前回ここにきた時ははコロナ禍で一席空けで少なかったけど今日はソールドアウトできて嬉しいです。
と最後にようやく想いを口にしたカネコアヤノ。怒涛にして圧巻のライブの後のさっぱりした物言いは、さきほどの禍々しさすらある余韻を中和していた。
カネコアヤノがkanekoayanoと銘打って最初のツアー。
目的は来るフジロック2025に出演するkanekoayanoを今ここで見ればフジロックでみずに済み他のアーティストに集中できるだろうという考えから。
もちろん好きでよく聴いているアーティストだし本当にながらくライブは見られていなかったので見てみたかったのは間違いないのだが、そんな打算性があったのも事実である。
結論から言えば、今度のフジロックでも確実に見なければならないと考えている。これは予定調和でもなく、おべっかでもなく、心から悔しがっている結果だ。ここで見ておけば見ずに済むと思っていただけに完全に誤算である。
前回カネコアヤノを観たのは2018年末のカウントダウンジャパンフェス。そもそもキャリアも規模感も違うので単純にソロとバンドの比較にはならないが、やはりカネコアヤノとkanekoayanoは明確に異なっていた。一つのバンドちうまとまりの中のフロントパーソンという立ち位置でいるカネコアヤノは当然その輝きは全く変わりはないが、同時にギターの林宏敏とベースの飯塚拓野との音の絡みは生きたバンドそのものであるように感じた。
あんまり”歌重視”にはならないようにしよう、みたいな話はしてました。歌がめちゃめちゃ前にある感じじゃなくて、でも小さすぎず、楽器と同じように正しい位置で鳴ってる、そういうのをちゃんとやりたいって。シンガーソングライターのバンドアレンジみたいなのがすごく嫌で、それは昔からずっとそうなんだけど、バンドになって、よりそういうのが素直に意識できるようになったのはあるかも。
MCなくただひたすらに楽曲を披露し続けるのも、決してそれがポリシーだからというわけでもなく、必然の上で選択されたスタイルのようにも思う。嫌味もわざとらしさもない。
音源では割とドライなイメージのあった楽曲も、ライブでは様変わりしていて、とにかく「圧!圧!圧!」といった感じ。もちろんそれ一辺倒ではないし、それが例えばパーカッションが果たした役割にも思える。ただ、ものすごい圧でこちらが前のめりになることも拒むような、ぐっと背もたれに押し込まれる感覚があった。
前半からハイスピードで飛ばしていき、矢継ぎ早に曲を披露していく。強いドラムビートに合わせるようにギターとドラムが入り、カネコアヤノの歌が乗っかる。その美学は恐ろしいほど完璧で隙がない。カネコアヤノ時代の曲も当然織り交ぜながらkanekoayanoの楽曲を中心に披露する。もちろん歌っている内容へまちまちなのだが、まるで一本の映画を見ているようなシームレス感があったのは、決してMCがなかったからだけではない。
そしてやはり圧巻はラスト2曲。「難しい」は音源とは印象が随分と異なる。会場をつんざくギター、ごと揺らすドラム、カオティックをより強調させるベースとパーカッション。コーラスの「難しい」はまるで呪文のように繰り返され反響され頭がおかしくなる。今ちゃんと音楽をやっているのかを確かめられるのはギターの隙間から僅かに聞こえてくるバスドラの音。
“石の蝶”で本ライブを締めると、ホールが湧く。充実感を示すように、観客の笑顔と去り際の良さ。余韻に浸りたくてずっと会場にとどまり続ける光景も素晴らしいが、これで満足だ!と全員が納得して足取り軽く会場を後にする光景もまた素晴らしい。
これは、フジロック見なければ。”難しい”で気が触れそうになるまでギターを浴びなければ。
