顔出しNGのコレサワの正体とは

どう考えても男性と女性では物の見方が違って価値観が違う。なにを重視するかも違う。だからすれ違う。これは男女差別でもなんてもなく単なる性差だ。

とはいえ先日「男性と女性に脳の差はなかった」という記事が出て、じゃあ一体この差は何なんだ!と混迷を極める事態となったが、とにかく違うものは違う!と常に断言し続けている。

だからこそちょっとでも知りたいとも思うしその反面ウザったくも思う。男心、という言葉がないわけではないが、女心ほど高い頻度で使用されるわけでもない。やっぱり女心の方が人間のメインテーマなのかもしれない。そんなメインテーマを主に扱うのがコレサワ。女性シンガーソングライター。関西出身の顔出しNGのアーティストだ。

 

策略家か天然か

コレサワは思ったことを曲にするタイプではあるが、思ったより狙いすましたスナイパーのようなアーティストでもある。

 

ー女の子の愛情表現を書いた「夜にして」は男性スタッフに“怖い”と言われたとか(笑)。
ディレクターに言われました(笑)。ゆっくりめな曲調もあって、念が感じられるというか。ちょっとひねくれてますしね。《愛しすぎて 傷つけたくなる》ってところとかヤバくないですか?

ー《自分のこと大事にできていないのに 誰かに愛されるわけがないでしょう》ってフレーズがグッときますね。
実は、私はそんなにここがグッとくると思ってなかったんです。私的には《昔ちょっとキスしたあいつと今会えたら》ってところに“いるよね~!”ってなるかと思ったら、みんなそっちだったんですよ(笑)。

凄く所謂”確信犯的”にあざとい共感ワードやシチュエーションを入れている戦略家だ。

女の共感は女にしか得られない。ただその共感を得るのも簡単じゃない。女性はとにかくマウントを取る生き物なのでマウントを取られるのが嫌だし、見下されたり馬鹿にされたり、そういったまなざしにはとかく敏感だ。

嫌味なことを言ってくる人を「お局」と呼んだりするのも女性特有だと言える。だから、「私はあなたの味方ですよ」と寄り添ったつもりでも、すこしでも寄り添われた方が「バカにしてんのか!」と思うような言動や姿恰好をしていたら叩かれるのだ。

 

例えば、共感系の歌を歌っても庶民っぽくない化粧や服装、写真などが見つかると突然叩かれたり、ブスでもないのにブスと自称する女がウザいとかわけのわからない猛攻にあったりする。

その点コレサワは自分の顔を晒さないことでそのリスクを回避している。いくら垢抜けて美人になっても、小ぎれいになっても、コレサワは常に変わらない”れ子”というクマのキャラクターがビジュアル担当をしているので問題がない。さらにその”れ子”も周到で、目は細目で寸胴短足、憧れの妄想シーンの時やMVで本人でない女性を登場させるときだけかわいい女の子を描く。その自分を徹底的に蔑むやり方で女子からの非難を免れている。

 

ただ、ただの恋愛共感だけでおさまらないのがコレサワ独自の強みなのかもしれない。「彼氏はいません今夜だけ」は、タイトル通り

 

ちょっとだけでいいから、あなたと間違えたい

 

と赤裸々にワンナイトラブを告白している。ポップな曲調だけど、「あるある」のなかでもあっちゃいけないあるある、勝手に命名するなら「ブラックあるある」がコレサワのおもしろさでもある。

 

他に興味深いのは「あたしを彼女にしたいなら」で歌われる内容が、サブカル版西野カナのようだということ。西野カナが割とEXILEや湘南乃風、ソナーポケットを聴く女子層と親和性があるのなら、バンドが好きな女の子のトリセツは「あたしを彼女にしたいなら」なのかもしれない。”スッピンまで愛してね”は、西野カナ層のような女子力高めで常に気を張って自分を美しく見せることに余念のない人たちにはないフランクな思想だし、”尖ってるクツはやめてね”はもはやEXILE系とは全く一線を画していることが明白になっている。

 

この曲の主人公が付き合う前にいろいろと注文をつけるのは、付き合ったあとに「思っていた感じと違う」って思われるのが怖いとか、嫌われるのが怖いって思うからなんです。だったら最初に自分の悪いところや、思ってることを全部言っちゃえって。不安な気持ちが先走る、強がりの女の子の歌なんですけど、私も口が悪くて強がりなので(笑)。

 

ただ、トリセツのようだと評したがゆえに、コレサワはサブカル女子の代弁者だ!と決めつけるのは本人の意思とは反するようなので気を付けるとする。

 

【女子の代表】っていうよりかは、いつも【ある一人の女の子】の気持ちを歌うというモットーでやっている

 

彼女の事を語ろうとすると「同性のあるある」とか「サブカル」「顔出しNG」といった表層的な所に終始してしまう。それでは見えてこない彼女の魅力やダークな部分があるはずだ、とインタビューを読み返すが、インタビュアーもやっぱりどうしても歌詞について、女性について語らせている。それが読者の望む内容である限り決して間違ってはいないのだが、似通ったインタビューが多くて読んでいて脳みそがぼーっとなる。

 

少なくとも、女性の声は今とても重視されているという事実がある。

凄く穿った見方をすれば、女性差別が声高に叫ばれる分、男性への圧迫の声はかき消されがちだ。インスタント食品のCMで、母親はキッチンでチンジャオロースを作ることに徹し、旦那と娘は椅子から立ち上がることもなく黙々と食べ続けることに「どうして旦那は食べるだけで手伝わないんだ!」とクレームは入っても、スカパーを見て興奮する妻の小池栄子の肩をひたすら揉み続け、少しでも手が緩むと「さぼるな」とキツく注意される旦那の堺雅人には一切クレームが来ないことに違和感をだれも抱かないことが示すように、女性の声はやたらとでかい。でかいし通る。それは悪ではないが、声高に自らの主張を叫ぶことは同様に相手の主張も尊重されるべきである。

 

コレサワは、一見すると自分の主張ばかり押し付けて挙句の果てには「やっぱり男ってなんにもわかってないわね」と鼻で笑うタイプにも見えるが、インタビューを読み解いていくと、案外男心にも関心があり、それを理解しようと努める節がある。

 

どこまで言ったら伝わるのか分からないこともあるので、男の子の気持ちは難しいですよね。また女の子自身もこうしてほしいという想いがあっても、男ってあんまり言葉にしない生き物だから言葉にされすぎても信用できなかったりもする。人間は難しいなって思います。でも、だから面白いなって思うので、なるべく人間と人間の気持ちの間の曲を歌えるようになりたいです。

 

“言葉にされすぎても信用できない”は、一考の余地がある。すべてを言語化したい女性に対し、それと同じように自己開示を言葉でしようとすると薄っぺらさにつながりかねない男性。男が語らないのは性差か個人差かはわからないが、コレサワはそれを性差だと捉える。捉えたうえで受け取る側としての気持ちを語る。男性が言葉にする真意をくみ取る前に「薄っぺらいから」という言葉がうっかり漏れてしまう。やっぱり堺雅人の気持ちは、くみ取られない。小池栄子が「ヤバイ」と言って「さぼるな」と諫めるように女性の”お言葉”が先行する。

 

まとめ

女子の共感系アーティストは売れがちだが、女子の共感系アーティストに簡単になれると思ったら大間違いである。コレサワが決して言いたいこと適当に言ってたらみんなにハマっちゃった~みたいなスタンスでないように、とても慎重にかつ大胆に踏み込んだ内容を適切なタイミングで放り込む必要がある、すごく繊細な技なのだ。

どの曲を聴いてもしっかりと歌詞が届くような抜群のサウンドづくりで、なおかつキャッチーなのも彼女の巧みな技の一つだ。決して男を蔑むこともなく、時に男の子を知りたいという欲求も出し惜しみしないコレサワのスタンスは全く嫌いになれない。

こうやって記事を書いているうちにどんどん好きになってきた。

 

まあさすがに将来彼女とかがコレサワ聴いてたらちょっと構えちゃうかもしれないけど。