フワちゃんが炎上した。炎上、という言い方が適切かはわからないが世間ではそういわれている。誹謗中傷する投稿を”誤って”行い、拡散されたことが原因だった。うっすらみんなが嫌悪していた彼女へのうっぷんをここではらさんとばかりに言いたい放題言う様相は気持ちが悪い以外に形容のしようもないが、ここで考えたいのは彼女の発言の云々ではない。
タレントのフワちゃんが、お笑い芸人のやす子さんに向けてSNSに不適切な投稿をしたとして、教科書会社「開隆堂出版」(東京都文京区)は8日、令和7年度から使われる中学家庭科の教科書で、掲載予定だったフワちゃんの写真を削除する訂正申請を、文部科学省に行った。同社担当者によると、当該教科書は教科書検定にも合格しており、「衣生活」に関する項目で、自分らしさや個性を表す服装例として、フワちゃんとタレントの渡辺直美さん、ハロウィーンで仮装する子供ら計4人の写真を掲載予定だった。「著名人だからではなく、個性的な服装の一例として掲載を予定していた」という。しかし、「不適切な投稿内容を受けて、掲載を見送る判断をした」としている。教科書の本文ではフワちゃんに触れておらず、印刷前だった。
フワちゃん、中学の家庭科教科書に掲載予定の写真削除 出版社「不適切な投稿内容」
彼女のライフタイル、発言は昭和と平成を駆け抜けてきた世代には新しく映った。今の若者にはフワちゃんをそれほどとっぴな存在ととらえていないようにも思うが、それはそれだけ彼女のスタンスが少なくとも芸能の世界においてはスタンダードになりつつあるからだろう。
それでもおじさんおばさんたちには新鮮に映るフワちゃん。まるで彼女を「令和世代の代表」と勝手に認識し始めていたようにも思う。「どうやらいまフワちゃんってのが人気らしい。ちょっと生意気でため口でファッションもアレなんだけどああいうのが個性っていうらしい」程度で彼女を認識する。そして彼女を言及し肯定することで今の世代の価値観になじめていると信じ込む。その順序はいつの時代って同じだ。
そして今や、世界を代表するGAFAの一角、Googleのスマートフォン「Google Pixel」のイメージキャラクターとして、写真の不要な部分を削除できる「消しゴムマジック」を紹介するCMなど、テレビで見かけない日はない。メディアはどこか彼女に「多様性時代の象徴」を求めていたのではないか。コンプライアンスやハラスメントなどで、日を追うごとに世知辛くなる現状を前に、不破ならぬ打破してくれる存在として、期待を募らせる。もしかすると、本人もその雰囲気に気づいていて、「より『フワちゃんらしさ』を増さなければ」と、使命感を覚えていたのかもしれない
フワちゃん「やす子へ公開暴言」が示す根深い問題
はたしてフワちゃんは多様性時代の象徴だったのだろうか。個人的な感覚から言わせてもらうと、フワちゃんは自己表現のプロフェッショナルであり今の時代に必要なマインドを持っているとは思うが、多様性の象徴だったとは全く思っていない。彼女自身もそんな認識はないのではないだろうか。
よく「多様性ということばが安易に使われ過ぎている」と嘆く人を見かける。その人の嘆く内容を見たら、ジェンダーレストイレやトランスジェンダー、女性への性被害観点からの配慮など、いままで不可視化され検討されてこなかった障壁に取り組んでいる内容が気に入らないだけでのヘイトを垂れ流す人だった、という事案は後を絶たない。もっとも多様性を理解していないのは「多様性ばっかりでうんざりだ」と言っている人だ。これはフェミニズムにしろLGBTQにしろポリティカルコレクトネスにしろ、あらゆる言葉に同様に言えることだ。あまりに言葉への解像度が低すぎて話にならないのに、本人は理解したつもりでいる。そしてあろうことかそれを過剰だと嘆いている。お粗末と言わざるを得ない。
フワちゃんが多様性を象徴するのでないのだとしたら彼女はいったい何者だったのだろう。インタビューから少しずつ考えてみる。
フワちゃんが思う「日本人にもっとやってほしいこと」とは? アイクぬわら「恋愛・英語・文化…これは世界でも通用する番組!」
アイク「でも、この番組はそういう空気感を作りたかったからそのままでいいと思う。フワちゃんは適当なことも言うけど、自分の意見ははっきり言う人。それがとてもカッコいいと思う。日本人はつい相手のことを思って遠慮して言わなかったりして、ストレートに言っちゃう人って少ないから。これからの日本には特にそういう人が必要だと思うし」
フワちゃんと言えば、言いたいことをずばずばいう、物おじしない、古臭い上下関係は取っ払う、みたいなイメージがあるように思う。それはあきらかに20年前には芸能界にはなかった風潮だし、Youtuberから進出してきた人だからこそできたことだと思うし。擦られた分析ではあるが、自分でファンダムを形成できるようになったおかげで、メディアやスポンサー、起用する制作側に気に入られる必要性がなくなり、むしろ起用させてあげるという対等性が生まれた結果だと思う。出演”させていただく”旧来的な形では個人の主張は圧倒的に抑え込まれるのは当然のことだ。
――ハートは強い方ですか?
フワちゃん:とっても強いよ! あ! みんなができる強い心の持ち方があるから教えてあげる! それは、自分のファンになること。 あたし、フワちゃんのこと超好き!! これは本当に偶然だけど、自分の好きなタイプと自分自身のタイプがたまたまドンピシャだったの! 幼馴染みのアイツが、まさかの「運命の人だった」みたいな感覚! みんながもし自分のことそんなに好きじゃなくてまだファンじゃない場合は、自分に有利な項目だけのレーダーチャートを作ってみて。たとえば「人に優しい」「ペットが懐く」「美味しいお店を知ってる」とか! 有利な項目だけだとぜ~んぶ満点になるから、自分の満天の魅力に気づくよ! こういうのって、一度ファンになっちゃいさえすればもう嫌いにならないしね。アイドルもそうだけど、推しのカッコ悪い姿を見たからって嫌いにならないじゃん。それも含めて好きだから! そうなれば誰でも無敵だよ!!!
アメリカでの生活が今のフワちゃんを作った? “大好きな自分”を語る
セルフケア、セルフラブ。そしてボディポジティブ。どれも大切な標語だ。自分を認めてあげることは現代に欠かせない価値観の一つである。それを身をもって体現しているのはフワちゃん自身だろう。
ただ、それが多様性を享受し世間に認知を広めている人なのかというと話は別だ。ここをごっちゃにすると俄然解像度が低くなる。
非常にいいサンプルがある。
約5万人が集まる早稲田大学には、個性的なメンバーが多く在籍しています。そんな中でもひときわ目立つのがここ、便利舎。思い立ったらまず行動でやりたいことをカタチにしていくプロ集団と言えるサークルです。<中略>うちのサークルは本当に自由なんです(笑)みんなでアイデアを持ち寄って、サークル内でプレゼンコンテストを開催して、その中で一番人気だった企画がそのまま実行されます。<中略>自分の好きなものを企画に繋げるという意識は共通してあると思います。せっかくなら楽しいことをしたほうがいいですし、自分の好きを繋げた方が企画自体も楽しくなると思うんです。だからこそ自由な風潮があるし、のびのびと自分の考えをカタチにできる場所だなと感じます。<中略>色んなサークルとしての多様性は早稲田イチだと思っています。面白いものを作りたいという人はドシドシ入会してほしいです。
【企画集団便利舎】学生生活、やりたいことを実現する(2022)
好きなことをする、自己表現をする、は多様性と呼ぶにはあまりに薄っぺらすぎると思う。このサークルは実際、フワちゃんの影武者を選定するコンテストを実施しており、フワちゃんの個性や自己表現に共鳴している部分がある。自分次第でいくらでもどうとでも表現できる自由さと立場を持っている人間の多様性はすごく一部的なものだ。
多様性は主張したり押し付けたりするものではなく、受け入れるものだと思う。誰か自分らしくいられない時、生きたいように生きられない時、社会が享受することでそれぞれの生き方を肯定すること。たしかにフワちゃんは自分の生き方は個性だと主張するし、そして今の社会はそれを受け入れようとしている。だからこそ青山テルマや指原莉乃、アンミカといった人たちと共鳴しあう。きっとフワちゃんが誰かの表現を差別することはないだろう。
だとしたらなぜ彼女は誹謗中傷したのだろう。それは彼女の強者の理論が影響したのではないかと思っている。
同番組は名門校に潜入し、強豪部活の“強さの秘密”を探るといった内容。学生時代にバスケットボールに打ち込んでいたフワちゃんは「実はあたしもゴリゴリの部活出身。ルール無用フリーダムキャラみたいなノリでやってるくせに、未だにふと(体育会系な一面が)出ちゃうときはある。だから今回のVTRは正直共感の嵐でめちゃくちゃ面白かった」と恥ずかしそうに明かす。アメリカ留学の経験もあるフワちゃんだが、「自由だし海外っぽく思われがちだけど、やっぱり根底のノリはジャパニーズ部活スタイルだね。あの日本伝統の部活動を経験したからこその言葉で表せない“部活っぽさ”みたいなものが身についてるね。だから今こうして日本の芸能界になじめたり、ガチでキレられるみたいなことが無いのかも」と現在も部活動の経験が生きているとした。
フワちゃん、ブレーク理由を自己分析 養成所時代の苦悩「絶対にあたしは面白いはず」
日本の部活動、いわゆる体育会系。飛躍すれば今Xで彼女を評価する”陽キャのいじめっ子”というフレーズは遠からず当てはまる部分があるのかもしれない。
ヒエラルキーが明確に存在し、自分の上下を定める体育会系は確かに多様性とは相反する姿勢ではある。そうした「いじってもいい相手」を見定め、卑下し、おちょくることを是とするのはどうしても容認できない。
もう一つ、フワちゃんの友達、アンミカからも世間の多様性の認識の薄さについて考えてみて終わりにしようと思う。
アンミカはとある番組で松丸亮吾に対し、「男らしさって、別れに出んでえ」と忠告した。
さらに交際女性との破局の瞬間について「普通に『別れる?』みたいな。LINEで『別れよう』でしたね。直接別れようって言えたことないですね。たぶん僕、その場で耐えられる気がしないというか、正常な判断ができる気がしない」と明かした。このVTRを見ていたアンミカは「松丸君の“動物性の色気”みたいなものが見えにくいんちゃうの?」と疑問。さらに「男の責任感は別れに出る」としながら、「別れのとき、嫌われてても振るときでも『今までホンマありがとう』って言って」とリクエスト。さらに「(自分の中で)『愛してたけどここ至らんかったとか、自分は無理』っていうことは見合わせてみることがその人も次に生きる」としながら、「男らしさって、別れに出んでぇ」とコメント。この言い方にスタジオは大爆笑だったが、アンミカだけは至って真面目だった。
アンミカ、LINEで別れを告げる松丸亮吾にダメ出し「男らしさって、別れに出んでぇ」
アンミカと言えばポジティブ、セルフラブの女性として認識されているが、だからといって多様性に理解がある人とは限らない。こうやって、男らしさの強要し、多様な生き方はあくまでも彼女たち自身が認めるもののみ、という視点はいつだって危うさがあると認識しておきたい。
アンミカさんに一喝される3コマ漫画 pic.twitter.com/cPMwaNw9To
— 松丸 亮吾 🍥 (@ryogomatsumaru) July 28, 2022
自分らしさ、個性、ポジティブ、セルフラブ。それらは素晴らしい概念でありワードであっても、多様性を担保するものではないということは常々に思っていたい。