今こそさあどうぞ 魔法に変えられる

aurora arcのSEが流れたときにゾクゾクッと全身に緊張の線が大脳からつまさきまで駆け抜けていく。そして一瞬遅れてから鳥肌がブワッと立った。私はみてしまうんだ、ついに観てはいけないと思っていたものを観てしまうんだ。という実感と共に、もうすっかり伝説級のライブをそれなりに経験してきてしまったが故の慣れもある。意外と冷静ですよってフリだけはできる。数あるライブの一つ、みたいなそぶりをする。鳥肌は止まらない。

2019年9月12日、京セラドーム大阪の大きなスクリーンには舞台袖で円陣を組む4人の姿が。
そしてひとりひとり、ステージに上がる。特に大きな歓声やメンバーを呼ぶ声もなく飄々とした感じで登場した4人。
そして音を鳴らす。始まったのは「Aurora」。今の彼らのバージョンを正しく映す一曲だ。開放感に溢れた音、伸びていく藤原の声。綺麗に揃った、我々の腕につけられたライト。宇宙を追い続けた彼らはドームを宇宙にしてしまった。と、クサい言葉がポッと浮かぶ。これがBUMP OF CHICKENか。




生まれてきたことに意味があるのさ

彼らにはリスナーの数だけストーリーがある。他のアーティストよりもはるかに強烈で面倒な。その人にとっての思い出と悩みと葛藤と自己嫌悪と社会への憎悪と愛と孤独感を勝手に彼らに背負わせ解決してもらい一歩ずつ進んできた多くのリスナーがいる。

私だってそのひとりである。

当時10歳、新曲としてリリースされた「天体観測」を車中のラジオで聴き、すぐに母親にこの曲は何かと問うた。母親は曲の終わりにDJが紹介してくれるだろうと、ダイエーの立体駐車場をすぐにでてよく聞こえる場所に移動した。
その甲斐虚しく、電波は入っても早すぎて聞き取れなかった。「チキン」だけは分かったそうだ。
それ以降「チキン」のミュージシャン、もしくは曲が再びラジオでかかることを期待して、いつもラジオはオンにしていた。それがBUMP OF CHICKENだと理解するのはもう少したってからだったと思う。


「虹を待つ人」の大合唱が終わると、藤原が「今というほうき星、君と二人追いかけていた」と冒頭だけを歌う。以前、バンプのライブにいったことある人たちと酒の席で「天体観測の今のアレンジクソださいからwwwwww」なんて笑いの種にしていたのに、今は感動している。これやるよ、という合図は涙腺を強く刺激する。これが全ての始まりだったんだ、と思い返せば返すほどいろんな「天体観測」とそれを聴いている自分のシーンが思い出される。シンプルでタイトな演奏だったが、そのインパクトは強烈そのものだった。

誰もが耳疑うような夢物語

実はと言うと、ニューアルバムのお気に入り度はそれほど高くない。まあこれだけ毎日いろんな音楽聴いてしまっては、バンプに割ける時間も減ってしまうし、それよりおもしろくて新しいミュージシャンに目移りもしてしまう。そしてなんだか物足りなくなってしまう。ダンスミュージックでもロックでもない、その中庸的な姿勢が普段刺激物ばかり摂取している自分にはつまらなくうつってしまうこともあった。

とはいえ、前作「Butterflies」よりはサウンドそのものが洗練され、ようやくデジタルサウンドにも乗り慣れてきた様子の今作「aurora arc」は佳作が目白押しだ。ほぼシングルの寄せ集めになってしまった感も否めない「aurora arc」だが、アップテンポなナンバーではひときわ異彩を放つのは次に演奏された「シリウス」。少しアルバム「COSMONAUT」の雰囲気もありながら、縦ノリをしっかり意識した曲で、青を基調としたバンドには珍しい赤の照明と吹き上がる炎。ここにきてようやくバンプが歌を歌いに来ていることに気付く。

アコギに持ち替えて全員が顔を見合わせながら始まったのは「車輪の唄」。バンプはこういった中期のアコースティックな香りも楽しめるバンドだ。中盤に出てくる

券売機で一番端の
一番高い切符が行く町を 僕はよく知らない

その中でも一番安い
入場券を すぐに使うのに 大事にしまった

は、これが歌詞というものだ、とよく例として挙げている。これが最も素晴らしいと言いたいわけではない。でも、この歌詞が一体なにを表しているのかさえ分かれば、おのずと歌詞の意味が見えてくると思う。日記ではなく、詞、詩。特別難しい言葉を使わなくても特殊な感情を表さなくても、詞。

中学時代によくこのあたりのシングルやアルバムを友達と一緒に聴いていた。バンプのそれぞれのCDには隠しトラックがある事を教えてもらった自分はさっそく友達の家でそれが再生されるのを待った。よく覚えている。きっと同じことした人は何万人もいるに違いない。そのひとそれぞれの過去が車輪の唄にはある。



大人の顔をしてから生き方がちょっと雑になった

こんなことできるんだ、という驚きと、これができるからバンプやめれねえよな、ていう感動の二つが混じった「記念撮影」。足し算がどうしても目に付く近年だったけど、これはうまく引きの姿勢が作れている。無駄に主張しないことがより洗練された印象を抱かせ、スタイリッシュに曲が仕上がった。
しかし、「あれほど近くて だけど触れなかった 冗談と沈黙の奥の何か」ってリアルすぎる。決して美化した素晴らしい永遠の友ではなくて、そこには言えない本音とレシートがポッケに丸めて入れてある。記念撮影は時を止めるキーアイテムなのかもしれない。歌詞も久々にグッときたし、お気に入りの一曲。
聴かせ所が多く、高音の多かった前半とはうってかわって、語り掛けるような優しい声が印象的だった。



ステージ後方に設置された小ステージ、通称”はずかし島”はもう定番ではあるが、やはりあそこは特別な場所だと思う。あの距離感で4人で音を鳴らす意味を考えれば、自然とやるべき曲目は見えてくる。「真っ赤な空をみただろうか」。

夕焼け空綺麗だと思う心をどうか殺さ(隠さ)ないで
そんな心 馬鹿正直に話すことを馬鹿にしないで

大切な人に歌いたい
聞こえているのかもわからない
だからせめて続けたい
続ける意味さえわからない

2006年リリースの「涙のふるさと」のカップリングにもかかわらず、根強い人気を誇る一曲。私も大好きだ。このシンプルで貧相にすら聞こえる曲だけど、だから藤原のメッセージが熱を持っている。はるか遠くで、こちらにすら向いていない背中越しの藤原でも、間近で聴いているような温度を感じる。この温度は昔とは少し違った、でも懐かしい温かさだ。

誰かが見たのなら素敵なことだ

どうしても過去曲ばかりが思い出に残ってしまうのは、18年という積年の想いがゆえにだ。決して懐古厨になるつもりもないし、いまさらサウンドがロックじゃないとかまさかそんなつまらないことを言う人間じゃないことは私も知ってくれている人なら理解してくれるだろうし、はじめましての方はご理解いただきたい。

ただ、最新アルバムより「COSMONAUT」以前のアルバムが好きな自分にはやはり過去曲は思い入れが違う。人生初の生ライブなのでそこは大目に見てほしいのだ。
ところでなんで今まで行かなかったのだろう。というのも、高校生になるまで音楽コンサートなんて行くという選択肢すらなかった。野球かお笑いとスターウォーズに明け暮れ、電車に乗って隣町にすらいけなかった自分が、バンプオブチキンというバンドのライブになんて行けるわけがなかった。長い時間がかかったな。本当にそう思った。ちなみに、ライブは行けなかったけど、大学の卒論はバンプでした。その卒論を今年になってこのブログで公開したので、興味ある方はぜひ、長いですが。→21世紀の若者が求める歌詞考察 ―BUMP OF CHICKENが若者にウケたワケ―


いまこうやって生で4人を見ている。チャマがしゃべる。藤原が笑う。チャマのMCの後ろでキャッキャと笑い合う増川と藤原。怒るチャマ。ごめんね?という表情で「怒ってない?」と聞く藤原。正直言って藤原のワンマンバンドなのになんでこんな機嫌伺ってるのか分からなくて笑う。普通もっとフロントマンは態度でかいはずなのに。
升が立つ。変顔をする。それをみてキャッキャと笑う3人。40過ぎてなにやってんだ可愛すぎんだろ、と見事に術中にハマる。
人として愛されているバンドの温かさは胸に来る。見守るファンもそれに甘える4人も。バンドとしての一つの完成形だなと思う。



僕の場所はここなんだ

「supernova」。3年ほど前にちょっと体調崩してた時期があって、その前後でよく聴いたのがこの曲。日本一優しいギターのストロークから始まるこいつに何度も何度も教えられた。忘れそうになるとこの曲が肩を叩いてくれる。

鼻が詰まったりすると 解るんだ
今まで呼吸をしていたこと

たったこれだけのことが大きく重くのしかかる。一発頬にビンタされる。そしてゆっくり抱擁される。励ましも慰めもしないで、淡々と自分の気付きだけを紡いでいく藤原なのに勝手にこっちがハッとしてメソメソしてしまう。今日だって、ずっとメソメソしていた。精一杯の合唱しかそのメソメソを払しょくする手立てはなった。

君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは思い出じゃない今なんだ



ベイビーアイラブユーだぜ

自分は「新世界」が大好きだ。初めて聴いた時はそうでもなかったけど、フルで聴いてから一瞬で好きになった。そしてやっぱりライブはよかった。「ベイビーアイラブユーだぜ」は全く違和感ないし、藤原らしい「だぜ」がとてもすきだ。
鮮やかなMVと同様のアニメーションもとてもマッチしてて良い。

最後の「流れ星の正体」を演奏後、さわやかに立ち去っていくメンバー。惜しいとかもっととか、そんな感情はなく、ただあっけに取られていた。自分が18年見たかったのはこれだったのかという儚さと充実感。それにしか興味が無かった。アンコールはもちろんあってほしいけど、そんな余裕はなかった。頭に駆け巡る言葉をひとつずつ整理させ、まずは脳に「落ち着けよ」と言い聞かせる。



世界に誰もいない気がした夜があって

アンコールに応え、長々とチャマが物販のMCをした後に披露されたのは「バイバイ、サンキュー」。初めてのライブなのでこれが珍しいのか定番なのかもわからないが、こんなに自分にとって思い入れのある曲をやってくれるのかと驚いた。
17の時にカナダに留学していて、まあその年ごろだとやっぱり一大イベントなわけで。出発前とかはよくこれを聴いて、地元の友達とカラオケで歌ったりもして。留学先でも、たまにipodで聴いていた。よく覚えてるのはホストファミリーとキャンプ場に言った時、キャンピングカーの中で一人これ聴きながら泣いてた。ホームシックって感じはあまりなかったけど、自分のアイデンティティとかもフワフワしてた時期だったし、藤原のえぐるようなしゃがれ声が雑な128kbpsで増強されてたことを覚えている。
最後の最後の「ガラスのブルース」まで一切飽きさせない、自分の人生を振り返らせてくれるライブだった。

本当にすべてが終わった後、藤原が早口で言っていた。
「君たちの何気ない日常に自分たちの音楽があることのどれほど価値があることか。本当にありがとう。」
それは全くもってこちらのセリフだ。自分たちの日常に、いやもっと末端神経の隅の隅まで言葉という言葉が行き渡って血肉と化して人格を創り上げて困難を乗り越えてきた人間にとって、あなたたちの音楽と言葉がどれほどの価値を持っているか、それはあなたたちバンプオブチキンですら知る由はないし、知ることはできないんだよ。自分がどれだけ待っていたか知らんだろ?知らなくていいんだよ。それが音楽の正しい関係だからだ。



「新世界」の時に、「お前、大勢のうちの一人と思ってないだろうな。お前に歌ってんだよコノヤロー!」と指さしたときが、もっともBUMP OF CHICKENがBUMP OF CHICKENたらしめる瞬間だったし、愛してきてよかったと心から感謝とお礼を述べたくなる瞬間だった。

ありがとうございました。

セトリ

aurora arc
Aurora
虹を待つ人
天体観測
シリウス
車輪の唄
Butterfly
記念撮影
話がしたいよ
真っ赤な空を見ただろうか
リボン
aurora arc
望遠のマーチ
GO
Spica
ray
新世界
supernova
流れ星の正体
アンコール
バイバイサンキュー
ガラスのブルース





あ、増川は美術品でした。増川is god。

ブラックサイドは近日公開