どうせこうなんでしょから始まる血祭り

物事の是非について語るとき、本当にそれがきちんと語れているのか再検証する必要な場面ってのがままある。結論ありきで話してないか、議論する人間が偏っていないか、とか色々あるけど、今回再検証したいなあと思うのは、「本当に相手の気持ち(心理)を理解しているか」という点についてである。意外とそこ、わかってるつもりでそうでもない事ってあると思う。「どうせあなたたちはこう思ってるんでしょ!」という勝手な推測は危険だ。


結構そのことについては過去にも語ってきた。例えば「音楽に政治を持ち込むな」問題。あれは仮想敵を作って音楽好きの知識と歴史観をもって叩きのめすというちょっと異様な構図だったのもあったが、それを口にした人たちの本当の気持ちはないがしろにされていた。
まずは「音楽なんて昔から政治的なものだ!」「ビートルズはどうなんだ!」と反対派の主張ばかり繰り返された。そして「最近の若者の政治離れ」だとか騒がれた。でも「音楽に政治を持ち込むな」を言い始めた人がどう思っていたかは知らないが、そう思う少数派の人たちは、決して政治が嫌いなわけでもなんでもなくて、自分の好きな音楽を聴いている時くらいは政治的な要素がないほうが楽しくていいじゃないか、というシンプルな発想だったと思う。それはそれ、これはこれ。刹那的な快楽主義だと言われればそれまでだが、その音楽観は割と共感する。私も限定的な意味で「音楽に政治を持ち込むな」に賛成する。

こうやっておおかたの予想で少数派の意見は封殺される。ありもしないことをでっちあげられ血祭りにされる。だから再検証する。

ライブ撮影問題

先日、スカパンクバンド、HEY-SMITHのボーカル猪狩がこんなツイートをした。

ライブの撮影は日本では多くのところで禁止されている。禁止だと運営側が言うのだからまず論外であるという主張は一応形として残しておく。しかしいったんその大前提は脇に置いといて、そもそもなぜ撮影がダメなのかと、なぜダメと言われているのに撮影をするのか考えてみたい。考えつくされているように思えて、意外とみんな同じ話しかしないのでここで整理する。

ライブ撮影がダメな理由

演者側の理由
  • 権利関係がややこしい
  • これはもうどうしようもない。私にも詳しいことは分からないけど、ここを認めるとすごーく法律としても契約としても面倒なので、一律禁止にする。これはすごく当然な判断だけど、こんな時代にめんどくさいから全部だめ!!ってのは少し思考停止な気もする。だって一人一台カメラを持ってる時代に撮るなって、よく考えたらまあまあ無茶な事言っている、そのことに気付くべきだとは思うけどまあややこしいから!!はわかりやすい理由だろう。

  • スマホを向けられるとテンションが下がる
  • 特にエモーショナルで”心と心を通わせる”ことをモットーにしているバンドとかにありがちな現象。これも仕方がない。嫌なものは嫌なんだ。それを「時代だから」と説き伏せるのはおかしな話。今回のヘイスミのボーカルはこれが当たるだろう。演者だって仕事とはいえ人間。ヤなことされると冷めちゃう。

    ファン側の理由
  • ライブは生で体験するものだから
  • これが一番ファン側の意見として多い。もちろんその通りで異論はないのだが、ここに相手の心理を誤解している部分があるように思う。
    主な意見としては「生で観るからライブ!スマホ越しに見るなんて本当に楽しめていない!」「Youtubeで観ればいい」「プロのカメラマンが撮ってくれる!」がある。一つずつそのずれについて考えてみる。

    まず「生で観るからライブ!スマホ越しに見るなんて本当に楽しめていない!」は非常に微妙なところだ。そもそも本当に楽しむとはなんだろうという議題から始めなければならない。その人が何をもって本当に楽しんでいるかなんて当人にしか判断できない事である。激辛料理を咽ながら汗かきながら苦しそうに食べている人に「そんなの本当に料理をたのしんでいない!」と糾弾する人がいないように、楽しみ方はひとそれぞれである。そこにわざわざ介入してきて「お前はスマホ越しに見ているから楽しめてないぞ!」とクサされたときの方がよっぽど楽しめない。台無しである。
    今回のヘイスミのような暴れることこそが醍醐味のバンドとなると多少話は変わってくるが、まあいずれにせよ暴れたい人もいればヘイスミを聴いても暴れようとは思わない人もいるのだろうし(知らんけど)、結果、楽しみ方なんてひとそれぞれである。”本当の”なんて言葉は大抵押しつけがましい幻想である。


    「Youtubeで観ればいい」は、撮る側の心理にも関わってくる問題だ。撮る側がなぜ撮るのかというと、youtubeじゃ意味がないからだ。自分が参加していない、自分の位置から撮っていない映像では意味がない。自分がそこにいて、そこで撮った映像だから価値がある。
    3つ目の、「プロのカメラマンが撮ってくれる!」にも通ずるが、はっきり言ってこの主張はあまりにバカすぎる。そういえば数年前にプロのライブカメラマンがそんな発言していたが、何にも撮る側の気持ちが分かってなくて、それでいて「ライブ撮影は私たちに任せてください!最高の写真を撮ります!」」とか言っちゃっててあいたた。彼らは旅行先で世界遺産を撮ろうとしたときに「いえ!ここはプロのカメラマンが撮影したガイドブックがあるのでご安心を!」と言われて納得するタイプなんだろうか。自分が撮るから意味があるのでは?だとしたら東京タワーなんて撮る意味ないしきれいな海とかほんと容量の無駄遣いでしかない。
    もちろん、今の話は全て「禁止されている事」という前提にもとづいて話している。

    ライブ撮影したい理由

    では改めて、なぜ撮影したいのかを書く。私は許可されたらそれなりに撮る派なのでこの意見はわりと賛同してくれるのではと思っている。

    撮る側の理由
  • 後日見返したい
  • あの最高のライブを家のベッドで寝る前に、出勤中の電車の中でニヤニヤしながらみたいから撮る。別に誰に披露するでもなく、自分の宝物として。

  • プロの写真家では意味がないから
  • 先ほどにも言った通り、自分が撮ったからこそ意味がある。どれだけ画質が荒くても自分が撮ったことに価値を感じる。

  • アップしてみんなに広めたい
  • こんなとこに行ったよ!と言いたいから。

  • アップして自慢したい
  • こんなに良いところで観たよ!とか、この曲聴けたよ!という自慢。

  • ライブバージョンを聴きたい
  • CD音源にはないライブならではのソロやアレンジがあるのが聴きたい!という欲望のために。

  • 撮っていてもなんら邪魔になっていない
  • 撮ることで肝心のライブがうまく見れなくなったりストレスになるんだったら最初から撮るのを諦めている。撮り続けられるってことは、ちゃんとライブはライブとしてその一回限りのイベントを楽しんでいると自負していることを意味する。

  • アップして回数稼ぎ、小銭稼ぎ
  • この辺は私にもわかりかねる領域なのであまり触れない。

    こんな感じだろう。大事なのは「当人はちゃんと楽しんでいるつもり」だということ。私も撮影はしてもスマホ越しじゃなくてちゃんと目で見てるし歌はちゃんと聴いている。暴れたくなったら撮影どころじゃないので当然撮影はしないで大合唱して踊り狂う。そこは使い分けている。ヘイスミのライブは行ったことないしあのジャンルは一切見に行かないので参考程度かもしれないが、もしあの場にいたら、撮影はしないと思う。だってあんな激しい音楽絶対踊りたいし。撮影が気になっちゃうからそれは本末転倒だから撮らない。それって普通じゃない?


    簡単にまとめてみる

    まず今回に関して言えば、撮る人がいけないのは明らか。運営がダメだというならダメ。まあそれでも「世界の流れと逆行している!こんな時代に撮るなだなんて無茶だろ!そのくせお前らはすぐセルフィーするくせに!」と激しい憤りを感じていて、この凝り固まった業界を変えなきゃだめだ!と強く思うのであれば、あえてルールを破っていくことでこの業界をこじ開けていくやり方もなくはない。



    でもミュージシャンがこんなにテンションを下げ、アンコールすら放棄してしまうのなら、それはよくない事だと思う。やっぱり好きで観に行ってるんだろうし、その好きなバンドが自分の行いでテンション下がってしまうなら誰も得しないしみんな不幸だ。それにファンなら彼が何に怒り、何を嫌うかくらい把握しておくべきでしょ。それでも撮影を禁止する姿勢が気にくわないなら悲しいけどファンを辞めるか二度とライブに行かないことだ。あくまで彼らのライブであり彼らがルールなのだ。


    でも日本のバンドマンやライブハウスに入り浸るラウド系、ハードロックとかが好きなロック好きの人たちも「生で観ることこそが至高で美徳であり、最良の楽しみ方」という幻想に囚われてもいけない。「それ以外の楽しみ方は邪道!」と切り捨てたがるが、果たしてそうだろうか。もちろん生でスマホなんかに気を取られず真剣に食い入るように見ることがめちゃんこ楽しいのは理解している。
    こんなこと言いながら私も圧倒されるライブの時は思わず撮影を忘れてしまうものだ。またあるときは、「この瞬間はスマホには残さない!あえて今だけの思い出にしたい!」みたいな思想に駆られる時もある(ノエルのdon’t look back in anger歌唱シーンの出来事である)。ということでなんだかんだ言って私も「本当に音楽にのめり込んでいるときは撮影しない」派なのだ。あれ、矛盾しだした?


    でもだからといって撮影している時が手を抜いている時でもない。楽しみ方が違うだけで、シーンが違うだけだ。暴れるときとか一音も逃せない時と違って、その場の雰囲気も楽しみたいときとか、その後に見て楽しめるメリットも考慮した時に撮った方が得だなと思った時にも撮影はする。それだけの話だ。本当に音楽を楽しんでいるとか、本当のファンじゃないとか、そんなものはない。みんな個人の楽しみ方がある。


    だから撮影否定派の人は、撮影しているやつは本当のファンとかそうじゃないとかは関係ない。



    そして撮影肯定派の人は、マナーとルールを守って演者の気持ちを汲み取って適切に撮影しよう。

    です。案外普通の結論だね。
    ちなみにSNSで挙げられたライブ動画のせいで満足するからライブの足が遠のくって主張はたぶん違うと思う。だってあれで満足する事なんかないし、むしろああいう素人の動画見て「ああ!!俺も!!いきたいいいいい」って気持ちが増す。あれはもはやひとつのプロモーションでもあると思う。ま、いまだにyoutubeにワンコーラスしか動画を上げない日本に何言っても通用しないんだろうなあ。




    ちなみにこれは先日のエドシーランの来日公演で私が撮影したものです。