音楽好きな自分が好きなだけ

ときに音楽好きを揶揄する言葉として「あなたは音楽が好きなのではない。音楽が好きな自分が好きなだけだ」というものがある。

これはなんにでも代用出来て、映画やアニメ、特定の団体や人物などにも使用される。この言葉の真意は、そのものの本質には全く興味がなく、「好き」と言う事をステータスにしている人たちをけん制するためにある。好きと言っている自分が崇高だたりハイセンスだったり、物知り顔になったりして他人より一つ高いステータスに立っている気分に浸っていて、まるでそのもの自体を踏み台にしているのが不愉快にさせてしまう原因だろう。

そのこと自体になんら疑問はない。確かに私も苦手だし、コンテンツを道具にして自分を優位にしている様は気に入らない。その大前提は共有したい。

ダサい音楽なんて聴きたくない

ただ、この言葉をそのまま受け止めると、私はむしろその気持ちこそ大切なのではと思うこともある。分かりやすくするために冒頭の「あなたは音楽が好きなのではない。音楽が好きな自分が好きだけだ。」を例として話を進める。

あるジャンル、例えばメタル、などは一般的なウケが悪いことがある。決してメインストリームではなく、むしろ一般の人からすれば「おじさん向け」「暑苦しい」「ダサい」なんてイメージを持たれたりもする。それ自体を変えることは難しく受け入れるしかないのだけれど、そういった音楽を好んで聴いている人たちは、決してそうとは思っていないはずだ。いや、ダサいことを受け止めていたり、実際にダサいと感じながら聴いている人がいたりするかもしれない。

ただ、本当の心の底では「それでもこの音楽がかっこいい」と思っているのではないだろうか。もっと言えば、だれしも「世間ではああいわれているけど好きで聴いてる自分ってかっこいい」って思っているのでは。あくまで予想だけど、自分は少なからずそんな面がある。

「好きな自分が好き」って音楽を積極的に聴く十分な動機だと思うのだ。特に音楽にのめり込んだ初期なんかはその気が強い。例えばビートルズを初めて聴いた時、ほんとは良さなんかちっともわからないけれど、「ビートルズ分かってる自分」を演じたくて無理に何度も聴いているうちに本当に好きになってしまったりなんてことはよくある話で、それも「聴いてる自分が好き」の衝動の賜物だと思う。

私もレディオヘッドを一年くらいはその気概だけで精神を保っていた。理解するんだと強く言い聞かせていると、いつの間にか摂取しないと死んでしまうドラッグのような存在になった。

誰だって自分の好きな音楽は本心ではダサいなんて思ってなくて、それが好きな自分、が大好きなはずだ。それが普通だし、むしろ心の底から「なんだこのクソダサ音楽、聴いてるだけで恥ずかしいわ」なんて思う音楽を聴くはずもなく。

そんな自分が誇らしい

本来の意図する意味とはズレる解釈ではあるが、表面的に受け取ると、なんら不思議でない現象だなと実感する。私は聴いてて恥ずかしい音楽なんて聴かないし、好きと言わない。自分の好きな音楽が最強だと思っているし、センスがいいと思ってるし、そんなセンスのいいバンドの良さが分かる自分はセンスがいいなと惚れ惚れしている。

冗談である。