洋楽が好きです

この歳にもなると合コンの一つや二つは当然あるわけで(もっとあるわい)、そういう場では必ず趣味の話の時間が前半に訪れる。ここをどうスマートに乗りこなすかが音楽オタクとしての腕の見せ所である。
幸い、というと少し嫌味っぽいが、私は一般的な音楽好きより少し変態性と普遍性の両方を兼ね備えており(結果的にそれは変態である)、マニアックな話でもすごくライトな話でもいくらでも合わせることができる。KPOPだって、JPOPだって、邦ロックって言われても、洋楽って答えられても、ヒップホップとつっこまれても、アイドルと変化球が来ても、華麗にさばききる自信がある。
だから私は「音楽ですか?結構好きで聴きますね~ヒゲダンとか。ヒゲダンとか聴かれます?」と安パイを攻めてさっさとレシーブを返してしまう。相手の挙げてもらったアーティストを広げる方がよっぽど楽だ。




なんの話かというと、さっきもサラっと使用したが、そういう時に「洋楽が好きです」なんて回答が割とある。この「洋楽」。どうやら音楽好きからは避けられがちな単語らしい。

これらは私が「洋楽という言葉」で検索した中で該当しそうなものをチョイスしたものです。それ以上の他意はありません。あとあくまでツイート文の抜粋を意図したもので、ツイート主の本心かどうか(ネタなのか引用なのかなど)は、私の関与するところではなく、ツイート主の思想人格に言及する意図もございません。ご了承ください。
もしこれらのツイートをされた方々でツイートを使われる事にご不快であれば、コメント欄で削除依頼をしてください。対応いたします。

様々な拒否反応がある中で、大きく4つに分類してみた。

1.雑過ぎる

そもそも「洋楽」言葉が雑過ぎることに対して異論を唱える人がいる。言葉の始まり云々はさておき、一般的には日本以外の音楽全てを指すのだが、それはアメリカなのかイギリスなのか、あるいはアフリカやアジアも含まれるのか。さらにロックやポップス、ヒップホップなどありとあらゆるジャンルを含んでしまう。だとしたらあまりに地域とジャンルに幅があり過ぎて、何も語っていないに等しいではないか、という指摘。これは私も完全に同意する。「最近の洋楽はさ~」なんて物知り顔で語られたときにイラッとするのは私も想像ができる。それどこの国の話だよ、と。

2.排除が進む

洋楽、という言葉は邦楽があるから存在する。邦楽が「国内で生産され国内で消費されることを目的とした主に日本語で歌われた音楽」を指すのに対し、洋楽は「邦楽じゃない音楽」を指している。
そうやって”じゃない方”に名前を付けていくことは、差別を助長したり、誰かをどこにも属させない排除の方向に進む危険性がある、というもの。ここまでの極端な論者はさすがにいないかもしれないが、全体的な傾向としてこう名付けた。例えば、ガールズバンド、という言葉は私はここ数年使わないようにしている。ボーイズバンド、なんていわないのに、女性がバンドを組んだだけですぐにカテゴライズしようとするのは時代錯誤だと思うからだ。
これだけグローバルになり、自身の持つルーツも複雑になりつつある日本社会において平気で「これは日本人だから邦楽」「こいつは見た目外人だし英語で歌ってるから洋楽」なんてカテゴライズはやはり適切とは思えない。この点に関しても同意する。

3.対立構造を生んでいる

何かをカテゴライズすると、それと反対の言葉が生まれ、結局それが対立構造へと変化する。洋楽よりも邦楽が好き、といったように。洋楽と邦楽なんて比べるにはあまりに雑過ぎるし、それは何も知らないだけじゃないの?といった意見が出るのも理解できる。そんな二項対立する必要があるのか。アジアの音楽を聴きながら日本の音楽だって聴けるし、ヨーロッパのロックを聞きながら日本のアイドルを愛することもできる。

4.ダサい

単純にダサイ。そしてナンセンスだ、というもの。たしかに2つ目のところでも話したが、これだけグローバルな活動が可能になり、タイムラグなく世界の音楽を日本で聴くことができる時代に、いつまで内と外を分けてるんだ、という意見はもっともである。ナンセンスだ、ダサい、と言われても仕方ないのかもしれない。


“洋楽”を使う理由

私はこの4つ、どれもが凄く納得がいく。一語一句賛成かと問われると話は別だが、なんら異論はない。
だが、私は「洋楽」という言葉を使用している。毎月、「月間アルバムランキング」を実施し、年末になると「年間アルバムランキング」を実施している。そこでは「洋楽」と「邦楽」で区分し、それぞれ50枚ずつ選んでいる。
納得いくとか言っておきながら、結局使っているのかと呆れるかもしれないが、ここにはそれなりの理由がある。今度は私なりの「洋楽」を使う理由と、「洋楽」という言葉の利便性について弁護する側に回って書いてみようと思う。

私が年末のアルバムランキングで洋楽と邦楽に分ける理由は、単純に聴き方が異なるからだ。どうしてもサウンドの作りが根本から違う邦楽と洋楽では自然と耳の伸ばし方が変わる。さらに歌詞が否が応でも入ってくる邦楽と、頑張って聞いても半分くらいしか聞き取れない洋楽では、やはり印象の残り方も変わる。だからRADWIMPSとradioheadどっちが好きかと言われても本当に困る。評価軸が違うからだ。もうひとつは、洋楽と邦楽で分けた方がみんなが見やすいと思うから。こちゃ混ぜより、国内と国外で分けた方が、圧倒的に見やすい。それは観る側みんなにも「洋楽」「邦楽」の概念がしっかりと根付いているからでもある。

次に、世間一般的に「洋楽」が使われる理由を考えてみる

1.便宜上

冒頭でも書いたように、初対面の人と趣味の話になった時に、いきなり「リンキンパークがすきなんですよ」とか「細野晴臣が好きすぎてニューヨークまでライブ観に行きましたよ」とか言っても相手がリンキンパークや細野晴臣を知らなかったときの空気はみなさん経験はあると思う。そこで「洋楽とかすきですよ」とあえて便宜上幅広い言葉を使うことで、ジャスティンビーバーからピンクフロイドまで対応できるような言葉で相手の出方を見極めるための戦法をとるひともいる。
そこに深い意味はなく、あくまで一つの手段だ。

2.極力相手に寄り添うため

音楽好き同士の会話ならもちろん「洋楽」なんて言葉は使わなくても良い。はっきりとアーティスト名やジャンルを言えばいい。だが、この世の中は半数以上が音楽に興味の無い人たちで構成されている。比較的人数の多い趣味ではあると思うが、それでもそんなに音楽好きな人はいないし、あのアーティストが好き、は誰にでもあったとしても、だからといってジャンルが何かを知っているとか、類似アーティストを挙げられる人なんてそういない。そうした音楽の知識がない人と会話するときは「洋楽もいいよ」とか「洋楽聴いたことある?」とか「洋楽よく聴くんだ」といった表現をした方が、相手にちゃんと伝わる場合がある。言葉の細かな意味よりも、相手の事を思った言葉遣いの方が、私は大切だと思う(もちろん公的な場でそれはどうかと思うが)。


言葉は使い方次第

凄く当たり前の話に帰着するのだが、「洋楽」という言葉は使うタイミングと相手との関係次第だと思うのだ。相手に合わせる意味で使う思いやりの「洋楽」と、自分が音楽を語ったり評論したりするときに使う「洋楽」では受け止められ方も変わってくる。要するに私みたいな偉そうにブログをやっている分際で「ワンオクは洋楽だ」とか「最近の洋楽は」なんて語り口だとイラッとされるだろうし、いちいち洋楽とか言わなきゃ語れねえのか貴様は!と思われるだろう。

例えば音楽評論家である田中宗一郎氏はこんなツイートしている。

この指摘は重要である。そこは意識した上で、相手に合わせて意識的に使うことは可能だと思う。もちろん、この言葉が必要なくなる社会は音楽ファンにとってはワクワクするものだが。

また音楽ジャーナリストの柴那典はこう語っている。

柴:ここ最近、若い世代の日本のアーティストを「洋楽っぽい」とか「洋楽的な」という言葉で紹介してるのを見ると、ちょっと違和感を覚えるんですよ。
特にyahyelやD.A.N.、DATS、PAELLASのようなバンドが脚光を浴びるようになってから、そう感じていて。「洋楽」という言葉のイメージって1990年代まではちゃんと共有されていたと思うんだけれど、こういうアーティストたちの音楽性を形容するのに安易にその言葉を使うのって、今の時代に起こっていることが見えてないんじゃないかと。

やはり言葉を仕事にしている人たちはとても慎重な様子だ。そりゃそうか、とも思う。プロなんだから。

最後にまた自分の話に戻る。
今自分がアルバムを「洋楽」と「邦楽」に分ける理由は、見やすさ、わかりやすさを重視しているからだ。そんな区別する必要がないという意見はもっともであることは分かっていても、自分のブログを見てもらいたい人は、もっと幅広く、洋楽なんてほとんど聴かない人も含んでいる。言葉の厳密さよりわかりやすさを選ぶのが私の常だ(例えば破天荒や確信犯も、相手を選んであえて誤用の使い方をすることに躊躇いはない)。

ただ、それでも悩むのは悩む。もう今年から洋楽と邦楽に分けるのをやめ、混合でやろうかななんてことも考えている。なぜかというと、その区分があいまいになりつつあるからだ。

例えば、オーストラリアと日本のダブルルーツをもち、アメリカで活躍する日本人シンガーjojiは邦楽か洋楽か。さすがにこれは「国内向け」ではないので、人種は問わず洋楽だと区分けして異論を唱える人はいないだろう。

では、韓国のグループ、TWICEが日本デビューして日本語verの音源は邦楽か洋楽か。国内向けである事は確かだが、これを邦楽と呼ぶ人は少ないと思う。もう少し複雑になると、日韓合同のI*Z ONEは洋楽か邦楽か。国内と国外でリリースする曲が違い、雰囲気も変えている彼女たちをどうカテゴライズするのかは難しくなってくる。

もうひとつ言うと、国内で活動後、世界に飛び立ち、海外でレコーディングをし海外のレーベルと契約し、世界に向けて音楽を作る人は邦楽か洋楽か。そのカテゴライズのために、わざわざわどこのレーベルから発売されているか逐一確認する作業が必要になるだろう。

ここまで書いてお気づきのように「そこまでして分ける必要があるのか」と原点に立ち返ることになる。そんなに大事か。ナンセンスじゃないか。分けようとするから混乱が生じるのだ。
対立構造、とか、排除、にまで論点が及ぶと少しギスギスするし、決して「洋楽なんて言葉は滅びればいい」と断言するつもりもない。ただ、もう限界に近いのではと感じるのも確かだ。厳密に分類などできない。する必要もない。

もうすこしこのブログの表記は考えさせてください。あるいは、もうすこし自分を納得させてくれる人いたらツイッターで殴りこんできてください(@otakatohe)。

追記しておくと、自分自身、音楽友達が少なく、そんなコミュニティもない上に音楽に興味のない人たちで構成された交友関係が多いので、わりとそういう嫌悪感からは遠い、むしろ「洋楽」を積極的に使うコミュニティに日々属している人間だからこその考えなのかもしれません。
どうお考えでしょうか。