盛者必衰

盛者必衰ってはじめに言った奴かっこよすぎるだろ。俺もいいてえ。漢字四文字でことの真理をあらわしてえ。1000年後にも全国民が強制的に習わされる言葉つくりてえ。

といったように、盛者は必衰です。音楽でも同じ。デビューしてから死ぬまで第一線なんてことはありえません。ありえるとしたらそれはレジェンド。ポールマッカートニーとか坂本龍一とか。いやまぁでもそれでもピークはあります。当たり前。でなきゃ過労死する。というか人間の飽き性舐めんな。すぐ飽きんぞ俺らは。すぐ掌返す。覚悟しとけ。俺らの軽薄っぷりなめんじゃねえ。

本題に進む。NICO Touches the Wallsが解散した。私はファンでもないのであまり最近の動向はチェックしてなかったけど、CDJかなんかのフェスに名前がなくて界隈がざわついてたのは知ってた。解散の話を聞いた時、すぐにそのことを思い出した。あーやっぱか。と。

解散は悲しい。幸いまだ私の好きなバンドは解散してない。したらどうだろう。多分そんなショックではないかもしれない、いやショックかも。

関係ありそうで関係ない

どちらにせよ悲しい。しかしそんな悲しみのツイートの中でどうしても違和感を覚えてしまうものが多く見られた。ダメってわけじゃないけどちょっと引っかかる。

「えー解散!?〇〇(曲名)好きなのに!」

という内容のツイート。

すごくいじわるな言い方をすると

「あ、好きならどうぞこれからも勝手に聴いてください」

という感想になる。

もちろんそんな深い意味で呟いてないのはわかってるし好きだということを表したいのは承知の上で、あえていじわるにつっこんでみる。

要するに、そのバンドが活動してようが解散してようが、その曲を聴くことになんら影響はないのだ。解散したからといって基本的にサブスクからなくなることはないし持ってるCDが叩き割られるわけでもない。どうぞお好きなだけ何回でも聴けばいい。つまりあんまりそれって解散を嘆く理由になってなくない?なんて思ってしまう。ね、ほっとけばいいのに。そういう嫌なこというでしょ。しょーがない性分だから。

むしろ、そういう”活動してようがしてまいが特定の過去曲しか聴かない”人たちが増えたから解散するわけで、因果関係が逆なのではとすら思ってしまう(責めてるわけではない)。

お金に直接ならないから

なんでこの「もっともらしいけど全然関係のない理由」が成立してるように見えるのか、考えてみた。わかりやすい例で考えてみる。

人気ラーメン屋がある。しかし次第に集客が落ち、ついに店をたたむことになった。

それに対して「えー!あそこのラーメン好きなのに!」と嘆く人がいたとする。

これは非常に自然だ。だってラーメン屋が閉店したらラーメンが食べられないからだ。

これを先の音楽に例えると

「えー!あのバンドのライブ好きだったのに!」にあたる。そのバンドがいなくなるとライブには行けなくなるからだ。じゃあ「〇〇が好きなのに!」はラーメン屋でいうとなんだろう。

例えば。あくまで一つの例だが、「えー!あのラーメン屋行った時に撮ったラーメンの写真好きなのに!」が近いのでは、と考える。

そのラーメンが閉店しようがしまいがいつでもどこでも何度でもスマホのアルバムから見ることができるんだからそれは直接ラーメン屋の閉店には関係がない。

なるほど、ラーメン店で例えるとわかってきた。何と混同しているのか。

ラーメン好きなのに=ラーメン食べに行く=お金になる

〇〇好きなのに=音源聴く=基本的にお金にならない

語弊がないようにいっておくと、下の音源を聴くことがお金にならないというのは、そういう意味じゃない。わかりますよね?1回CDを買えば何度でも聴ける、サブスクで聴ける(特定のアーティストに支払うシステムではないから)、YouTubeで聴ける(広告料とかは考えない)、要するに、こちらがなんらかの追加の課金アクションをしなくても普段の生活の中でタダ同然で聴ける。ここが違う。だから違和感になるのだ。

なんとなくわかってきた。好きに嘆けばいいしこんなこと突っ込むのは野暮なんだけど、そこがごっちゃになってるからこの用法が通用してるんだ。

だからといって「解散してから嘆くなよ!嘆くくらいなら解散する前にいっぱいライブ行ってお金使えよ!!」みたいな発言する人も苦手だ。こっちの金の使い道を指定してくる奴なんか友達になれる気がしない。うっせえしるか俺は家で新曲聴けたら充分だよ!としか思わない。人の応援の仕方なんてそれぞれだ。これを偽善と呼ばずなんと呼ぶ。

結局のところ、解散したときの一番無難な答えは「まじか…新曲期待してたのに…」なのだろう。