アイドルなのに楽曲がいい!という評価が定番化してきたのはここ10年以内の話だ。

中田ヤスタカが音楽プロデュースしたPerfume(2002年デビュー、中田ヤスタカのプロデュースは2006年のセカンドシングル「コンピューターシティ」から)や、きゃりーぱみゅぱみゅ(2011年デビュー)はまさにそうした楽曲自体の評価によって今の地位を築いてきたアーティストだ。アイドルとは思えない複雑な構成の楽曲や、思わず踊ってしまいたくなる病みつきな楽曲を多く提供してきた中田ヤスタカは、間違いなくアイドルの形を変えた一人であると言える。
他にもヒャダインを一躍有名にしたももいろクローバーZ(2008年デビュー、ヒャダインのプロデュースは2010年のメジャーデビューシングル「行くぜっ!怪盗少女」から)やでんぱ組.inc(2008年デビュー、彼の代名詞ともなる「W.W.D」は2013年発表)なども2010年代のアイドルシーンを大きく形作ったグループである。


そうした動きは時に、”楽曲派アイドル”という言葉で括られることがある。アイドルなのに楽曲がいい、という姿勢が今までアイドルを敬遠していた人たちを取り込む入り口になり、都合の良い免罪符にもなった。「おれはアイドルを聴くけど、楽曲が好きなだけだから、他のオタクとは違うから」といった肥大化する自意識を自ら慰め落ち着かせることのできる”楽曲派アイドル”は2010年代の音楽のトレンドになった。

「楽曲派」の拡大によって「アイドル」という言葉はポップミュージックをその外面で種類分けするための言葉ではなく、「その音楽をどう表現するか」のためのスタイルのひとつになった、ということなのかもしれません。

私立恵比寿中学やBiSなど、この流れで登場したアイドルはここで挙げるとキリがなく、本稿とは関係がないので省略するが、かくいう私も”楽曲派アイドル”を好んで聴く人間だった。もしかしたら、いや、もしかしなくても、多かれ少なかれ「アイドルの楽曲の良さ分かってる自分」に酔っていた部分もあったのだろう。もちろん、疑いようもなくアイドルが好きだったのは事実だ。

そんな2010年代のアイドル戦国時代とも称されるディケイドでジャニーズはどうだったのだろう。それは無関係とまでは言えないが、大きく受け止められ方が変わったとは思わない。一昨年からの急激なジャニーズ事務所のメディア露出に対する意識改革は目を張るものがあるが、ジャニーズの楽曲を見直そう、といった動きはあまり大きな波としてみられない。そもそもそんなことが必要ないくらいに巨大なマーケットを持っている事務所だという点はふまえておく。

ジャニーズグループの中で、とりわけ楽曲に対して積極的なアプローチを仕掛けていたのはSMAPだろうと思う。いわゆるプロの職業作曲家ではなく、ポップミュージシャンに曲を提供してもらう形はある意味とてもJPOP的だ。彼らの先輩にもあたる少年隊(85年デビュー)は筒美京平らに曲を提供してもらう職業作家全盛の時代だったが、その形を崩していったのはSMAPだったと個人的に思っている(間違っていたら指摘して下さい)。1997年の「セロリ」は山崎まさよしの楽曲提供(厳密にはカバー)で、翌98年には川村結花とスガシカオの作詞作曲によるものだ。彼らが当時まだ大きな成果を残していない時期だったとはいえ、ポップミュージシャンとして活動する人たちに楽曲提供をしてもらう形は彼らが解散するまで続いた。

2010年代に入ると、より時代にマッチした選出が増える。というよりは、よりSMAPの楽曲コンぺに多くのポップミュージシャンが提出するようになったのだろう。2010年リリースの「This is love」はLOVE PSYCHEDELICO、2015年の「華麗なる逆襲」は椎名林檎による楽曲提供がなされている。他にも、斉藤和義、前田啓介(レミオロメン)、山口一郎(サカナクション)、津野米咲(赤い公園)、尾崎世界観(クリープハイプ)、さかいゆう、和田唱(TRICERATOPS)、MIYAVI、川谷絵音(ゲスの極み乙女。etc)、ナオト・インティライミ、久保田利伸など幅広いアーティストがクレジットされている。ちなみに、上述した中田ヤスタカとヒャダイン(前山田健一名義)もSMAPにそれぞれ楽曲提供をしている。

とりわけ若手のロックバンドミュージシャンに提供の機会を設けているのは彼らならではのことで、例えば嵐は山下達郎と竹内まりやの夫婦から楽曲提供されることはあっても、若手のロックバンドからの積極的なフックアップはない。

SMAPが挑戦的だったのは楽曲だけでない。彼らの冠番組であり、代表的な番組でもあった「SMAP×SMAP(1996年~2016年)」では、番組最後に必ず歌のスタジオ収録があった。彼らのオリジナルソングを歌うこともあったが、その多くはゲストとのコラボだった。ゲストの持ち歌を歌うこともあれば、カバーソングを共に歌ったり、交互に自分たちの持ち歌を歌う形式も存在した。彼らが楽器を弾くことはなかったが(木村拓哉がギターを弾くことはあった)、そのメンツは実に豊かで、時には海外のアーティストを招聘してコラボをすることもあり、日本の洋楽ファンはスマスマは見逃せない番組の一つだった。例えばマイケルジャクソンとのコラボは今でも語り草として伝説になっているし、シンディーローパー、レディーガガ、テイラースウィフトと、どれも大物ばかりだ。

アイドルだけど音楽にちゃんとフォーカスしてもらえるような取り組みは、もちろんこの形だけを取らない。嵐の櫻井がラップへの挑戦を試みたり、TOKIOがバンドとして活動を絞っていくこともその一つだ。ただ、今回は文字数の都合上、テレビで音楽を届けることに熱を入れていたジャニーズにピントを合わせていくことにする。

SMAPのテレビでの豪華コラボとほぼ同軸で、KinKi Kidsの活動も忘れないようにしたい。
もちろん、現在堂本剛がソロで取り組んでいるENDRECHERIはファンクミュージックに着手し、ミュージシャンとしての深化を図っているのは有名だが、それ以前にもKinKi Kidsとしての音楽的な活動はみのがせない。
彼らの冠番組、「新堂本兄弟(2001年~2014年、2004年までは堂本兄弟)」でも、スマスマ同様、必ずセッションを披露する。その日のトークゲストをボーカルとして迎え、時にはカラオケのような軽い感じで、一方でゲストがミュージシャンの時は、本気のセッションを豪華なメンバーで披露する。その時のKinKi Kidsはあくまでもコーラスに徹することも多く、レギュラーだった槇原敬之や西川貴教はコーラスに移るなど、通常ではありえない構成が魅力的な番組だった(他にも浅倉大介や武田真治、高見沢俊彦など豪華な顔ぶれが揃っていた。また、えなりかずきなど時には音楽のイメージが薄い人も演奏に参加するなどユニークな点が多かった)。個人的に覚えているのはHALCALIで、彼女たちがあれ以上見かけることが無くなったのがさみしさでいっぱいだ。

SMAPとKinKi Kidsが2000年代に音楽番組を持ち続け、あらゆるミュージシャンとの接点を表だって作っていた系譜を、2010年代後半になって、関ジャニ∞が受け継ぐ形として「関ジャム 完全燃SHOW(2015年~)」が始まった。関ジャニ∞自身も楽器を演奏するスタイルに切り替え、ロックファンへの積極的なアプローチを試みている。その結果、2017年には、ロックフェス「TOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2017」に出演し、大きな話題を呼んだ(ジャニーズがロックフェスに出演したのはTOKIOのSUMMER SONICに続き2例目)。

「関ジャム 完全燃SHOW」でも、番組最後に関ジャニ∞がゲストたちとセッションを行う形がとられている。そしてそこから生まれたコラボが作品にも生かされていて、2017年リリースのアルバム「ジャム」はこの番組をきっかけに縁がつながったポップミュージシャンに楽曲提供を依頼して作られている。星野源(akira nise名義)や岡崎体育、レキシ(池田貴史名義)などといった顔ぶれは、とても2010年代の邦ロック的な印象を受けるし、そしてジャニーズと邦ロックという、本来相性の悪そうな二つの界隈を融解させたのは関ジャニ∞だった。

こうしたメディアにでないポップスやロックとメディア露出が第一優先のジャニーズという稀有なつながりを太くしてきたのはSMAPでありKinki Kidsであり、関ジャニ∞だった。それは2010年代の楽曲派アイドルの波に全く無縁だったとは思えない。

言葉を選ばずに言うなら、ジャニーズは音楽よりもメディア露出にコストをかけてきた。正直、ジャニーズからデビューが決まればある程度のファンベースは確立されることは約束されている。それは決して楽な道だとか、インチキとか、作られた人気とか、そんな意味で言っているのではない。むしろ2019年に放送されたsongsの嵐の回で、松本潤が「CD出せば1位獲るのが当たり前じゃないけど、出すからには1位狙ってっていう時になかなか1位獲れない時期もあったし」と苦労を語っていたように、相場がジェイ・ストームに移籍した時「俺ら見込みがないことなのかなってちょっと思ったりもした」と悟ったように、われわれの想像するよりはるかに困難な道のりを歩んできたグループが多いことも理解している。ただ、明らかに他の男性アイドルよりは明らかにスタートが違うのも事実だ。そのために数多のジュニアの中から勝ち抜いてわずかなデビューの切符をつかむのだから。

言いたいことは、ジャニーズは”いい音楽を作り続ける”ことにそこまでコストをかける必要もないのだ。複雑で玄人受けの音楽を作っても、ターゲットは音楽に詳しくない人たちであり、そこにメンションするような人たちはいないからだ。
時にそれは露骨な楽曲として、正直褒められたようなものではないものがある場合もある。だが、ジャニーズはそこに甘んずることなく、積極的に若くて才能のあるミュージシャンに託す形が増えてきた。SMAPの背中を見た他のジャニーズ達が後に続いているのだ。

ここでSexy Zoneに話題を移す。かれらは現在冠番組を持たない。同じ2011年デビューのKis-My-Ft2は翌年から「濱キス」や「キスマイBUSAIKU!?」といった冠番組をもち、バラエティ路線で活躍の幅を広げる一方で、Sexy Zoneにそのような活動は(地上波のレギュラー番組では)ない。セクシーが持ち味の彼らとKis-My-Ft2の路線は異なって当然である。その代りという言い方が正しいのかはわからないが、Kis-My-Ft2が2019年に初めて紅白歌合戦に出演したのに対し、Sexy Zoneは2013年に初出場を果たし、その後2018年まで6年連続で出場している。このことからも、Sexy Zoneは正統派の楽曲とパフォーマンスで魅力を感じさせるグループであることが分かる。(最近は菊池風磨のバラエティ路線進出により、以前よりいろんなところで見かけるようになっている。)

作曲者でみていくと、デビュー曲「Sexy Zone」はジャニーズ御用達の馬飼野康二が担当、その後も馬飼野が多くのシングル曲を手掛け、ジャニーズらしさ、ジャニーズ然たるものSexy Zoneは打ち出したかったことがうかがえる。というよりは、デビューしたてのジャニーズはまずしっかりと楽曲とグループのイメージの紐づけを行うのが鉄板で、Kinki Kidsのデビュー曲「硝子の少年」が山下達郎によって作曲されていることの方が珍しい。
2014年の「君にHITOMEBORE」で堂島孝平が携わっているが、いわゆるメジャーなポップミュージシャンは2017年発表の「ぎゅっと」でフレンズのひろせひろせが楽曲提供するまでは、見受けられない。

そんな”ザ・ジャニーズ”を形容するかのような、職業作曲家を起用し続け、Sexy Zoneらしさを創り上げてきた彼らが、2020年2月発売の7枚目のアルバム「POP × STEP!?」ではうってかわって、SMAPや関ジャニ∞のような、ポップミュージシャンの起用が目立つ。それはつまりジャニーズの内から外への挑戦を意味するものであり、より多くのジャニーズになじみのない人にでも、容姿等から推しになってもらわなくても「楽曲だけでも十分いい」と思わせる人を増やしたいと考えている表れだろう。
実際、今作のクレジットをみてみると、「MELODY」はtofubeats、「Blessed」はLUCKY TAPESのKai Takahashi、「○△□」はONIGAWARAの竹内サティフォ、「HIKARI」は作詞がLEGO BIG MORLのタナカヒロキ、作曲はHaKU(2016年に解散)のフロントマンであり現在はサウンドクリエイターとして幅広い仕事を請け負っている辻村有記(Simon JanlÖvとの共作)がいる。これまでに個性豊かな面々が揃ったのは、他のアルバムと比較しても初めてだろう(LEGO BIG MORLのタナカヒロキは5枚目のアルバム「XYZ=repainting」からの連続参加になる)。ちなみにDisc2には菊池風磨のソロ曲「HAPPY END」で三毛猫ホームレスとChelmicoの鈴木真海子(Mamiko名義)が参加している。

今作が、より外に向けての意欲的な作品であることは、クレジットをみなくても、楽曲を聴いただけでわかる。
「様々なポップソングを『Sexy Zone』というフィルターを通して東京から発信する!(公式HPより)」というコンセプトの下で作られた今作の始まりは「極東DANCE」。確かに”日本らしい”ギターから入ると、和っぽい歌詞に合わせて、モダンなエレクトロサウンドをJPOPらしくぎっしりと音をつめて作られている。
全体的にも16曲の1時間8分と充実した中身なのも実に日本ぽい。世界のトレンドがどんどんプレイリスト化、時間も短いものが主流になりつつあるなかで、こうしたボリューミーなものを提供し続けるのはJPOPならではといったところか。前半はジャニーズに数多く楽曲を手掛けている手練れ達が脇を固める。イワツボコーダイ、浅利進吾、原一博。編曲にCHOKKAKU、生田真心らがこれまで通り、Sexy Zoneに合う楽曲を創り上げている。

“Sexy Zoneらしさ”は、やはりその名の通り、Sexyを届けることにあるだろう。個人的に「Honey Honey」は、世間がイメージするSexy Zoneの歌に非常に一致すると思う。軽快なリズムと煌びやかな管楽器と打楽器で「ときめき」を提示するのは、デビュー時から変わらぬコンセプトの一つでもある。ただ、私はしばらく彼らの事を誤解している節があった。それは必ずしも”女子”をときめかせるだけのために歌っているわけではないという事だ。正確なタイミングはわからないが、2019年あたりから、彼らのファンの呼び名を「セクガル(ガルはガールの略)」から「セクラバ(ラバはラバーズの略)」に変更している。これは単純に男性が増えたから変えた、というものだが、彼らの普段のジェンダーに対する意識をみれば、それは必然であったことが分かる.

ガールがいったい誰を差して、どこまでがガールなのか。数年前に化粧品のCMで「25歳からは女の子じゃない」というフレーズがセクハラに当たるとして非難が殺到し打ち切りになったこともあるほどに、今、特定の誰かを意図しない形でカテゴライズしたり、逆にそのカテゴリーから外してしまうことがアウトになりつつある時代になった。だからこそ、彼らはファンを女性だけに限定しない、という意味だけでなく、ガールという言葉で誰かを排除したりしない名前を選んだのだと思う。

特に、マリウス葉は、度々そういった発言が取り沙汰されてきた人物の一人でもある。

雑誌のお悩み相談コーナーで、13歳の女の子からの<友だちやクラスメイトから「女子力がない」と言われます>との悩みに、マリウスは<そもそも“女子力”っていう表現が、もう古くない? 今はそういう時代じゃないと思う。男子も女子も関係ないんだから、“女子だからこうしなきゃ”とか気にしなくていいよ!>と回答。

『THE MUSIC DAY 時代』でSexy Zoneは、「カラクリだらけのテンダネス」を歌いながらマジックを披露するという企画に挑戦。そのパフォーマンスに入る前に、Sexy Zoneのメンバーたちが人気マジシャンのメイガス氏による指導を受ける舞台裏の映像が流れたのだが、そこで一瞬だけ映るマリウス葉のTシャツには、こんな言葉がプリントされていた。

<lol patriarchy>

 「lol」は「Laughing Out Loud」を略したスラングで、「patriarchy」は家父長制を意味する単語。意訳すると「家父長制とかちゃんちゃらおかしい」「家父長制とかウケるんですけど」的な意味合いだろうか。

この記事を書いている2020年の時点でまだ弱冠19歳と若いマリウスに、リベラルでジェンダーレスなあたらしい価値観を広める担い手としてすべてを背負わせるには重すぎる気もするし、それこそ20代の芸能人はなにをやってるんだと嘆かわしくもなるのだが、この姿勢は本当に彼のルーツからでもあり、少年時代の経験からくるものである。そういったマリウスの2010年代的な発想と価値観は、古典的で閉鎖的な芸能界と油と水の存在である。ある意味、少し生きにくい。どうしても自分の正しさと芸能界の価値観でぶつかるときがあるだろうし、そこをこじ開けていくにはあまりにエネルギーが必要だ。つまり、彼が正しく思ったことを貫いていけてストレスを感じなく芸能生活を送るためには、もっとその価値観が広まる必要があり、後押しが必要になる。

そう考えると、今作のアルバムの軽やかさと外に向いた”開かれた”アルバムであることは、まずマリウスを含む彼ら自身が新しい評価軸をもって発信していく姿勢を作ったという見方をすれば、必然的にも感じる。
Sexy Zoneというグループには、そうしたSMAPやkinki kids、関ジャニ∞が系譜してきた「ポップ・ロックミュージックとの邂逅」を果たしていくグループという視点と、新しいジェンダー観を提示していくニューバランスのグループの二つの視点が存在することになる。そしてそれが可能であると私は思う。
全員の歌唱力の高さと演出力の高さは言うまでもないし、ウェットな質感のコーラスグループならではの、音数の少ない「Blessed」のような楽曲との相性も抜群だ。Disc2に収録されているマリウス葉の「all this time」は半英詞で、ショーンメンデスやハリースタイルズのような2018年から2019年にかけた欧米のpopsをベースにした上質な(というか最上級の)ポップソウルに仕上がっている。なにより、その歌詞が、自伝的で内省的な自分の語りを取り入れ、それを同世代に共感へとつなげている。その切り口は、アリアナグランデの「thank u, next」でも、レディーガガの「Born This Way」でも、テイラースウィフトの「Shake It Off」でも行われてきた2010年代のポップスのスタンダードである。それは田中宗一郎と宇野惟正の共著で書かれた2020年発売の書籍「2010s」でも言及されている。

この「all this time」でも

I remember papa told me
there is no true right & wrong
then why do we so easily
judge the people who we
feel the closest in the world

と吐露するマリウスの感情はこれ以上になく今の若者の普遍的な考え方だし(あるいはこれからそうシフトしていくだろう)、これからのわかりやすい指標になる。




私がSexy Zoneにハマるのは(個人的な推しは佐藤勝利である)、単純にイケメンであるとか楽曲がいいとか、そうした単一的な評価があるからではない。彼らのスタンスや生きざまも含めて、男である自分が真っ向から向き合えるグループだからだ。いかにもな女性向けのスタンスでもなく、ファンを女性と特定することなく、積極的な発信を欠かさない(決して本人が意図してその価値観を露呈しようといった下心はないであろうが)。そして、いよいよ楽曲自体も大きな舵を切り始めた。
当然、いままでの職業作家が作るジャニーズ然とした楽曲が必要でないわけではないが、個人としては、Sexy Zoneこそが、関ジャニ∞のようなバンド形式ではなくSMAPのようなボーカルグループとしての、アグレッシブなコラボのできるアーティストになれると思っている。

その現在の参照元は嵐にある。2019年11月にジャニーズグループとして初めてサブスクリプション等のローンチを発表し、その後の新曲「Turning Up」は明らかに海外ファンを意識したアッパーなチューンになっている。その後も、セルフリミックスやR3HABによるリミックスなど、話題に事欠かさない嵐も、2020年には活動休止にはいる。水面下で動いているであろう「ネクスト嵐」は私はSexy Zoneではないかとにらんでいる。事実、この記事執筆中の3月24日に、Sexy Zoneが所属レコード会社をポニーキャニオンからユニバーサルミュージックがこのために新設予定のレーベルに移籍するとの報道が流れた。明らかに海外進出を視野に入れた動きであり、これからの活動方針に注目が集まる。



話がこじれてきた。何回自分で読み直してもあっちへいったりこっちへいったりとまとまりがなく、かつ自分で校正もできずにここまできた。ポイントは、新しいジェンダー観を持ったアイドルグループであること、そして外へ開かれた楽曲、の2つだ。ここをクリアにしておくだけで、かなり彼らの見方は変わってくる。そして、今作「POP × STEP!?」は明らかにその布石であるし、語尾に「!?」があることの通り、未来への変化を予見させるタイトルである事も重要な視点である。

Sexy Zoneが新たなジャニーズグループのフォーマットを作ってくれるような、そんな気がしてならないのだ。