地殻変動

毎日新譜を聴いていると、少しずつ全体の音楽の傾向というものが分かるときがある。いや、わかってるつもりで実は全然わかってないのかもしれないけれど、そんな気分になるときがある。

2019年が始まってもう5か月がたったが、なんとなく日本の音楽シーンで感じることがふと一つできた。

もちろん日本の音楽シーンと一言で表しても、色々な視点と事実と解釈があるから一纏めにはできなくても、これは私の感じた一つの視点だ。

Suchmosの場合

Suchmosは今年「THE ANYMAL」をリリースした。その評価はおおむね高く、去年紅白歌合戦にまで出たバンドとは思えないほどの挑戦的な仕上がりで、既存ファンに対して一切媚びない彼ららしいスタンスが再評価されている。











特に「ROLL CALL」を一聴してもらえるとその振り切りっぷりが分かってもらえると思うが、まず曲が長い。5分6分は平気である。

事実、一曲目の「WATER」が7分弱、二曲目の「ROLL CALL」が5分半、三曲目の「In The Zoo」に限っては8分を超える大作である。
抒情的で肉体的な「令和のロック(あえての言い方をするが)」を体現していると思う。括弧までつけてあえて「令和の」と言ったのは、それまでの平成にあったロックとは全く趣向が違うからだ。音楽そのものが新しいとか、Suchmosが伝説のバンドに一歩踏み込んだとか、そこまでの大言壮語を吐くつもりはないが、やっぱりこの尺の長さでも商業的に十分構わない、という前例は趣味の細分化が進んだ今だからこそできることだと思う。チャート至上主義とか売り上げ枚数至上主義から抜けつつあるこの兆候は個人的に好ましく思う。


never young beachの場合

次に紹介したいのはnever young beach。彼らも今年「STORY」を発表した。
決して突き抜けて爽快であるわけではないし、夏のお昼に軽快にBGMにして聴きたいものではない(全ての曲がそうだとは言わないが)。
ただ、じっと凝らしてっ聞くと、その音の緻密さと細かなダンサブルな要素に耳が踊る。むしろ今作が最高傑作だと個人的に評価している。












SEKAI NO OWARIの場合

最後にもう一組、SEKAI NO OWARIを紹介しておきたい。彼らも「Eye」「Lip」を同時発売して話題になったが、そのどちらも違った方向性に狂っている。
「Lip」は最初の「YOKOHAMA blues」からわかるように、ムーディで歌いやすい曲がちりばめられているが、それは今までのテンション高めにカラオケで歌いたくなるようなものではなく、原曲を聴きながら口ずさみたくなるような、そんな楽曲自体に耳が向くような、決して茶化して消費されないような曲が並んでいる。











一方「Eye」は数年前から取り組み続けているセカオワの世界的なアプローチの集大成が詰め込まれている。
Gorillazのプロデューサーと手を組んだことでも話題になった「ANTI-HERO」は楽曲ももちろん、その発音の完成度の高さも目を見張るものがあった。
似たようなアプローチでさらにエッジを利かせた「Food」、アンビエントやエレクトロニカにも近い「SOS」など、既存の日本の音楽メソッドに縛られない攻撃的な楽曲が並ぶ。
どちらも違った意味で異端で、明らかにセカオワからの挑戦状になっている。













10年代の期待に応えない

そのアルバム自体の良し悪しは置いといて、この三組に通ずるものは、ある種の期待されている「アレ」を見事にぶっ飛ばしたことだ。Suchmosなら「STAY TUNE」だろうし、never young beachなら「明るい未来」だし、セカオワなら「Dragon Night」だと思う。



ファンならもちろん理解があるだろうし、その方向性に驚きはしないだろうが、普段彼らを聴かない、しかも音楽に疎い所謂一般人にはかなり刺激的なはずだ。


セカオワと言えばドラゲナイでしょwwwくらいの認識しかない人たちに「Food」を聴かせても「はぁ…」てなるだろうし、Suchmosの顔も知らないし「STAY TUNE」しか分からない人たちに「ROLL CALL」を聴かせたら「長いわどこがサビなん?」と言われて終わりだろうし、never young beachはフェスで「明るい未来」しか目的をもって聴いていない人たちや結婚式で気軽に使ってみただけで特に彼らに興味のない人たちには「地味」と言われるのがオチだ。



逆に言えばこの三組はみんな、2010年代にドロップした自身の代表曲に引きずられることなくアップデートに成功していると言えるのではないだろうか。
となると、これから2020年代のフェス事情、ひいては音楽事情も大きく変わるかもしれない。それぞれのアーティストが自分たちの求められる像に追従することなくまた新しい姿として新たなファンを獲得し拡大していくと、フェスで「Dragon Night」や「STAY TUNE」や「明るい未来」をやらなくなり、それでもライブが成立するときが来るのかもしれない。
もうすでにセカオワやSuchmosはそれを現在進行形でやっているのはあるが。

アップデートをする事、時代が変わる事


そういった自身のアップデートは決して珍しいことではない。むしろ時代の潮目にはその兆候が必ずある。
サザンオールスターズはそれを度々繰り返してきたからこそいまだに第一線を走り続けられるわけだし、アーティストにとっての最重要課題の一つともいえるかもしれない。
それがうまくいかずズルズルと過去の焼き増しになり、いつのまにか懐メロシンガーになるなんてことはよく聞く話だ。


でもそれがいちアーティストではなくこう立て続けに見てしまうと、「あれ?これなんか起きてる?」と勘ぐってしまうのだ。正解かどうかは分からない。
もしかしたらたまたまnever young beachが今作だけはこんなコンセプトでやろうと言っただけかもしれない。あるいは私が恣意的にこの三組を選んだだけで実は他の大多数はそんな変化をしようとは思っていないかもしれない。
そんなの正しさなんてわかるはずがない。ただ個人的な感覚によればそう感じたというレベルの話だ。


でも合点はいく。2010年代の日本の音楽はそれなりに独自性があったからだ。それはまた2000年代や1990年代と同じようにひとつのタームとして語られるであろう現象だった。だったら2020年代はどんなタームになるのだろう。わざわざ10年区切りする必要もないかもしれないが、あえて区切ってみると、その兆候が今あるような気がする。


Suchmosやnever young beachが決して過去の曲を捨てようとなんて思っていないのは分かっているが、あの曲たちだけではないぞと、早々にアプローチを変えてきたところはやっぱり時代だなあと思うし、日本の音楽をやる人たちもどんどんアップデートされてきてるんだなと感じている。

というわけで私はサカナクションの新作を大いに期待している。結局フェス=四つ打ち、の方程式から抜け出せないのか、もっと独自の試みをしてくるのか。答えはもうすぐわかる。