ずっと「は?」が続く。全くもって不自然さがないスクリーン内に困惑し、自分がおかしいのかと疑い始める。そしてそれは最後の最後まで続く。たまに正気に戻されてまた「は?」が続く。

この映画を正しくネタバレなしに解説することは困難だろう。ただ私もそうだったように、多くの人が抱いていたイメージとは異なる英語だったと感じるはずだ。それはミッドサマーやヘレディタリーを世に放ったA24制作の映画ということ、まるで聖母マリアが子イエスを抱く宗教画のような趣きで羊を抱く主人公の禍々しさがそう思わさせる。そして、淡くもその予想は外れてしまう。聖書からの出典かと思いきやギリシャ神話から引き出してきている。そこでもう裏切られている。

アイスランドの田舎で暮らす羊飼いの夫婦が、羊から産まれた羊ではない何かを育て、やがて破滅へと導かれていく様を描いたスリラー。「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」などの特殊効果を担当したバルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは2人を破滅へと導いていく。「プロメテウス」「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスが主人公マリアを演じ、製作総指揮も務めた。アイスランドの作家・詩人として知られ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の歌劇脚本を手がけたショーンがヨハンソンとともに共同脚本を担当。

映画.comより

冒頭の霧の中狼狽する馬、羊小屋の羊たちは一斉に何かをじっと見始める。クリスマスの吹雪く夜。空いた扉の先には何もいない。

あまりに夫婦が自然で平和的である。こういう狂った映画は主人公たちが何かしら狂ってることが多く、発狂するとかヒステリックだとか盲信的とかトラウマがあるとか。確かに彼ら夫婦にはトラウマはある(ネタバレになるので内容は伏せる)が、それはあくまで一般的な(一般的ではないが)トラウマの一つであり、狂気じみたものはない。何かがおかしいのだと悟る前半。第一章の終わりにサラッと映るその我が子同然に扱う羊の正体に絶句する。絶句していいはずなのに、夫婦が自然すぎる。途中で夫の弟が転がり込んできて、「おいなんだこれ」と激しく動揺するのだが、そこでようやく自分達が正常であることを確認する。だよね、そうだよね、と。しかしそれも束の間、いつのまにか弟も取り込まれ、自然の一部と化す。もはやこの農村が、アイスランドの山峡に位置する農夫婦たちがスタンダードなんだと言われているかのように。

この映画はいわゆるホラーではない。一般的な恐ろしさやヒリヒリするシーンは少ない。そしてセリフは著しく少ないが、難解な映画ではない。私程度の読解力の持ち主でもちゃんと見ていればセリフがなくてもちゃんとわかる。だから、冒頭の「は?」は話についていけないからではない。話を理解し意味を理解しているのに不条理すぎて困惑するのだ。それこそがこの映画の醍醐味である。

制作指揮をとるのは主演を務めたノオミ・ラパス。監督はローグワンで特殊効果を担当したバルディミール・ヨハンソン。長編デビュー作ではあるがここまで大衆ウケしないものをよく作ったなと。羊の出産シーンも余すことなく撮り、雄大なアイスランドの牧草地帯をこれでもかと美しく撮影している。アイスランドの美しい山岳だから綺麗な映像なのではない。完全にあの景色を撮る術を熟知している、あまりに完璧で美しい画角の数々。扉から覗き込む山々、霧の先に見えるわずかな草木。羊たちの目線に合わせた撮影。我が子のように愛する羊のアダのフォルムは気持ち悪さにギリギリ到達しない可愛さがあり、鑑賞後はすっかりアダに虜だ。公式グッズもあるみたいでTシャツは引くくらい可愛いのだが全て売り切れ。メルカリで探しても1万円前後で売られていて同じ考えなのかとがっかりした。

舞台はアイスランドなのでミッドサマーのような白夜が続く、明るいホラーだ。そしてテーマ自体は昔みた「オテサーネク」にも似ていて、でもオテサーネクよりは本人たちの異常性は少ない。いや、これを異常性が少ないと言い切ってしまう自分ももうまともじゃなくなってるのかもしれない。