オオカミバンド、マンウィズ

19XX年、地球は戦禍の炎に包まれていた。

国と国、人と人、世界が互いの富と名声を戦争という、時の権力者達のエゴイスティックなゲームにより勝ち取り、奪い合った時代。
地球の最果て、エレクトリックレディーランドの天才生物学者、ジミー・ヘンドリックス博士(趣味:ギター)がその狂気の研究を完成させていた。究極の生命体『MAN WITH A MISSION(MWAM)』(使命を持った男)。

公式サイトのバイオグラフィーにこのような書き出しで始まるのはMAN WITH A MISSIONというバンドだ。2011年ごろから火がつき始め、今ではすっかり海外を主戦場としたバンドにまで成長を遂げた。イギリスで行われるダウンロードフェスにも出演予定。日本では去年甲子園でのライブを成功させ、ロックバンドの中でも頭一つ抜けた存在になりつつある。そんなマンウィズが狼バンドと紹介され、出てきて間もない頃はいちいち誕生の経緯の設定まで事細かに解説されていたりした事もあった。バカリズムはマンウィズとの初対面の際「めんどくせえなあ」とその設定を笑ってくさしたこともある。
たしかにその設定には面倒臭さが付きまとうが、よく考えなくてもミッキーだとかエルモだとかくまモンだとかで慣れ親しんでいる日本人ならなんて事なくこなせる設定のはずだ。

私がめんどくせえなあと思うのはその設定で貫くことより、その設定からあえて踏み込んだ発言をして慌てふためかせてやろうという魂胆とそれにしっかり慌てふためくその一連の流れにある。

まるでバラエティ番組にドラマの番宣で来た役者が途中で突然番宣を放り込んだときに「いやあんた番宣できたんかい!」と突っ込む司会者を見ているようだ。あの一連の流れはひどく気持ちが悪い。誰も悪くないし誰も損してないのだがつまらなさすぎてなぜちゃんと「今日は番宣に来ました」とはっきり冒頭で言ってちゃんと番宣しないのか気になる。全員が番宣だとわかっているのにわざわざゲストの彼らのシラを切る演技に視聴者まで付き合った挙句番宣したら「ええ!番宣だったのかよ!」と突っ込まねばならないのか。これこそ茶番と呼ぶのではないか。

それを平気で笑えるなら随分幸せだが、どうにも生きづらい性格らしく、マンウィズをいじる一連の流れも苦手だ。それが局アナだったら尚更きつい。芸人はいじったら回収するが局アナはイジったらマンウィズに丸投げする。彼らの慌てふためく映像が撮れたらニコニコしている。非常に飯が不味くなる。

タブーを破る

ネットでもタブー視された事を書き込むと(例えばミッキーは中に人がいるとか)、「おっと誰かが来たようだ」と口封じのために送り込まれた誰かが家に来たような書き込みを付け加えるおきまりの流れがある。初めてそれを書いた人はなかなかセンスがるとは思うが、それが定型化して誰も彼もが平気で使うようになると俄然つまらなくなる。茶番感が増す。

マンウィズのイジりにしろネットの「誰か来たようだ」の定型化にしろ、ある種で”タブーを切り込む”という手法は非常に有効的である。際どければ際どいほど面白さは増す。ただ、容易に笑いを手に入れられるがゆえに簡単に使われてしかもその使い所も押し引きも分からぬまま多用するのでつまらなくなるしそれを噛み砕いてしまった上に馴れ合いの一つとして使うから益々陳腐になる。ピン芸人がネタ中に「こんな感じが続きますよ」と自虐を使うのがあまり好きになれないのがまさにそうだと言える。タブー破り(ネタ中に自分の面白くなさを自虐する)はたまにするから許されるのであって始めからそれを言うつもりでネタの一つに取り込むのは卑怯だしつまらない。メタフィクションみたいなもので、その扱いはとても重要である。

キャラで消費され続ける

話をマンウィズに戻す。彼らのインタビューの際は必ずひらがながカタカナになっているが、読みにくさ解消のためにひらがなに直す時は、始まりに「彼らの言葉を日本語に翻訳してお届けする」と言った文言が組み込まれる。そのまま日本語にしても構わないのだが、そこは「日本語訳」というクッションを必ず設ける。

――例によってこちらで日本語訳しますけれども。“Hey Now”が生まれた経緯はどんな感じなんですか?

「楽曲そのものが生まれたのは実は結構前で。….

ところがいつのまにかどのインタビューを読んでも「ところで夏場は暑くないんですか?」と聞いてくるインタビュアーはいない。カタカナを「こちらで日本語訳する」と注釈をつける編集者もいなくなった。マンウィズの言葉ら独立してマンウィズの言ったままに伝わるようになった。すっかり真面目な話に終始し、素顔だとか狼の設定とか夏場は暑いとか肉以外も食べるのかとかそういった類のゴシップは自然と消えた。ようやくそのわざとらしい前戯が省略されるようになり活動そのものにスポットが当てられるようになった。それはひとえに彼らのひたむきな努力とその成功にある。キャラクターはアーティストが売れるためにも必要な要素であることは間違いないし、事実マンウィズが海外で確実に知名度を伸ばしているのも「オオカミのバンド」というわかりやすいフックがあるからだというのは否定のしようがない。ただそれはあくまでもフックである。
CHAIがコンセプトに「NEOかわいい」と掲げているのはフックであり、決して彼女たちがかわいいの定義を覆す社会活動家でないのと同じように、マンウィズはオオカミの被り物をしている事を取り上げていじってほしいのではないことを私たちは理解した方がよい。だったらCHAIに向けられる「ブスなのにうっとおしいわ!!」や「本当はそんなブスでもないのにワザとブスっぽいメイクしてウザいわ!!」という批判は見当違いであり、そんなくだらないことで彼女たちを評価しつぶそうとして良い存在でない事は海外のピッチフォークでこ8.3という高評価をつけられた事実からも明らかである。マンウィズの被り物に対しいつまでもつまらないシラを切った「あれ?あなたたちって…オオカミ…ですよねww?」みたいなくだりを続けられるのはファンでなくても愉快ではない。それが減ってきたことはとても好意的な印象を受ける。

正体は秘密のままで

売れるためになにかわかりやすい記号をつけるのはごく自然なことだしその努力と覚悟を安易に否定したくない気持ちはある。ただ残念ながらメディアや世間、特にそのコンテンツ事態に興味のない人たちはそんなに優しくない。一度おもちゃを見つけると飽きるまでその本質がどうとかは関係なくいじり続けるのだ。そこからいち早く脱出するためにも、マンウィズやワンオクのような、海外への挑戦も一つの手段として多くのアーティストは持っていてほしい。