このブログを始めるにあたって肝に銘じていることがある。
①お金をもらわない限りは好きも嫌いも誰に制限されることも忖度することもなく率直に言う
②批判するときは慎重に、差別などはしない、嘘は書かない、音楽以外の外見や出自などの個人に関する名誉を傷つけない。
③アクセス数には正直でいる事。「読まれなくてもいいや」みたいな逃げはしない。

この3つが大きな軸になっている。いいものはいい、よくないものはよくないと言いたい。だってそれが個人ブログだから。誰かから依頼を受けてお金を頂戴した時はそれに限らないけれど、そうでない限りは自由に言いたい。誰かからの批判を気にしたり、ゴキゲンを伺うために嘘はつきたくない。そしてアクセス数には貪欲でいたいけど上記の3つを破ってまでは読まれたくない。これはわがままでも見栄でもなくただのポリシーだ。

今の話はあくまで私の指針であり今から話すことに直接結びつけるつもりはない。

最近音楽ブログを徘徊してると、どうも似たような表現が目に付く。それが「アメリカンジョークスタイル」だ。これは勝手に今私が命名したので、その内容を説明したい。
まずはそれを感じたブログがあるのでどうぞ。

というわけで、一通りアルバムの中身を評させてもらった。
え?話を聞いていると、このアルバムに悪いところなんてないのではないかって?
いや、それがひとつあるんだよ。
え?どこだよって?
実はこのアルバム、先ほども見てきたように、どこをどう切っても良いアルバムで、捨て曲がないのだ。
つまり、一度このアルバムを再生をしてしまうと、止めどころを失ってしまうのである。
こっちだってサラリーマンである。
それなりに忙しいわけだ。
隙間時間のなかでやりくりしながら音楽を聴いているわけである。他のバンドだって聴きたいわけである。
なのに、このアルバムを再生すると、他のバンドに移行することを許してくれない。
耳をぐっと掴んで、離してくれないのだ。
一曲聴いたらもう止めにするぞ!って意気込んでいても、気がついたら3曲くらい普通に聴いてしまうのだ。
これが、このアルバムの悪いところだ。

このブログを読んだ私のツイートを一応あげておく

要するに「今から悪いこと言いますよ~」という感じで始めて、最後には「悪いことはこのアルバムの止め時が分からない事」をオチにしているのことを指している。なんか肩透かしを食らったようで読後、スン、となる。これはアメリカ人が「君は罪な女さ。なぜって、この僕を恋の病にさせたんだからね、ハーッハッハ!」とジョークをかますのに似た、”究極のネガティブこそ最大の賛辞”スタイルである。もちろんこの言い回しはとても有効的で、自分の愛している気持が「好き」だけでは伝わりきれない時に使うと上手く届く。私も使う事はある。でもそれはたまに使うから有効なのであり、これが常套句化すると途端に陳腐になる。あるいは、本気で反論を期待していた人には物足りなさが生まれる。

ひとつ言い訳させてほしいのは、このブロガーさんを決してけなしたいわけではない。彼がこのアメリカンジョークスタイルをいつも使っているとは全く思っていない。むしろいつも楽しく読ませてもらっているし、すごいなあと尊敬する事ばかりだし、このブログを取り上げてもらったおかげで大きくハネたこともあった恩も忘れていないし、褒めてくださったときは1人で部屋でガッツポーズなんかもしたりして。だけどやっぱりそこに忖度したくない。お世話になっていてブログの実力もセンスも人気も何一つ敵わないから全部褒めておきます、なんてことはできない。多分会社ではうまくやっていけないタイプだ(今のところそのような弊害はないが)。

集中攻撃になるといけないので他の人のも。

冒頭で「もう少し頑張って新曲を作って欲しかった」と書いた。

しかし、 back numberは楽曲制作には手を抜かずに頑張っていた。アルバムのための書き下ろし曲は少なかったが、収録されている楽曲はどれも制作に手を抜いていない。名曲ばかりだ。

アーティストは魂を込めて楽曲を制作しているはず。リスナーが想像する以上に制作は大変で時間がかかることなのかもしれない。『MAGIC』の収録曲は1曲1曲のクオリティがどれも同じぐらい高い。シングル曲もカップリング曲もアルバム曲も同様のクオリティ。

このクオリティを維持してアルバムを制作するには、アルバム用の新曲が少ないことも仕方がないのかもしれない。1曲の制作にかなり時間をかけていたのではと思う。文句を言いつつも、今作は傑作だと思うし、素晴らしい作品だと思う。良い作品だからこそ、よりわがままを言いたくなり、多くを求めてしまうのだ。

こちらも音楽ブログの中では相当アクセス数あるんじゃないかと思われる人気ブログ。back numberについて書いているのだが、タイトルが「もう少し頑張って作ってほしかった」とネガティブに始まっているのに対し、中身の批判は「新曲もっと入れて」と「写真写り頑張って」にとどまり、肝心の音楽についての批判は一切なかった。いや、それほど素敵なアルバムだったと感じておられるなら別に問題ないし、このブログが言う通りback numberはれっきとした良質なロックバンドだと私も思う。だけどやっぱり私はそのタイトルなら、なにかしらの苦言の一つはあると思ってしまった。あ、このパターンね、と納得する。

どちらも、若い邦ロックファンから絶大な人気を集めていて、ある程度はその人たちの期待に応えるブログづくりも必要かもしれない。彼らに限らず私だって自分の好きなバンドをほめられると嬉しくなる。それはそうなんだけど、その言い回しでみんなは本当にうれしいのだろうか。私は自分の尊敬する人なら多少自分の好きなバンドは悪く言われても受け止められるけど。そうはいかないんだろうか。

事実、わたしのブログにもやっぱり批判コメントは来る。まあ少なくとも自分で検索してそのタイトルでクリックして読み切ったうえでキレてくるのは中々面倒くさい人たちだなあと思って眺めているが。

おそらくみんな誰かしら影響を受けたブロガーとか作家とかコラムニストとかいると思う。私もいる。文体は色んな人がいるけど、形式として好きだった音楽サイトは「ザ ローリングサンダー」だった。惜しくも閉鎖されてしまったけれど、過去の名作だろうと何だろうと適切に厳しく忠実に褒めて貶した。こんなに丁寧にそして愛情深くちゃんと深く考察して、どんなに評価を高くしても必ず一つはダメなポイントを挙げていたサイトはこの他になかった。そういう姿勢こそ音楽を愛する人間の美しい姿なんだって思った。もちろん、なにかを批判するには相当な知識と作品への理解がないといけない。へたに物を知らずに批判すると、とんだ的外れな指摘になってしまい顰蹙を買ってしまう。私には到底できない芸当で、ただただその豊かな言語力と揶揄表現にうっとりとしていたものだ。

どうやって音楽の良さを伝えるかは永遠の課題だし、私なんかが新しい技を編み出せるはずもない。だからだれかが作った表現を拝借する。このアメリカンジョークスタイルもそうだし、basement- timesだってひとつのスタイルを確立させた天才集団だと思ってる。だけどそれに頼りっきりはやっぱり嫌だ。だから私はあえて「褒めないブログ」をやっている。そんなもの、人の共感を呼ぶものではないし、やっぱり愛に溢れたものが多くの人に読まれてシェアされるに決まっている。だけれど、その浮ついた、といえば失礼かもしれないが、なれ合いにも近い、何やっても何出しても褒めしかしないブログって人間味を感じない。クソなものは批判覚悟で「クソだ」って言ってほしい。上に挙げたお二人も深い愛と多くの知識を持っているのは知っている。すぐに知識ひけらかしたがる私より洋楽も知っているし邦楽も知っている。だから絶対「クソだな」って思うアルバムにも死ぬほどで会っているに違いない。私はそれが読みたい。それも忌憚なく書いて、そしてそれもシェアされるブログがいい。邦ロックが好きな子がそういうのをどう思うかは知らないけれど、彼ら彼女たちだってきっと同じ意見のはず。もちろん私が他人のブログの方針に口出しする権限などないけど、この表現って音楽ブログをしている人によくあるよなぁって日々感じる。正直飽きた。

褒めるなら「ローリングサンダー」のような、あんな音楽サイトがまた見たい。あんなに素晴らしいサイトがなぜ残ってないのか、木っ端微塵に消え去ったのか。悲しくてならない。私が作ってやろうか。ライターを募って。それくらいあのサイトは神だった。

あれ、オチが変わってしまった。