映画が好きで、それなりに観ているのだが、洋画と邦画のある違いに気付いた。
正確にはずっと前から気になっていたことを今回文字にしてみることにした。



日本の映画には音楽が流れない、というものだ。主人公は歌わないし街には流行のJPOPが流れないし、車や家で音楽を流さない。
もちろん、音楽が全くないというわけではない。まずは、音楽のある邦画を思い出してみてほしい。





どうだろうか。例えば今年流行った「天気の子」はRADWIMPSが全ての音楽を手掛けているし、そのつながりで前作の「君の名は。」とかも思い出した人もいるかもしれない。あとは最近だと「キングダム」はONE OK ROCKとか「愛がなんだ」ではHomecomingsなど、ほとんどの映画には音楽がある。
でもしれは全て主題歌だ。主題歌はあって当然である。では今度は主題歌以外の音楽が流れている映画を思い出してほしい。





私はすぐに「モテキ」を思い出した。あとは「リンダリンダリンダ」とか「ソラニン」とか「デトロイトメタルシティ」とか「Beck」とか「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」とかいっぱいでてくる。今年公開された「ダンスウィズミー」も往年の歌謡曲などが流れる。でも今挙げたのは全て、音楽がトピックになった映画ばかりだ。音楽の事にフォーカスした映画なんだから音楽が流れるのは当然だ。

じゃあ私の言う洋画にあって邦画にない「音楽のある映画」とは何か。いくつか挙げてみる。

昨年大きな話題になった「ブラックパンサー」はそのひとつだ。映画のために書き下ろされたとはいえ、ケンドリックラマーが主題歌から挿入歌まで手掛けている。しかし「ブラックパンサー」は音楽の映画ではない。また、「ムーンライト」にしろ「バックトゥザフューチャー」だってアクションコメディーの「ラッシュアワー」ですら音楽は流れる。私の好みで言えば「マミー」とか「きっと、星のせいじゃない」とか「500日のサマー」とか「キックアス」とか、数えきれない映画に音楽が使われている。主題歌でもないし、その映画のために書き下ろされた新曲でもない、ただの既存曲だ。

例えば、SFや異世界、戦国時代などの歴史もののでは流行の音楽を流すのは難しいかもしれないが(そりゃスターウォーズにテイラースウィフトが流れたら爆笑する)、そうでもないならむしろ音楽を使うのが自然ではないか。特に、少し前の時代を描く作品(2000年代とか)があったとして、それを象徴するような音楽一つ使わないで当時の街中や世間を表現する方が無理があると思う。なのに日本は平気でそうする。全然時代感がない。



海外の映画は、その音楽で暗にメッセージを届けようとする。
その曲の歌詞から映画の本質にせまったりもするし、もっとライトな使い方として、単なる流行歌として使う場合もある。曲を流さなくとも、セリフでアーティストに言及する場面も多々ある。日本はなぜかそれが圧倒的に少ない。音楽を題材にしないと音楽は流れない。




理由はいろいろあるかもしれない。私は業界人でも何でもないので、その理由が何かを言い当てることはできない。もしかしたら、やむにやまれぬ事情があるのかもしれない。ただ、素人ながら理由をいくつか考えてみる。

まず馬鹿でも思いつくのは「楽曲の使用料が面倒くさい」というもの。
契約におけるそのギャランティであるとか、そういったものが煩雑になるのを避けるために、なるべく使わないという方針。しかし、これが理由ならシンプルである。そんなこと言ってないで、より豊かな作品にするために努力惜しむな。で済むからだ。怠慢で話がつくなら楽だ。



とはいえ、それだけが理由なのは考えづらい。他になにかないか考えてみると、アーティスト側の意向もある。例えば、自身の楽曲がある作品内で使用されたせいで、余計なメッセージが付け加えられたリ、イメージが変化したり、望まない色がついてしまうことを避けている。あるいは、主題歌として提供しているアーティストに対して失礼とか商業的な影響を鑑みて自粛しているとか、残念ながら私にはその程度の事しか思いつかない。

ただ一つ言えるのは、圧倒的に少ない。洋画を多く見る人ならわかってもらえると思う。どんな映画でもすぐに芸能人の名前を出して、すぐに歌い始める。ビートルズを題材にした映画なのにコールドプレイをさらっとディスる映画もあるのだ。それくらいしてもいいと思う。
日本映画にそもそもあわないとか、作りたい作品はそういうのじゃない、というならもうどうしようもないのだが、シンプルにどうしてだろうと思ってしまう。
いつかどこかでこの理由を知るときが来るのを待ちたい。あと音楽流してほしい。