サマソニ前夜
人は暇になった時、なにをすべきなのかわからなかった。
労働搾取の時代を経て、ようやく労働者が労働から解放され余暇を得ることができた。”願いつつもかなわなかった”ことをやろうと決めるものの、それがなにかがわからない。余暇にやる「好きなこと」は本当に好きなことかもわからない。ただテレビにおすすめされるがままに赴き、時間とお金を費やす。趣味がないと嘆くと、「このカタログから選んでください。簡単に趣味が始められます」とせっつかされる。経済学者のジョン・ガルブレイスは「ゆたかな社会」で供給が需要に先行している、と論じた。我々の「好きなこと」は作られている。そして提供される。本当に人は暇なときになにをすべきなんだろう。生きているという感覚の欠如がみえるとき、人は「打ち込むこと」や「没頭すること」を渇望する。。
というのは国分功一郎著の「暇と退屈の倫理学」の冒頭だが、先日この本を読んでいたことからふと思い出した。
音楽フェスのために一年の計画を立て、早々と休暇の調整し、貯金をする人達は決して稀有な存在ではない。そして別に笑われるようなものでもない。海外旅行が好きな人はそのために仕事をしているし、推しの舞台を全国どこまでもついていく人たちはそこにつぎ込むための余力を蓄えている。みんなそれぞれがそれぞれの喜びを大切に掬おうとしている。けっしてへまをしないように、うっかり忘れたりしないように、丁寧に、どこまでも慎重に、万全を期して。
それには二年という数字はあまりにうかつ過ぎた。うっかりじゃすまされないほどの空白を生んでしまった。その中には、どうやって暇を過ごせばいいのかわからなくなった人もいれば、本当にそれを喜びとして有していたのか不安になって離れていく人もいた。誰かとつながること、誰かと共有することが究極的に忌避され、みんなひとりぼっちになった。音楽は入り口は一人かもしれないが、出口には無数の人たちと合流する。しかし私たちが入った入り口は、その出口が果てしなく遠く、見えづらく、そして冷酷な目で見られるものだった。
サマソニはその最たるものだった。日本に存在する数少ない海外の音楽を浴びることのできる場は、ただやみくもに、ひたすらにののしられ続けた。どこまでも感染リスクは最大限考慮されても、主催側のリスクはこれっぽっちも考慮されないまま、指を差され続けた。それで本当にいいのか、という投げかけは即座に棄却された。問答無用、当たり前だろ、これが世間の総意だよ、が検証されたためしはない。
2020年、いつものように開催のアナウンスがあり、The 1975とPost Maloneのヘッドライナーの発表があった時の浮足立った感情はとっくに失せてしまい、どちらかというと噛み締める感情へと変異した。私たちはこのサマソニに対してどう立ち振る舞えばいいのかわからない。どう対峙していいかもわからない。まるで間違い探しかのように感染対策がとれていない人たちを発見しては意地悪く逐一ブログにしたためて自分の正義感を強固なものにしようと舌なめずりするものもいる。ルールにのっとれないことは人であらず、というわかりやすい図式を自分に課すことで自分が正常であることを確かめる。彼らもまた、どう対峙してよいのかわかっていないのだと思う。みんながやっているから、でなし崩しになる姿勢は人間の最も醜い正当化のひとつである。人間、は当然私も例外ではない。
1日目
前日から考えていた服を着る。2019年、あるいはそれ以前までの自分にはなかったフェスへのファッションへのこだわり。今ではいかにフェスを軽く乗りこなすか、それを念頭にコーディネートする。本当は長袖のシャツを一枚羽織ろうとも考えていたが、思ったより夏フェスっぽくならなかったので、最近古着で買った半袖シャツで現地へ向かう。
降り立った先には、8時半にしてリストバンド交換のために並ぶ多くのお客さん。この酷暑の中、涼しい顔して待機している彼らを見るのも懐かしい。多くがBE:FIRSTのシャツを着た若い男女、あるいはONE OK ROCKのバンTを着た男女。この二組の圧倒的な熱にたじろいだ。
easy life @Mountain Stage
3年ぶりの海外アクト、一番目に見たのはイングランドのバンド、easy life。SEが流れた瞬間に思わず目頭が熱くなり、本人たちが登場した瞬間に泣いてしまった。とはいえこの涙の理由はわかってもらわなくていいし、むしろわかってたまるかくらいの気持ちだが、それくらいにこの2年間を思い返すにはあまりにしんどいのだ。
ライブは横ノリから縦ノリまでガンガンに振り回す彼ら。全然easy lifeじゃない曇りがちでも十分に暑いマウンテンでいやになるほど踊らされるのだ。
「宇宙で一番素晴らしい国だ」とべた褒めしてくれたeasy life。決してそれが嫌味にならないのは彼らの人柄のおかげでもあるが、それを許容してしまうくらいに浮かれていたのだろう。きっとみんなあの時そうだったに違いない。あそこにいたほどんどの人がサマソニ1発目のアクトであり、多くの人にとっての3年ぶりの海外アーティストのライブだったはずだからだ。どうしても自分にはそれが耐えられなくて、うれしくて、おめでとうと言いたくて、よかったねと抱き合いたくて、それが許されないけれど、心の中ではしっかりと抱きとめていたような、そんなライブだった。
salem ilese @Sonic Stage
おもったよりパンキッシュ。Avril Lavigneというより、Pale Wavesのような艶感。冒頭、「mad at diseny」のワンフレーズを歌って始まったライブはエネルギッシュそのもの。初めは少なかったお客さんも、次第に増えていくにつれライブ自体もボルテージが上がっていくし、なにより本人が全く心折れることなく目の前にいる熱烈なファン一人一人に歌を届けようという真摯な姿勢が見える。
後半では、大好きな曲だと言ってthe killersの「Mr.Brightside」をカバー。やっぱりこの曲選は個人的に嬉しかったし、彼女の音楽性にも納得がいく。編成はサポートが3人と決して多くなかったが、その中でもドラムの安定感とベースの低音ぶりが異常で、単なるポップシンガーを聴いてる感じではなかった。やたらと目が合う気がしていたが、それは私が自意識過剰だからではなく、彼女自身がたくさん観客とアイコンタクトを取っていたからだ。一人一人を指さし、ウインクし、キックする。華麗にターンを決めたり手を振って距離を縮めていく。こんなに楽しそうにばっちりライブするアーティスト、久しぶりに見たかもしれない。ファンがうらやましい。きっと日本のファンを好きになってくれたに違いないし、手ごたえも感じられたはずだ。まだ時間も浅いソニックステージ。それでもここまでステージを掌握していたのは、海外アクトのなせる業。
milet @Mountain Stage
入場することすら困難なくらいに、開始早々からmiletは飛ばし、吸い寄せられるようにオーディエンスが集まった。圧倒的な実力を持ったボーカル、そして天性の歌声と声質。音源よりも明らかに映えるバンドアレンジ。実力以上に実力が知れ渡る瞬間を目にした気分だった。大好きだけれど少しポップすぎたり、安直すぎるバラードが気になっていたmiletだったが、このステージではそれは一切感じられなかった。UKのオルタナティブをビシビシと感じられる楽曲やハーモニーと弦楽器の絡みが美しいミディアムバラードまで、そこには安直さや薄っぺらさがなかった。ひとつひとつの音がしっかり鳴り、どんどん力強さを増していく。後半にかけて、周囲の人たちは明らかに態度を翻していた。「有名で名前だけ知っているから来た」から「これを最後まで見なきゃ」という目つき。前傾姿勢になり、自然と笑みがこぼれる。
「暑い」と送風機の前で休憩したり、「うぇーい」「ほなほな」と軽快なノリを見せていたのも、人柄がよくわかるワンシーンだった。
ここからは余談なのでレビューと関係ないが、milet、本当に美しかった。ごめんなさい、それだけです。ガチ恋するかと思った。
ゲスの極み乙女。 @Sonic Stage
ゲスを数千人規模の小さなソニックステージで(しかも比較的簡単に前方で)見られるのは、サマソニならではだろう。ROCK IN JAPAN FESTIVALやCOUNTDOWN JAPAN FSETIVALではありえない規模だ。そして意外に思われがちだが、私はゲスの極み乙女。が大好きだ。大好きなうえに、もっと評価されてほしいと思っている。こんなもんじゃない。こんな評価レベルじゃだめだ、と度々思う。ライブを観て。そのたびにすげえなあとひれ伏す。それほどに個々のプレイヤーの個性が活かされていて、その船頭を取る川谷絵音のカリスマぶりにやっぱりひれ伏す。特に圧巻の「猟奇的なキスを私にして」を2曲目に披露し、感無量。
彼らを以前サマソニで見たときはMountain Stage。どのステージが格上というのは公式に明言されているものでもないし、時間帯とタイミングや演出の問題、そしてアーティスト側の要請と都合の関係上ステージはいくらでも変わってしまうが、以前よりキャパシティ自体(とくにスタンディングに関して)は少なくなった場所でのアクト。今年ベストアルバムも出し、ひとつの集大成のようなものになりつつある彼らが、このステージを行う意味はなんだろうと深読みする。そして彼ら自身がどう感じているのか。この客数に満足しているのか、納得がいっていないのか。十分すぎるほど満員だったソニックステージだったが、彼らのいつものキャパシティではない。それは貴重ではあるし、こうやって肉眼で彼らのパフォーマンスをしっかり見られたのはなによりの収穫だったことに間違いはない。
Megan Thee Stallion @Ocean Stage
Meganのリリックを理解できているわけでもないし、アティチュードも把握しているわけではない。だけれど、まずいちアーティストとしての貫禄と楽曲の強度、流れとダンスパフォーマンスに煽り方まで、盤石以外の形容がない。私もそうだがラップは抑揚が少なく飽きやすくとっかかりにくい部分も多々あるが、Meganの楽曲をそれが通用しない。しっかり盛り上がりどころがあり、がっつりキャッチー。なによりパワフルでどんな場であろうと制圧してしまう圧倒感がある。後方で途中から最後まで見ていたが、一度もその熱量は失われることなく、オーディエンスを巻き込んでいた。絶対前方の人たち楽しかっただろうな。
ONE OK ROCK @Ocean Stage
結果的に東京で大きな波紋を呼んだ彼らのステージだったが、大阪でも大きな差異はない。基本的にはオーディエンスを煽り、「出禁覚悟できた」と語るTaka。ほかの三人が決して口を開くことはなく、ただ黙々とプレイに専念する。
彼らほど、今が一番いいバンド、を更新し続けるバンドもいないだろう。前見たライブより、去年観たライブより、今がいい。過去にサマソニで一度、エドシーランの単独ライブのオープニングゲストとして一度彼らのライブを観ているが、そのたびにカッコよさが増している。カッコよさだけでなく、演奏力やパフォーマンス、全体的な楽曲のクオリティとダイナミズムが更新され続けている。私は世界進出を目論んでからの彼らが好きなので、今回のセトリに文句は一切ない。むしろ「完全感覚Dreamer」とか「じぶんROCK」はやるんじゃねえぞ、と強く願っていたくらいだ。あの曲なんかよりやるべき曲がもっとたくさんあると私は思っている。特に終盤で披露し圧倒的な一体感と大合唱を生んだ「Stand Out Fit In」は鳥肌モノだった。彼らの出番待ちの時から降り出した小雨は少しずつ強まり、観客の猛暑と熱狂による疲れから追い打ちをかけるように体力を奪っていくが、それをもろともしない豪快なステージングに観客は一人、また一人と立ち上がりいつのまにか全員が総立ちで彼らにくぎ付けで踊っていた。それくらいのバンドなんだと改めて思い知らされた。本当にすごいバンドだった。
Post Malone @Ocean Stage
あまりに強大で、あまりに繊細な男性はたった一人でステージに仁王立ちしていた。直前まで控室でキマッていたんだろうと容易に想像つく登場で姿を観客の前に現したPost Maloneは、すでにラッパーというよりシンガーとしての自覚を持っていた。「歌が上手い!」という売り込みでもない彼だが、いざ生歌を聴いてみると驚くその歌唱力。それは至近距離で見ても、遠巻きに見ていても十分伝わる揺るがない事実だろう。どれだけ泥酔しても、ふざけていても、シャウトしても、観客を煽っても、一切ぶれない歌声。大きな体から出されるパワフルで揺れる美しい歌声に舞洲は酔いしれた。
途中でギターで弾き語りを見せたときはもはや賛美歌に聞こえるほどのきらびやかさに包まれた。本人はトイレタイムだの一番退屈な時間だと自虐していたが、全員が息を殺しじっと彼の歌声に耳を澄ませていたことは彼にも伝わったはずだ。
降っていた雨もいつの間にか止み、とはいえそれすらも気づかず、ただひたすらにPost Maloneの歌に集中していた。「Better Now」のようなシンガロングも、「Rockstar」の演出も、「Sunflower」のアンセムもその一挙手一投足がスターそのものだった。それはあのステージを観ていた人だれもが証人である。
「自分を信じろ」と何度も強く語り掛け、自己肯定を促したPost Maloneの後ろには、3年ぶりの花火が上がっていた。これが一日目の終わりの合図でもある。花火が上がるか内心ドキドキしていた私だが、それが杞憂に終わったことがなによりうれしかった。雨上がりの花火は心なしか小さく見えたが、しっかりと、力強くサマソニの祝砲を打ち上げていた。あれを見て涙をこらえられる人はいない。この花火も含めて、私の愛していたサマソニなのだから。
二日目
THE LINDA LINDAS @Mountain Stage
彼女たちのストーリーはあらためて語ることはしないが、日本が彼女たちにとってその他大勢の一国であるはずはなく、憧れや期待や不安など、各々で感情を高ぶらせながら来日したに違いない。
年齢で判断することは正しいとは思わないが、彼女たちの年齢にしか表現できないものは確かにある。それを見届けるためにMountain Stageに集まったオーディエンスは、序盤からかなり反応が良かった。「応援したい」「頑張ってほしい」という目線から、冒頭からあまりのパンクにやられてしまってハイになった人たちまで、さまざまな感情が入り混じっていた。温かい雰囲気なのは「雲が好き」と空を見上げうれしそうに語るメンバーからも伝わる。演奏はパキパキ・ガッシャンと。英語からスペイン語、日本語でのリンダリンダのカバーと多種多様な楽曲を使いこなす器用さにも驚く。まだ11時台と熱くなる一方の地獄みたいなステージで、後半になるにつれどんどんと勢いは増していくし、見渡しても笑顔の人たちしかいない。パンクなんだけれど、だれも暴れようとか破壊衝動に駆れているひととかはいない。これが新しいパンクの形なのかなとも思った。こうやって世の中は変わっていくし、変えていける。事実ステージに立つ最年長で17歳の4人組バンドはたった数曲でアメリカのエンターテインメントを更新してみせた。屈託のない笑顔にこちらはたじろぐくらいで、パワフルでチアフルな大満足のステージだった。
Rina Sawayama @Ocean Stage
「G7で唯一同性婚が認められず、LGBTQへの差別を禁止する法律がない国として、恥ずかしく思う」
そんなセンセーショナルな言葉が飛び出したライブは初めてだった。こんなことをはっきりと日本語で言ってくれる人がいるだなんて、思ってもいなかった。sれがうれしくて、それが悲しくて、なんどもなんども深くうなずき、手が晴れるくらいにずっと手をたたき続けた。政治家を心から応援している応援演説にいる人たちってこんな気分なのかな、なんて思った。周りから見れば自分はなにかに心酔している信者のように思えるかもしれない。「LGBTQは人間です。日本人です。」たったそんな自明なことを、どうしてここまで大きな声で灼熱の中言わなければならないのか、そんなことも頭によぎる。
登場してしばらく静止したままのRina Sawayama。ようやく動き出した時の「本物」感はすさまじかった。キレキレのダンス、言葉一つ一つが矢のように刺さり、ビートは私たちの心をわしづかみにし否応がなしに躍らせる。高くこぶしを突き上げたくなったり、大きく手を振りたくなったり、とにかく感情の振れ幅が大きい。秋にリリースされるニューアルバムから「This Hell」「Catch Me In The Air」などたっぷりと披露しても、観客は全く態度を変えることなく踊り続けた。社会にうんざりしていたことも、前日のなんだか悲しいサマソニ東京での出来事も、力強く肯定して寄り添ってくれることでちゃんと向き合える気がした。
カメレオン・ライム・ウーピーパイ @Massive Stage
オレンジヘアーにパンツの上にロングスカートをはいた彼女らしいいでたちで登場した本ステージは、お世辞にもMassive Stageを埋め尽くすほどの集客をしていたとはいいがたかった。真裏にKEN YOKOYAMAとMåneskinが演奏していたのだから無理もない。でも彼女に出来ることは、今集まってくれた人たちに、そして通りすがる人たちの一人でも多くの人の琴線に触れる音楽を届けることだ。
そのためには十分すぎるほど強い楽曲を持っているのがカメレオン・ライム・ウーピーパイというアーテイストだ。「Crush Style」のようなゲームミュージックをトランスさせたようなカオティックな作品も、Fever333のStephen Harrisonを迎えた彼女史上最もアグレッシブでヘビーな「Whoopie is a Punkrocker feat. Stephen Harrison」もフェスで盛り上げるにはもってこいだった。事実、それを披露した時のボルテージは全く他のステージにひけをとらないほどだった。始まりこそ緊張が勝っているよな表情だった彼女も、少しずつ集まる人に彼女自身も調子を上げていったようにも見えた。サポートの覆面ウサギ二人の躍動もこの日のステージには欠かせず、なんとか盛り上げようという心からの意地が見えたのもとても素敵だった。もっと経験を重ねて、もっともっといい曲をたくさん引っ提げて、改めてライブがみたい、そう思わせてくれるとても充実したライブだった。
TAHITI80 @Massive Stage
King GnuでもThe Offspringでもなく、キャンセルになったYOASOBIでもなくTahiti80を見に来たマッシブステージをパンパンに埋めたお客さんは、私も含め相当変わり者だと思うが、”正解”だと言い切りたい気持ちになる。定番曲から新曲まで幅広いセットリストで披露し、夕暮れから日没にかけての時間を彩った。久々に飲んだお酒がいい感じに回ってきて、浮遊感を湯腰抱き始めたこの時間に、Tahiti80の音楽はあまりにフィットする。
途中で、シュガー・ベイブの「ダウンタウン」のカバーを披露したときは大いに盛り上がった。歓声と拍手と、各々が自由に踊りあっていた。懐かしむ人、後からこの曲を知った我々のような人、この曲を初めて聞いたかもしれない人、それぞれが自由に「ダウンタウン」を味わい、楽園のような世界を構築していた。そして最後にはド名曲「HeartBeat」で締め、この二日間で最も多幸感にあふれたステージにしてみせた。ある意味で彼らがサマソニとしての美しさのピークだったかもしれない。後ろでは男女が合流し「あれみた」「これみた」を酒を片手に語り合っている。サマソニってこういう場所だな、とつくづく思い知る。こうやって自由に楽しみ、また集まり、何を見たか発表しあう。そこにはボーダーが一切いなく、どんな人でもにこやかに、すべてを受け入れて話し合っている。あまりに美しすぎて、そしてこれが見たかった光景だったんだなと感じた。
The 1975 @Ocean Stage
2019年のライブで完全に昇天した私に、さらなる朗報を与えてくれたのは2020年始まってすぐのことだった。2020年開催予定だったSUPER SONIC(SUMMER SONICの代わりとなるフェス)でのトリとしての出演発表は私ともども多くの1975ファンを悶絶させた。そしてそれは後に2年以上の空白を生むことになることも踏まえた、阿鼻叫喚だったのかもしれない。
彼らを一目見るまで、たった1時間そこそこの演奏を見るために、何度も愛を語り、期待し、そのたび打ち破られ、そしてめげずに待ち続けた。2年は海外アーティストなら大した期間ではないかもしれないが、私にとっては10年に匹敵するような時間だった。幾度とサマソニに帰ってきて、そのたびに大きくなり、広いステージへとステップアップしてきた彼らが、いよいよ大トリとして帰還する。それを待ち望むと表現せずしてどう例えればよいだろうか。
現時点で最新アルバムの中から「If You’re Too Shy (Let Me Know)」を一曲目に選択したThe 1975の憎さ、続いて「Love me」「Chocolate」とファーストとセカンドから一曲ずつ選ぶキューティさ、それぞれに撃ち抜かれる。発売が近い新しいアルバムから世界に先駆けて披露する「I’m In Love With You」など、90分を余すことなく存分に使い切ってくれた。
ライブレポというより私のレポになるが、左後方で観ていた私ははっきりいって狂っていた。大声を出せない代わりに周囲5mをぐるぐると走り回るなどの奇行に走り、自然とソーシャルディスタンスが保てるように。踊ったり走ったりぐるぐる回ったりジャンプしたり手をふったり。ありとあらゆる表現で1975を摂取しようと試みた。それでもまだできたんじゃないかと今は思うが、あの時の全力は出し切った。ずっと見たかった彼らの音楽で、こうやって同じ一つの場所でいろんな人と共有できたことがなによりうれしい。
「Give Yourself A Try」が終わると、花火が打ちあがる。それが全てを完遂した私たち、サマソニ、すべてを祝福するかのようで、幻かと錯覚するほど美しかった。最前列で何時間も待ち通して楽しんだファンも、後列で自由気ままに走り回っていた私たちも、別ステージで他のアーティストを楽しんでいた人たちも、全てが等しく美しく、いとおしく、華やかだった。この花火はきっと忘れることはないだろう。理由はないが、自分にはわかるのだ。
まとめ
エモーショナルな文字の羅列でお見苦しいところもあり、ライブレポになっていない事実は深く反省しながら、備忘録としての役割は果たせたかなとは感じている。
こうやってサマソニ大阪を2日間満喫し、念願の海外アーティストを観ることができたのはまぎれもなくクリエイティブマンを筆頭に、多くの人たちのおかげであることに疑いの余地はなく、感謝の気持ちは伝えても伝えきれないところである。多くの批判もあったことは容易に推察できるし、それでもやろうと踏み切ったのは、商業的な意味合い以上に、プライドや信念が勝ったからだと思っている。それに私たちオーディエンスは応えられただろうか。それは盛り上がるという意味だけではなく、今後フェスを存続させていくためのモラルポリシーの確認である。自分たちさえ楽しければいいという自己中心的な考えはこんなにも脆く、やわで、みすぼらしく誰からも歓迎されないという事実をこの2年で思い知ったはずだ。誰かの尽力のおかげで開催でき、たった一人の非協力的な姿勢でいくらでもフェスは叩かれ、中止に追い込まれ、すべての努力をることがあるという非情な事実はある意味で我々の考え方を大きく改めさせる機会となった。また来年以降、このフェスが当たり前にできることを祈りながら、一方で当たり前ではないことも胸に刻んで一年間、楽しみに待とうと思う。
最後に、今回のサマソニを楽しめたのは多くの人の親切によるものです。その方々に大きな謝意を表します。ありがとうございました。