フロリダ・プロジェクトとは

いつだったかも忘れたけどツイッターでこの映画をべた褒めしている人も見かけて、そのフライヤーの美しさに一目ぼれして即保存していた。で、ある日曜日に暇だったので映画を見ることにした。そしてこの映画のことを思い出した。この「フロリダプロジェクト」か、「君の名前で僕を呼んで」かでさんざん悩んだ挙句、前者を選択した。

6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく———

結論、最高の映画だった。最高過ぎた。今年一番なのはもう確定として、人生でもベスト5更新したかもしれない。それくらいよかったしなにより余韻が凄い。絶対ブルーレイ手に入れる奴。美しすぎる。人生のベストムービーである「Mommy」にもテーマも内容も映像美も近しいものがあるけれど、それに匹敵するクオリティ。何が凄いかまず10個あげる。ネタバレは若干しているかも。もちろんストーリーには触れていないけど。でも読んだら絶対行くこと。TOHOではやっていないけど探せ。車で行け。絶対いけ。こういう社会メッセージのある映画こそ、でも暗くなり過ぎない映画こそ教養としても見ておくべき作品だ。触れておくとちょっとだけセンスあがったような気になるぞ。気になるだけだがな!!

 

1.子供視点と大人視点の使い分け

この映画は基本的に子供目線。だから大人になってからでは感じられない広さを感じられる。古くて汚いモーテルも廃墟も狭い部屋も大きく感じる。いろんなところが冒険になる。それが視覚的に面白い。一方で大人同士の話し合いになると大人の目線に戻る。急に現実感に引き戻される。そこもすごい。
子供の目線は単に世界が広く見えるだけではない。それはもっとリアルな視点でもある。例えば前半で出てくる食糧配給のスタッフや、後半の≪あの≫大人たちは、子供視点だと顔がフレームアウトしていてよく見えない。それは子供たちにとって親でも友達でも管理人でもない彼らの顔は重要でないことの表れでもある。そこに目線は移らない。そのリアリティこそがこの映画のシビアな部分でもあった。

2.ちょうどいいシビア感

シビア感はとにかくこの映画失われてはならない要素だ。仕事もなく香水を押し売りしたり売春したり。売春のシーンの描き方も非常に細やかで配慮していながら示唆的だった。生きていくのに必死なんだけど、怠惰な母親。怠惰な母親だけど子供を憎むシーンは一度もない。毎日が冒険の子供たちは仲の良い友達同士で遠出をして一つのアイスクリームを買って舐めあいっこする。廃墟ではしゃぐ。机のうえに乗って遊ぶ。腰を振って遊ぶ。プールで乳丸出しのばあさんを見に行く。唾を吐きかけ罵詈雑言を吐く。到底育ちはよくないのはあの母親のせいだしあの生活環境のせいだ。そこは妥協しない。それを是としない。唾を吐きかけられた相手のお母さんはブちぎれて掃除させるし、机に乗ったら管理人に怒られる。そしてなにより食べ物に苦しい。家賃に苦しい。毎日35ドル払うのは普通のアパートに住むより高くつく。負の連鎖がある。子供を育てられないリアルがある。後半の30分は苦しい。とにかく苦しい。最初の牧歌的で色彩鮮やかでかわいらしい無垢な子供たちのシーンは影をひそめる。その厳しい現実と向き合ってくれない社会への強烈なメッセージがある。だからこの映画は素晴らしい。

3.とにかくリアリティのある世界観とセリフ

リアリティは上の話に通ずる。この映画の背景はサブプライムローン問題の延長線上にあり、だから住む場所もなくモーテルで毎日暮らしている。フロリダというディズニーワールドに近い場所に位置しているが、ディズニーリゾートと間違えて主人公たちのモーテルに宿泊する羽目になった観光客はパニックになって怒鳴り声をあげつづけた。そんな場所。紫の外観で一見きれいだけれど実態はボロボロ。この違和感のあるモーテルこそがこの映画の真骨頂だと思う。そしてそれぞれのセリフはどれもリアル。教育の低さが現れているバッドワードの数々。マネする子供たち。でもそれで断罪しようとしないのがこの映画。そこをチャーミーに描く。決してバカにしていない。愛くるしく丁寧に描いている。これでもかというくらいに細かく彼らの心情を描いている。ころころ心が変わる子供たちだけれど、変わらない一点を描き続けている。

4.食べ物がひたすらおいしそう

主人公のムーニーの食事シーンは多い。そしてその食事シーンが最高にうまそうなのだ。ジブリもよくおいしそうとかいうけれど、そんなレベルじゃない。遥かに旨そうなのだ。アイスクリームもジャムを付けた食パンも全部おいしそう。かなり後半に一気にいろんなものを食べつくすシーンがあるが、それは必見。もう可愛すぎるしおいしそうすぎる。事実わたしは映画を観終わった後、質の悪いピザが食べたくなって晩御飯は安いピザとコーラでした(この辺は海外経験とダブったのもある)。

5.子供たちのセリフが凄い

子供たちはひたすら遊ぶ。遊びながら学ぶ。それをセリフに起こしているのは果たして誰なんだろう。まるで本当にアドリブでやっているような、まさか大人がこんな突拍子もない会話を部屋に引きこもり書くことができるのだろうか。ちょっと怪しんでしまう。それくらい自然な台詞。大人と子供の会話は想像できても、子供同士の遊びの上の会話は大人が想像できるものではない。みごとなシナリオだった。

6.雨の降らないフロリダの雨

フロリダは夏は乾燥する。雨は降らない。だからこの映画でも雨の描写は一度だけだ。そしてその雨は非常に示唆的な場面で差し込まれる。ここしかないというタイミングで。雨の前後では映画の質が違う。ぜひ雨のシーンに注目してほしい。

7.最後のBGMと撮り方

この映画の賛否は最後にある。え!!これでおわり!!!と言いたくなる。絶対。でも意図的なんだろうと感じる。人生は2時間で終わらない。このまま彼女たちの人生は続いていくんだ。というある意味強引な終わらせ方。ちょっと踏み込んで書きすぎたのでここまでにしておく。

8.最後の意味

最後の意味はなんなのだろう。理想?想像?現実?虚構?夢の国の近くに住む夢のない絶望的な暮らしの子供たちに突きつけるラストは深く考えさせられる。

9.親と子の100パーセントの愛とボビーの人柄

これだけ怠惰な母親で教育もままならないのに、子供を一秒も憎まない。珍しい映画だと思う。子供の言うことは信じる。もちろん余計なことして叱るシーンはあっても憎むシーンはない。100パーセント愛している。娘のムーニーも100パーセントお母さんを愛している。一ミリありともお母さんを、この境遇を憎まない。それが素敵すぎた。それがこの映画の救いだった。映像美と親子の純朴な愛がこの映画を燦然と照らし続けていた。
一方もはやボビーの映画じゃないかと言いたいくらいにボビーが素晴らしい。いつまでも居続ける彼女たちをうっとおしく思い、トラブルばかり起こす子供にきつくしかるボビー。でも変質者がいたら堂々と追い返すし、言葉はきつくてもどこか守ってやりたい気持ちが透けて見える。その心優しさがグッとくる。でもその心優しさが映画の進行上に影響することはない。普通ならここでボビーがなんとか助けてやろうと働きかけるのだがそうはしない。ずっとしない。最後の最後まで、所在なさげにラストシーンを我々観客と同じように見つめるだけ。タバコを吸って変なセリフをいっちゃって、遠くを見つめる。どうしようもないくらいに愛おしいのは子供たちだけじゃなくボビーもだ。ああなんて温かいんだ。全然温かいセリフもないのに。何もしないしむしろ追い出すのに。でもけっして意地悪はしないし交渉にもかけあってくれるし、罵詈雑言を浴びせたりしないし言い分は聞くし、物凄くフェア。ものすごく真摯。ボビーを演じたウィリアムデフォーにあっぱれ。

10.シンプルにお母さんのタトゥーが好み!!

結論ここ。母親役のBria Vinaiteが個人的に好み。タイプの顔。インスタで監督が発掘したらしい。すごい。そしてタトゥーが全部好き。数も場所も絵も全部好き。タトゥー好きは3年ほど前からだけどもうピーク来た。これはやばい。インスタグラムは観終わったら即フォローしよう。彼女と娘役のBrooklynn Princeのツーショットもあがっている。

まとめ

以上である。ここには挙げなかったけど、とにかく映像が綺麗。色彩豊かでもううっとりする。センスの良い映画とはこのことだ。くそつまんねえ大したこだわりもなく雰囲気で無音でクソ映画を流しているオシャレバーは反省してこれを流してほしい。お気に入りは、予告シーンでもある管理人のボビーが夏の日暮れにタバコを付けたら同時にモーテルの電灯が点くところ。最高。最高すぎる。愛おしい。めっちゃ好きな女の子に出会った時と同じ感覚。愛おしすぎて思い出して胸が痛くなる。そしてじたばたする。この好きだって気持ち伝えたい!けど伝えても伝わらない!!この感覚。多分今月いっぱいは続く。いつまでかはわからないけれど。
奇しくも「万引き家族」と時期が重なり、日本とアメリカの両方の貧困家族を取りあげた作品が同時上映されている。先日、児童虐待で亡くなった女の子のニュースもあった。そうした時に「ひどい」「かわいそう」「残虐」「社会が包摂できなかったのはなぜか」と議題が持ち上がる。でももっともっと大事なのは今現実に進行形としてアンビジブルな同じ境遇の子供たちがいるという事を意識することだ。ムーニーのような子供たちがたくさんいることを。そしてそれを安易に決めつけないことも。苦しい暮らしかもしれない。子供の教育上よくないかもしれない。でも私はムーニーをあのモーテルから追い出し母親から引きはがそうなんて思わない。もっと違う策を取りたい。ラストのシーンで思わず泣いてしまった私はそう思う。ムーニーが一番幸せな形をとらせたい。大人の考える幸せとうまくあわせて。そんなことを感じる映画だった。

だめだ予告編でまた泣いた。。