親という存在

「好きな音楽は親からの影響が少なからずある。」

そういう人は多いと思う。ミュージシャンなんかもよくインタビューで「小学生のころから父親と一緒にビートルズのレコードを聴いてました」と答えているのを聞く。家庭環境は人によってさまざまだが、一番身近な人間なのだからその影響はやはり無視できない。
私も、その一人かもしれない。といってもそれほど多大な影響を受けたつもりはないし、それを大層に語るつもりもない。そこまで音楽が大好きな一家でもないし。私が音楽に興味を持ったのも、親の影響ではない。ただ、人生を振り返った時に、ところどころで親の音楽がちらつくことがある。大学生の時に、母親と一緒にマイケルジャクソンの「This is it」をみたこととか。姉の部屋に忍び込みこっそりAvril Lavogneの当時の最新作「Let Go」を拝借して聴いた事。父親こそ山口百恵を愛しすぎるだけの寡黙な男ではあるが、よく話す母親は洋楽が好きでたまらない人間だった。一方で昔から邦楽は一貫してバカにしているところもある。クラシックはそれなりに好んで聴くが、邦楽は聴かない。山下達郎と宇多田ヒカルは聴くことはあっても、YOSHIKIのオーケストラコンサートにはブちぎれて帰ってくる。ジャーニーとスティングとマイケルジャクソンが好きなだけの普通の母親だ。でも一番その母親をすげえと思うのは、古い曲を一切美化せず、聴き直さないということ。


今の音楽を知りたいと思う事

大学生の頃に「Tunein Radioってアプリで海外のラジオ聴けるらしいよ」と母親に教えてあげて以来、ずっと熱心に聴いている。料理するときも、一人で字を書いている時もそのアプリで最新の音楽を聴いている。母親曰く「昔の曲をありがたるなんて意味が分からない」「そんな古くさいセンスいやだ」らしい。素直に感心する。私も最新の音楽を追うのが好きで、あまり古い音楽をさかのぼったりしない。だからその意見には深く賛同する。

“音楽好き”というと大抵は古い音楽に精通している事が前提となりがちである。むしろ最近のヒットチャートなんか知らなくてもそれは汚点にならない。「最近の音楽はわからんわあ笑」と言えば逆にちょっと音楽通ぶることすらできる。2018年になっても音楽雑誌の表紙はレッドツェッペリンだしプリンスだしビートルズである。眩暈すらしてしまいそうな光景だが、音楽好きとは大抵はこうである。古い曲を礼賛し続ける。それを母親は真っ向から否定する。なんてロックだ、と個人的な価値観では感じる。


まあさすがに60手前だし、時間も限られているうえにそんなエネルギーもないので、普段は聴き流しているだけのようだ。たまに好みの音楽があればメモして私にそのメモを見せてくるくらいで。これは有名か?、と。なので好きなアーティストは割とミーハーでもある。テイラースウィフトにザウィーケンド、ケイティペリー、マルーン5。あとはアーティスト名ではなく、曲単位で好きになる。従ってたまにめちゃくちゃマニアックな音楽を好きになってたり、古いアーティストの曲を好きになってたりする。なんのバイアスもなく、ただ純粋に好みである曲だけを探していく。その姿勢にはただただ頭も下がる思いだ。
そして実家に帰ると必ず洋楽情報を聴かれる。最近面白い音楽はあるか、来日公演はあるのか、など。なので私もちゃんと母親のお眼鏡にかなうような曲をいくつか用意する。私のどんなリアルな友達よりも最新の音楽の話をする。そして無類の邦楽嫌いをちょっとでも解消できないかと、ちょっとずつ邦楽を放り込む。おかげでBUMP OF CHICKENだけは多少認めてもらえているようだ。


よく、人は30を過ぎると新しい音楽を聴かなくなる、という研究結果が出たなんて記事を見かける。真偽はともかく説得力はある。良いと思えるかどうかも分からない曲をわざわざ探しにいって時間割いて聴いて、って作業はとかく疲れる。それなら昔から大好きな、あの青春時代を彷彿させる往年の名曲を聴いた方がリスクはないし、徒労に終わるなんてことはない。でもそれじゃ刺激が足りない、と感じる奇特な人間なんだと思う、母親は。そりゃ見た目によらず急に過激になって「邦楽なんてクソ」「古い曲聴くやつはクソ」と偏見まみれの暴言を吐くこともある。典型的な洋楽コンプレックスじゃないか、といわれればそうかもしれない。それは親子共々その節があるので自覚している。ただ、常に新しい発見を求めようとする姿勢は素直に「これぞ音楽好きだな」と感心してしまう。”本物の”という言葉を使うのは憚れるが、極めてそれに近い感覚を覚えている。

好きなものが好きな自分が好き

音楽なんて娯楽なんだし、好きに聴きたいものを聞けばいい、というのはもちろん正論だし、それで構わないと思う。ただ私にとって音楽とは自分のセンスであり、自己表現の一つなのだ。曲を作るわけでもないけど、何を聴いているかで人はどんなセンスかを判断するし逆も然り。だから自分が聴く音楽はセンスがいいと思って聴いている。だけどたまにそれはバカにされる。「音楽が好きなんじゃなくて好きな自分が好きなんだろ」と。その通り。それで何が悪い。確かにそれで他人に押し付けたりバカにしたり誇示するのは痛々しいが、自分が聴いている音楽に誇りを持たないでどうするんだ。
聴き方なんて制限したり指定したりしたくない。よく「ルーツを辿れ!」と憤る人がいるけど、好きなアーティストの好きなアーティストを好きになれるかなんて全く別次元の話で、そんなの気にしなくたっていいと思う。ただ、新しい物を探すことだけはやめないでほしい。少なくともそのコンテンツを好きだと言い張るなら。古いのでも新しいのでも、「なんだろう」「何があるんだろう」という好奇心はカルチャーを育てる芽となるから。実家に帰ってまた微妙に古い音楽を最新曲かのように紹介してくる母親を見てそんなことを思った。