ロックンロールは本当に死なない??

ロック(ンロール)は死なない、と誰かが言う。誰かって、ミュージシャンでもあるし音楽ジャーナリストでもあるし、ブロガーでもある。ロックは死なないとは一体どう言う意味なのだろう。死なないと明言すると言うことは「ロックは死ぬ」もしくは「ロックは死んでいる」という可能性・前提があるから、わざわざ「死なない」と声を上げているに違いない。では何をもって死ぬと思われているのだろう。ひとつは大衆文化として死ぬと言う意味。ロックが売れなくなってお茶の間から姿を消すことを死ぬと捉えているパターン。二つ目は、ロックの根絶と言う意味。お茶の間はおろか、アンダーグラウンドの世界でも誰もロックを聴かなくなったり演奏しなくなったりするパターン。前者は割と今のシーンに近いものがある一方で後者はちょっとさすがに考えにくい状況ではある。
おそらくロックは死なないと宣言しているアーティストもジャーナリストもブロガーも殆どが前者の意味での「(大衆文化的な場での)ロックは死なない」だとは思うが、さてそれはどこまで本心なんだろう。ロックは死ぬと本気で危機を抱いているのだろうか。そしてロックの定義すらフラついている中でどうロックを捉えているのだろう。まずはそこから考える必要がある。

いくつかの参考例として著名人の「ロックは死なない」コメントを引用してみる。

明日、フジ出演を控えたノエル・ギャラガー。BBCの取材でロックンロールは死んだのかと聞かれ……
「ロックンロールは死んだかって?んなわけねえだろ、俺がいる限り。
たださ、再生させるプロセスがないんだよ。アークティック・モンキーズ、カサビアン、リバティーンズ以来、何もない。10年だよ? ある種冬眠だよな。

あのロックンロールだよな? ロックンロールが消え失せることはない。ときどき、冬眠したり沼の中に沈み込むことはある。宇宙には周期性っていう性質があって、その法則に従うよう求められるんだ。でも、いつだってすぐそこで待ち構えている。ぬかるみを抜け、見えない壁をぶち破り、これまで以上にカッコいい姿で戻って来る準備ができている。そう、あのロックンロールだ。消えてしまったように見えるときもある。でも、息絶えることはない。それは誰にもどうしようもできないんだ

ニールヤングもHey Hey, My Myという歌で「Rock and roll can never die」と歌っている。このように、過去作品が風化しないという意味もあるし。これから先もロックは歌い継がれていくんだという堅い決心のようなものに「ロックは死なない」が使われている。
また、「ロックンロールは死なない」というそのまんまのタイトルのイベントも開かれている。

『ロックとは』への回答

ではロックとは何だろう。ニールヤングもノエルギャラガーも何が死なないと思っているのだろう。スピリッツか、楽曲か、楽器の種類か。ロックとは何だろう。これについて考えるのは非常に難しいし散々語りつくされてきたことなので、私らしく引用から考えることにする。

ならば、何をもってしてロックというのか?
そう言えば、サンボマスターみたいなバンドがロックで、ミスチルみたいなバンドはロックじゃねえとかいう奴がいる。
その是非はともかく、こういう人が言いたいのは、サンボマスターのライブにおける熱量とかその佇まいこそがロックであり、ミスチルみたいに大衆に向けて音を鳴らすのはロックではない、と言っているのだと思う。(あとは、演奏してる楽曲のギターの音色も影響してるとは思うけど)
WANIMAなんかを指差して、彼らも昔はロックだったが、今はすっかりポップになっちゃったと言うのも、そういう類のことだと思う。
何を鳴らしているかというより、誰に向けて鳴らしているのかがロックであるかどうかのキーポイント的な。

ロッキンライフさんの記事を引用してみた。精神的な意味でも音楽的な意味でもロックは定義できるが、ひとまずここは精神的な意味に着目すると、この「誰に向かって歌っているか」は非常に大事なワードだ。しかし補足したいのは、私たち(聴者)が何者であるか、ではなく、歌い手が私たち(聴者)を何者とするか、が大事であるという事だ。おそらく彼もそのつもりの文章のはずだ。私たちがどうであるかも関係ないし、歌い手が私たちを選ぶこともできない。だれに向かって、とは、だれを選んで、ではなく、その人をどうしたいか、につながるのではないだろうか。
QUEENの名曲に「We Will Rock You」がある。おそらく聴けば100人中95人が知っているだろう。これこそがロックなんじゃないかと。お前をロックしてやる、翻訳すれば「お前を打ち震えさせてやるぜ」になるのか。とにかく揺さぶってやる、感動させてやる、打ち震えさせてやる、というのがrockの意味であり、Queenが意図的にRockを使ったとするならば十分にrockの解説はこれで事足りるのではないか。だれに向かって歌っているか、はその目の前の人間をどうしてやるかという精神へとつながっている。



今年の夏はサッカーW杯で連日深夜まで起きて試合観戦していた。特にサッカーに詳しいどころか普段は興味もないのだがやっぱりスポーツは見ていて楽しい。海外のサッカーも特別感あってなかなか見られないのでなおのこと楽しい。解説してもらうとワクワクが止まらない。細かいことはわからなくても楽しめるのがサッカーのいいところだ。

もちろん日本代表も可能な範囲で観た。コロンビア戦こそ仕事で見逃したがセルビア戦は最初から最後まで見た。決勝トーナメントのベルギー戦もガラにもなくはしゃいだ。日本代表にはもちろん勝ってもらいたかったが、私は根本として「面白い試合が見たい」というものがあるので、ベルギー戦は十分楽めた。勝てるサッカーが見たいのではなく面白いサッカーが見たい。結果それが勝ちにつながるだけで。
どうでも良い話をしてしまった。
その日本代表は必ずと言っていいほど青いユニフォームを身に纏っていた。あだ名は「サムライブルー」。そもそもサッカーにサムライ要素が全くないし(野球の侍ジャパンならバットが刀に見立てることができるし実際そのような広告もある)、なによりなぜサムライがブルーなのかもわからない。サムライはブルーなのか。そして侍ではなくサムライとカタカナ表記なのも引っかかる。ブルーに合わせてのことだとしたらサムライを頑なに維持しようとする意味もあまりわからない。調べたところによると、ブルーとは日本伝統の藍染の藍色を指しているらしい。なるほど。
唐突にサムライブルーの話を放り込んだが、要するに根幹は似ているのではないかと思う。「ロック」と「サムライブルー」なんとなく日本はサムライだし、なんとなくギターとベースがあればロックになる。こと日本においての話だが。理由も分からないけど、昔からそうだったじゃん、が通例化していつものようにサムライブルーが横行する。別にダメでもないし不満があるわけでもないが、「ロックは死なない」と「サムライ」はあまりに日本人が言いた過ぎるセリフかもしれない。

ロックにあってほしい姿

そうすると少しずつこの二つの言葉を発したがる人たちのメンタリティが透けて見えてくる。サムライとなんでも評したがる日本人は、その名付けた人たちにどうあってほしいかを表している。例えばサッカーなら、不正行為やシミュレーションのしないフェアで潔いプレーをしてほしいことをサムライと名付けている。日本人の「正々堂々」「恥ずかしくない負けを」という本物の侍魂をその言葉にこめている。
一方で「ロックは死なない」と言いたがる人はどうだろうか。もちろんリアムやアレックスターナーのような海外の、しかも本物のロックスターが言う「ロックは死なない」とは一緒にできないが、少なくとも日本の音楽好きが言う「ロックは死なない」はロックをどの立ち位置に置きたいのかがよくわかる。
ロックは死なない。冒頭でも言ったように、それはつまり死ぬ可能性があり、もしくは死に瀕しているからこそ発せられるセリフだ。毎日テレビから流れるのが怒髪天でありThe PillowsでありThe BirthdayでありB’zだったとしたら、「ロックは死なない」とは誰も言わないだろう。言ったところで「は?」とドンズべりすること間違いないからだ。要するにロックはやっぱりマイノリティなのだ。マイノリティである事こそがロックなのだ。だれも聞かねえし流行らねえしみんな腐った陳腐なヒットチャートしかみんな聞いてない状況にこそロック魂に火が付く。「ロックは死なない!」と言いたくなる。その言葉を合図にロックファンは結束する。日常生活にロックがないからロックは生き生きする。「ロックは死なない」けれども「ビンビンに生きてもいない」のだ。かろうじて、なんとか生存するくらいがいい。”なんとか”ぐらいであってほしい。ロックとは、演者が聴者にどうなってほしいかが大事であると言ったが、「ロックは死なない」も発言者がロックそのものがどのような状況に置かれていてほしいかが大事なのだ。その願いこそが「サムライ」であり「ロックは死なない」だ。

まとめ

何がロックかは個人の解釈に委ねて構わないと思うが、そのロックが死んでしまったらこまる。だから「ロックは死なない」と繰り返し叫ぶ。
でも「ロックは死なない」と簡単に言ってしまうから真意が薄れてよくわからなくなる。サムライブルーと連呼するメディアはブルーが「藍色」だということをいちいち確認したりしないように。じゃあ我々もロックにどうあってほしいのか向き合うことが必要である。ミュージシャンが提示してくる”理想の聴者の姿”になるかならないかは知らないが、どのくらいロックがマイノリティであれば気持ちがよいのか探っていきたい。Dizzy Sunfistが「夢は死なへん!!!」と言って多くの人が心打たれているのは、それぞれがぎりぎり自分の夢を殺していないから。「ロックは死なない」という魔法の言葉はロックを固定するものでも生かすものでもなく、我々に問いかけるメッセージなんだと思う。