oasisが再結成し、そしてついに日本公演が発表された。東京ドームで2days、足りないという声が多いのはどれだけその存在が大きく待ち望んでいた人が多かったことの証左だ。

私のoasisとの出会いは・・・と個人的な思い出を語る前に話しておくと、oasisのような熱狂的なファンが多いバンドは、他のバンドに比べて出会い方もまた衝撃的な人が多い気がする。要はじっくりじわじわと好きになっていくんじゃなくて、あるどこかのタイミングで衝撃的な出会いをした、という。安直な言い方をすれば「雷に打たれたような衝撃」とでもいうだろうか。友達がカラオケでwonderwallを歌っているのを聴いたとき、先輩から一回聴いてみろとDefinitely Maybeを渡され家で一人で聴いてみたとき、友達がoasisのコピーバンドをやっているのをみたとき、youtubeを徘徊していた時にたまたまライブ映像を観たとき。様々な出会い方があるがその一撃で虜になった、という経験は多くの人にあるだろう。じわじわ好きになることよりも衝撃的な出会いを経験した人の方がのめりこみ方はやはり大きく異なるはずだ。特にこのバンドはカルチャーやファッション、ライフスタイルまでが模倣することができ、やはり私もその影響下からは逃れられなかった。

もうひとつ大切になるのは、いつ、何歳で出会ったか、という要素。別にいつ何歳で出会ったからといっていいも悪いも当然ないが、個人的な思い出を語る時はやはりその前提も教えてほしい。94年に15歳の人がoasisにハマった話と、2010年に18歳が出会った話は全く別だし、同じ「衝撃的な出会い」と言っても受け止め方は異なる。

私はそういう個人的な思い出を聞くのが好きだ。私がwonderwallを聴いたときと他の人が聴いたとき、音源は同じでも脳内でかけめぐる映像や言葉に出来ない感情は異なっている。「めっちゃいいよね!」と伝えたところで伝わっているようで真では伝わっていない。当たり前のはなしだが、その誤差ってすごく大切な気がする。だからできるかぎり言葉を尽くして自分の音楽体験を伝えようと試みるし、理解しようと耳を傾けてみる。自分の似たような経験を思い出しながら当てはめて”なんとなく”わかったつもりになる。どうして40歳で突然好きになったの?どうして失恋した時に聴いたらハマったの?どうしてそのアルバムを手に取ったの?どうしてその曲をコピーすることになったの?質問は尽きない。

私は、衝撃的な出会いというよりはじわじわ好きになった方だ。解散した時は名前くらいしか知らず、近くのTSUTAYAがポップで「電撃解散!!」と書いてベストアルバムを並べていたのを思い出す。本当に気づいたらどっぷり好きになっていて、イギリスまでいってpretty greenの店舗行ってシャツやらジャケットやらを購入した。あの店舗の店員さん、優しかったし色々話してくれたのでよく覚えている。すぐに着替えてその足でロンドンを堪能して、アビーロードにも行ったりして、「そのシャツ良いね!」と外国人特有の気軽にファッションを褒めてくれる文化に恥じらいながらも舞い上がるような気持ちになったり。ビートルズの事全く知らないのにリバプールまでビートルズ博物館に行って、ビートルズのこと知らないのにビートルズのパーカー買ったり。当時24歳くらいかな?すごく濃い経験をして、イギリスは絶対に人生でもう一度行くと決めている場所の一つだ。

話は脱線したけど、こういう思い出ってどんどん語っていきたい。ためらうことなく「いや、私なんかぜんぜん他の人に比べたら大したことないです」と謙遜することもなく好きを言葉にしたい。来日ライブの情報が流れたとき、本当に待ち望んでいた本当のファンにチケットが当たるようにしてほしい、とつぶやく人を多数見た。本当にそう思うが、じゃあ本当に待ち望んでいたファンとはだれのことを指すのだろう。豊富な知識をもっている人がよりライブに行くのにふさわしい人なのだろうか。全ての楽曲を歌える人の方がふさわしいのだろうか。知識もないし歌えもしないけど毎日頭の中で彼らのことを思い浮かべ恋焦がれている人はライブに行く優先度は低くなるのだろうか。

その人のバンドに対する想いは様々で熱量も一つの尺度で測れるものではない。だから、謙遜など必要なく、堂々と好きだと言っていきたい。その時、なるべく手垢のついた安直な表現ではなく、できる限り自分なりの言葉で、紆余曲折しながら、あーでもないこーでもないと思い悩みながら紡がれる言葉は「本当に待ち望んでいたファン」の何よりのリアルな言葉だと思う。