突如発表された安室奈美恵の引退報道は大きな話題となった。多くのファンが悲しみ、そして多くの女性が涙を流した。イモトアヤコを筆頭に。

安室は常に女性の理想像として君臨してきた。ある意味で西野カナとは対極に位置する「かっこいい女性」の代表格だった。スタイリッシュで多くを語らず音楽とダンスだけで全てを表現してきたのだから。そこに彼女を応援する女性の多さの理由がうかがえる。

安室は決して恋ダンは踊らないし、間接キッスしてみ?とは尋ねてこない。常にどっしりと構え、プライベートに言及することもなく、男に媚びることもない。そういえばCMでまるで視聴者が当時者かのような演者がこちらに語り掛けるスタイルは石原さとみが火付け役なのだろうか。いまでは常套手段となり、「いやいやそんなたくさん彼女いねえよおれ」と思わずのけぞってしまうくらい、こぞって美人はこちらに語り掛ける。

しかし安室は語り掛けない。こちらがどうですかと尋ねるでもない限り彼女は無言で音楽活動を続ける。プライベートは決して順風満帆ではなかった。離婚を経験し、女手一つで息子を育ててきた。社会制度ではこのシングルマザーは保護の対象なのだが、回想となると美談に変わりたくましさの象徴へと変わる。誰もなりたくないはずなのになぜか一定の憧れがある。眼鏡をかけている人がカッコいいと思って目が悪くなりたいと願っていた少年時代を想起させる。子供たちの気持ちは置いてけぼりで、自らのライフスタイルや精神性の確立のみを念頭にシングルマザーの「たくましさ」の称号を得たいと考える。安室がどんな考えだったかは知らない。しかし少なくともそれを利用して参議院議員にまでのしあがりロクに勉強もせず仕事もできないまま不倫だけして世間から袋叩きにあった同じスクールに通っていた元アイドルはいる。

また、実の母親が殺害されるという痛ましい事件もあった。彼女はそれを全て乗り越えてきた。乗り越えてきた人間の歌は強い。乗り越えたと勝手に宣言するのは好ましくないが、おそらくそうしてきたのだろう。

 

女性は力強い女性に憧れる。苦難が多ければ多いほど美談は膨れ上がり、勝手にシンデレラストーリーを作り上げる。いつのまにか乗り越えた設定をつけ、涙も見せないたくましい理想像をマスコミはねつ造する。乗り越えるも何も、その苦難を与えたのは過剰に報道するマスコミそのものなのだから亀田の父親もびっくりのスパルタ教育だ。自分たちの行為を正当化するために「ほら、彼女は立ち直った、すごいでしょ、僕らマスコミの報道にも耐えた。これで彼女は成長した、僕らを糧にしてね(にっこり)」とどや顔なんだからタチが悪いにもほどがある。

 

そういえばこの引退報道に対して元旦那の丸山正温さんや元プロデューサーの小室哲哉さんはなんとコメントしたのだろう。丸山さんのコメントは見つけられなかったが、小室哲哉は自身のTwitterでこう語っている。

自身の代表曲のほとんどがこの小室哲哉の作曲した楽曲だというのだから安室も彼に足を向けて寝ることはできない。そんな歌手人生の親と言ってもいい存在から「奇跡」と形容されるくらい、彼女は当然の存在ではいられなくなった。母の死も離婚も子育ても乗り越える前提でストーリーが作られていくのに、その通りにすすめば「奇跡」らしい。彼女の努力とはなんだったのだろうか。「そりゃあれだけ頑張ったんだもんね、当然だよ」と声をかけてくれるひとはいない。たくましさが先に築き上げられ”奇跡”の大復活を遂げた彼女のラストイヤーはやはり加熱する報道の中をするりするり、とかわして女性たちの望む姿のまま表舞台から消えていくのだろうか。最後くらい人間臭い彼女もみてみたい。女性たちの無駄な理想像に付き合わされることなく、思いのままに。と思うのも私のエゴでありマスコミとそう大差ないのかもしれないが。