARE FOREVERというイベントやYUKI INTERNATIONALというイベント会社が興すイベントでその活躍の場を担保していた。ダイアナ・エクストラバガンザやナジャ・グランディーヴァ、マツコ・デラックス、ミッツマングローブらがここから台頭していった。

2000年代に入ると次第にそういった専門的なイベントだけでなく、ごく一般的なクラブにも彼らは登場するようになった。まだ当時メディアには”オカマ”と呼ばれる人たちしかいなかった頃の事だ。ここからはもう皆さんご存じだろうが、00年代後半にははるな愛、GENKING、KABA.ちゃん、といった人たちが登場する。ここをざっくりまとめるのは避けたいが、トランスジェンダーの人や、女装家、ホモセクシュアルの人など、そのルーツや意思はさまざまであり、それを一概に括ることが、ようやくここ数年で憚られるようになってきた。

この2年ほどでLGBTなんて言葉もちらほらとテレビで聞かれるようになり、個人的な観測でも、LGBTの言葉がすんなりと滞りなく伝わるようになったのもここ1年くらいだ。それまでは一度枕詞を置く必要があった。

それでもなおテレビ局が「LGBTが最近増えています」なんて頓珍漢なことを言ったり、ゲイを蔑むようなパロディを何の理解もなく演じてしまう大御所お笑いタレントと放送局があり、多様性と無関心をはき違える人たちが後を絶たなかったりと、なかなか難しい現状がある。

「女装をする男としか見ていないひとが多いけれど、実はジェンダーそのもの。ドラァグはジェンダーの投影なの。あらゆるジェンダー、あらゆる人種、あらゆるバックグラウンド、あらゆるスタイルの人々が集って、本当の姿をさらけ出す空間。何を表現するか、何になって表現するか——そこには限界なんてない。自分で描いた壮大な絵のなかに生きるようなものなのよ」

MISIAの取り組み

MISIAに話を戻す。
彼女はまさにそのための活動をずっと行ってきた。いまさら時代に乗っかって適当にやっているわけではない。私みたいな後ノリではなく、率先して活動をしてきた人物である。
「愛の力で乗り越える」は少々歯の浮くような標語ではあるが、その姿勢に嘘はないしゆるぎない信念がある。

去年の12月には「コカ・コーラ presents LIVE PRIDE 〜愛をつなぎ、社会を変える。〜」というイベントにも出演しているMISIAだが、その活動は2014年に、先述のレインボーフラッグと同じルーツのレインボーウィークに「HOPE & DREAMS」という曲を題していることからも明白だ。事実その年に彼女はSuperStar Awards(TSSA)にてカルチャー賞を受賞している。



LGBTQ+における世界と日本

氷川きよしが良くも悪くもこれだけ騒がれてある種おもちゃにされてしまうのは、いかに私たちがそのカルチャーに対して免疫(言い方が失礼かもしれない、すみません)がないかが分かる。

世界ではトップスターたちが次々とカミングアウト(この言葉自体も薄れつつあるが)し、去年の大ヒットナンバー「Old Town Road」を歌うLil Nas Xも同性愛をほのめかすコメントを残しているし、LGBT、さらにクィアを増やしたQに当てはまる人たちは枚挙にいとまがない。知人はそのことに「どうしてアメリカ人にはゲイが多いのだろう」と言ってのけたが、すごく日本人的な発想で逆に感心したほどだ。

映画だって、話題作の中には必ずと言っていいほどLGBTQ+がテーマになっている作品がある。そこは避けて通れないし、むしろ今までが避けていただけで自然にそうなってもおかしくないという事実はいまだに共通認識とまではいかない。日本でもようやくそれがモチーフになった作品が登場し始めて(おっさんずラブは少し違う系統ではあるが)、受け止められ方も変わりつつあるのかなと感じたりもする。

まとめ

あの時のステージが「新たな時代の幕開けだ」と捉えるのはいささか楽観的過ぎるが、ポジティブに捉えることはできる。
レインボーフラッグをはためかせ、ドラァグクイーンがゴージャスな装飾で踊り狂っているのが、テレ東の深夜でもNHKの朝の情報番組でもなく、視聴率30パーセントを超える年末の伝統的な歌番組のフィナーレであったことは、やはりそれなりの期待を抱いてしまう。まだそういったカルチャーに権を感を示す年配の人たちもたくさん見ていただろうなかで、あのパフォーマンスが一体どう受け止められているのか、その答えは仮にもオリンピックを開催する国としてのアティチュードとして示されるのだろう。

参考サイト
https://wired.jp/2015/06/29/rainbow-flag/
https://withnews.jp/article/f0150701001qq000000000000000G0010301qq000012186A
https://news.aol.jp/2016/11/06/dragqueen/
https://heapsmag.com/lgbt80-dragqueen
https://lgbt-life.com/topics/dragqueen
https://heapsmag.com/lgbt80-dragqueen/
https://cococolor.jp/1370
https://i-d.vice.com/jp/article/59gm4q/debunking-the-myths-of-drag
https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/series/a6140/bourbonne-vol14/