2014年ごろからブログをはじめて、ぽつぽつと書きだして早6年。一人に見てもらって喜んで、初めてコメント貰ってうれしくてスクショして、初めて的確な批判と指摘を受けて凹んで反省して、初めて心無いヤジや煽りを受けてはらわた煮えくりかえって、色々経験してきた。

始めたころは誰に読まれることもないだろうとあきらめていたし、始めるきっかけをくれた友達にだけ見てもらいフィードバックをもらえてれば幸せだった。

そのうち少しずつ読む人が増えてきて、「あれ?これもしかたら行けるんじゃね?」と思ってみた時期もあったけど、まあ今はこんな感じで小規模なブログを人知れずこそっとやる程度で、それはそれで幸せだったりする(ちょっと期待した時期もあったけどね)。

自分のスタイルをどうしようかと模索して、初期は自分が社会学を専攻していたこと、実際に音楽と社会学というテーマで教授と共に研究もしていたので、そういった内容のものが多かった。でも次第に書くことの難しさもそうだし、なにより書籍化しているプロの方のみならず、個人ブログレベルでもものすごい考察をしている人がゴロゴロいたりして、このジャンルはうかつに手を出すとむしろすごく陳腐になったり浅くて頓珍漢な考察になりかねないと思って、ちょっとずつシフトしていく。

「”すきじゃない”を文字にする」というコンセプトを決め、自分なりに、各アーティストの気になるポイント(=違和感)を一つずつじっくり観察していくスタイルを試していく。やっぱり愛のある記事が本当はバズるし、読む人のリアクションも確実に良いのだけれど、どうしても自分は苦手なことをちゃんと文字にしたい衝動にかられる。だから今までこのスタイルを維持してきたし、全くそれに後悔もなければ反省もない。よくやってると思う。決して独自性を出したいだけのためにやってるんじゃなくて、自分が生き生きと書けるのはここなんだと胸張っていえる(胸張る事ではないけど)。

ただ、先日、大好きなアーティストの津野米咲さんが亡くなり、どうしても考えることは多くなった。

自分が彼女に対してどれだけ特別な感情を抱いていたかを、おそらく全く伝えきれていなかった。むしろ私がここまでショックを受けていることで初めて「え、赤い公園好きだったの?」と言われる始末だ。

好きなアーティストを認知されていない音楽ブログやっている人って存在価値があるのだろうか。なんのために平日の仕事終わりに時間を割きセコセコとパソコンに向かって文字をうっているのかわからなくなる。

好きなアーティストを好きっていわないで音楽を愛していると言えるのか。それに何の意味があるのか。自問自答が続く。

赤い公園の最新作「THE PARK」は最初はあまり評価をしなかった。良いアルバムだとは思ったけど、傑作とは思っていなかった。でも、何度も聴くうちにどんどん好きになって、いつの間にか1日に1回は「ジャンキー」や「yumeutsutsu」「夜の公園」などを聴き、ずっぽりその作品にハマっていた。だけど一度もそれを公言することもなければ記事にすることもなかった。で、この顛末になり自分が好きだと伝えていなかったことに今更気付かされる。実にバカげていると思う。

これからもここは続けていきたいし、まだまだ音楽について観察していたいと思うけれど、自分のスタンスを考え直す一週間でもあった。人をくさして何がおもしろい、といわれればそれまでだけれど、そこに魅力を見出したのも確かに自分で。でも結局何がしたいかって、好きな音楽を共有したいのが大前提で、それが達成されずに「え、そんなに好きだったの?」みたいな言われ方をするのは、本末転倒だと思ってしまう。

もっと好きなものを好きって伝える機会を設けなきゃな、と強く思っている。