yonigeから思いつく単語
私には多くのアーティストに想起される単語というのがある。みなさんもあるのではないかと思う。歌詞から、音から、発言から、人柄から、見た目から。そのアーティストの情報全てから色々思い浮かぶ単語がある。たとえばBUMP OF CHICKENだと「部屋」とか「命」とか「雪」とか「弱」とか。Mr.Childrenだと「社会」とか「君」とか「人生」とか。人それぞれ、どの歌詞に影響を受けたかによって浮かぶ単語は様々だと思う。
yonigeというバンドも、わりとすぐに単語が付随してくるのが個人的な感想だ。「部屋」「失恋」「恋」「喪失」。「アボカド」なんてのもやっぱり外せないよなって思う。
yonigeが2015年に「Coming Spring」を出し、その中の楽曲の一つ「アボカド」がにわかに界隈で話題ににりつつあるときに私も彼らを知った。その時の印象は有象無象の最近のバンドの一つで、「はいはいそういう感じのバンド最近多いよね」みたいな受け止め方しかしていなかったと思う。やっぱり四つ打ちなのかって落胆も正直あった。いや、彼らを責めているのではなく、受容側の問題だが。
でも同ミニアルバムの中の収録曲「さよならアイデンティティ」を聴いた時、次のミニアルバム「かたつむりになりたい」を聴いた時、メジャーデビューアルバム「girls like girls」を聴いた時、それぞれが毎回「あれ、前からこんないいバンドだっけ」を繰り返し続けている。
よくいる切ない系バンド、という個人的なレッテルから、面白いバンドだなあと評価を変えていくのは、明らかなサウンド面とその幅の開拓ぶりに他ならないと思う。
で、yonigeの単語に話を戻すと、このバンドには必ず「恋愛」と「女」が付いて回る。全く悪い意味ではなく、それがコンセプトみたいなものだ。「ワンルーム」のような、男がいなくなった後の部屋を綴った楽曲も、「さよならプリズナー」のようないまだに過去の恋愛に囚われている囚人と解釈する楽曲も、多くが恋愛対象がいたり、喪失したりする歌だ。
女性と恋愛
そもそも女性アーティストは恋愛とリアルな事柄についてしか歌いにくい節がある。それ以外は難しい。ふざけた歌とかサラリーマンの歌とか、どうしても女性は歌いにくい。それは社会的にアウトかどうかの話ではなく、単純に共感が得られにくいしビジネス(セールス)に結び付きにくいという判断のもとで避けられているという話だ。yonigeもやはりチャットモンチーに感化されて始めたバンドだし、ほとんどを恋愛で埋め尽くしているのはルーツとしても、ビジネスとしても当然である。
個人的に、本当はもっと女性には歌えないことも歌えるような社会になってほしいと思っている。もちろん今でも哲学や人生、社会について歌う人などがちゃんといることは知っているが、それをオーバーグラウンドの世界できちんと枠が確保されるような時代だったらもっと面白いのになあと思う。
ただ、yonigeはその「女性アーティストと恋愛」の関係にどこまでも自覚的だ。いい意味で女でいることを武器にしている。
牛丸:すぐ泣いたり、感情が先に動いてしまう時に自分が女だってことを自覚させられます。
——yonigeがガールズバンドというカテゴリーで語られることに関しては?
ごっきん:それは全然構わないです。女であることを武器にしているところもあるし。女がやって格好がつくこと、男がやって格好がつくことって全然別物だと思うので。
女性にしか出せない空気感とか、女性だから重みが変わる言葉がある。そういう所を武器にしているのだろう。
自分にしか出せないものを見つけてそれを武器にする過程の中で、多くは葛藤も表裏一体となって付随する。「女性」であることへのコンプレックスだ。ボーカルの牛丸は包み隠さずこう語る。
——女性限定ライブをやって話題になってましたが、女性がロックの現場に居辛いなって思った経験はありますか?
ごっきん:実際にライブハウスに行くまでは絶対一生入れない場所だって思い込んでました。治安が悪そうで。
牛丸:私はライブハウスを怖いって思ったことはなかったかな。むしろ怖いところには好んで行くタイプだし。中学時代にBUMP OF CHICKENが好きだった時期があって、その時は男性バンドがかっこよすぎて自分が女であることに病みました。なんで私は男として楽器を触れないんだろうって。——今も男性に生まれてきたかったと思いますか?
牛丸:ずっと男に生まれてきたかったと思ってたけど、yonigeをやり始めてからやっと女であることを肯定できるようになった。最初は女って嫌だと思いながら曲を書いていたんですけど、バンドを続けるうちに私の歌詞に共感や好意を抱いてくれる女の子が現れるようになって、曲を通じて女の子に寄り添えるようになりました。
牛丸:<中略>好きになったバンドが、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとかマキシマム ザ ホルモンとか……チャットモンチー以外は全部男のバンドで。そういうカッコいいバンドを見た時に“何で自分は女性なんやろう”って思っちゃって、男の人にばっかり憧れてたんですよ。“女ってダサい”みたいな感じになっちゃって。で、高校の時も学校の外で男の人たちとバンドを何個か組んで、“自分は女だけど男の人のところに所属してるからカッコいいんだ”みたいな感じに思ってたんですけど~<略>
引用元: yonige 同性から支持される“カッコいい”理由
以前このブログでも「男らしさや女らしさに縛られなくていいという選択肢」という記事で取り上げたが、元チャットモンチーの福岡晃子とThe Wisely Brothersの対談の中で、
福岡「確かに私たちのときは女性バンドが少なかったから、男性バンドを真似するしかなくて。前例を知らないし誰も教えてくれないから、とにかくみんながやってたことをやるしかないって感じだった」
真舘「ライヴハウスって、タバコ吸う人も多いし壁も黒かったりなんだか怖かったり(笑)。でもそこで強気にいかなきゃ気持ちで負けちゃうんですよね。高校から大学にかけて全然いいライヴができない時期があって、そういう空間でどうやったら自分たちらしく音楽をやっていけるかを考えるようになってから、少しずつ他のバンドのライヴのやり方を真似しなくても、自分たちで作っていけばいいんだと思えるようになったんですけど……。でもやっぱり負けちゃうというか、弱くなっちゃうときもあったりして」
和久利「中音(ステージ内の音量)を大きくしちゃったりね(笑)」
福岡「わかるわ〜! 中音を大きくするの、めっちゃわかる。(チャットモンチーの地元である)徳島でもガールズ・バンドはすごく少なかったし、最初は女のバンドとして見られるのがすごく嫌で、〈ジーパンとTシャツ〉みたいな格好で、絶対に女の子らしくはしない、ということもやってた。引用元: The Wisely Brothers×福岡晃子(チャットモンチー済)対談〈女たち〉が切り拓いてきた道、これからの航海
と言っていたことを思い出す。ライブハウスはどこまでも男社会で、女は下にみられる、らしい。そこで生き抜いてきたバンドマンたちはやはり自分の弱さも、マイノリティ、ときには性的な搾取をされた人も(言葉を濁さずいえばセクハラや痴漢、暴漢など)いたかもしれない。そしてそこで勝ち取ってきたものがあるから、むしろ女性であることを自負し、自分の気持ちを歌う。男性のバンドマンとは圧倒的にスタートが違うのだ。
それを我々聞き手が考慮すべきかどうかは個人の楽しみ方に委ねられるが、聴こえ方が違ってくるのもまた事実である。
牛丸という人間性
特に今作は目を張るものがあった。こんなに空間のあるバンドとは思っていなかった。メロディや歌詞をどう受け止めてもらえるかがカギのバンドだと思っていたが、それをちゃんと考えてサウンドから攻めてきているのが凄く伝わるアルバムだった。
正直ライブは賛否両論なのが私の周りの友人たちの評価だ。私もCDJで一度音漏れだけ聴いたが、ちゃんとライブを観たことはなく、何とも言えないのだが、そういう評判もまた一つの事実なんだろうと受け止めている。
ただ今作を聴く限り、この評価をうのみにしたくない。彼女たちをこの目できちんと見てみたいと思う。それだけの価値のあるバンドに(自分にとって)なったのはなぜだろう。サウンドの作り込み方、安易な展開に身を委ねず、聴く側にじっくりと考えさせる余白のあるバンドになった理由は、ボーカルでありフロントマンである牛丸の変化にあるのではないか。
――(笑)今のごっきんさんのお話を聞いた限り、牛丸さんはしっかり者ではないのかなと思うんですけど、曲を聴いて気になってたことがあって。今回の収録曲もそうですけど、牛丸さんの歌詞って“罪”や“許す”という単語が多く出てきますよね。それって逆に言うと、自分の中に在るべき姿というか理想や正義みたいなものがあるのかなと思って。
牛丸:ダラしない自分を客観視してるみたいな感じはありますね。「our time city」の“罪”で言ったら、人のことを怒らせたり、お母さんのことを心配させたりとか……心では“ごめん”って言ってるけどなかなかそれを態度に出せなかったりみたいなのがあって。それがなかなか上手く表現できないから、客観的にそれを見て<いつの日か全ての罪が許されますように>って唄ってるんです。
引用元: yonige 同性から支持される“カッコいい”理由
牛丸:ごっきんは良い意味で女感がないというか……女の子だからといって特別扱いをせずに済むから、面倒くさくないし、私も楽なんです。あと私は別に、女子のことが苦手だからといって“女を捨てる”みたいなのは全くなくて。というか“女を捨てる”って言ってる女がめっちゃ嫌いなんですよ。
――それは何故ですか?
牛丸:だって全然捨ててないじゃないですか、そう言ってるヤツは(笑)。女っていうことに執着してるから“女を捨てる”みたいな軽率な発言ができるんですよ。私は女に生まれたからには女っていう武器を駆使しないと、絶対良いものができないと思ってるので。だから“男らしくなりたい”みたいなことは全然なくて、ちゃんと自分の女性らしさは大切にしたいと思う。
――でもそれって、自分が嫌だと思ってる部分とも向き合うことになりますよね。
牛丸:そうですね。
――それはつらくないんですか?
牛丸:ピークでつらかったのは中学生の時ぐらいですかね。その頃に好きになったバンドが、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとかマキシマム ザ ホルモンとか……チャットモンチー以外は全部男のバンドで。そういうカッコいいバンドを見た時に“何で自分は女性なんやろう”って思っちゃって、男の人にばっかり憧れてたんですよ。“女ってダサい”みたいな感じになっちゃって。で、高校の時も学校の外で男の人たちとバンドを何個か組んで、“自分は女だけど男の人のところに所属してるからカッコいいんだ”みたいな感じに思ってたんですけど、そのバンドは私の遅刻癖がひどすぎてクビになって。それで自分でバンドを組むってなった時に、たまたま女子3人が集まることになって。
引用元: yonige 同性から支持される“カッコいい”理由
女であることに自覚的だからこそ、半端に「女を捨てる」と言いたがる女性に物申す。自分自身も男の中でバンドを組み、男の人に憧れ、男の中に属することで存在意義を見出していた過去があるから、今の自分自身が”女性”であることに誇りを持っている。決してしっかりものでもなく、重度な遅刻癖のせいで他人に迷惑をかけてきた牛丸は、常に「ごめんね」を抱え歌う。
そして、ずっと抱えていた新作の空気感の謎はインタビューできちんと語られていた。
-『健全な社会』、改めてどんなアルバムになったと感じてますか?
牛丸:今回は、特別何もないアルバムですね。ドラマティックなことがだんだん興味なくなってきて、「何にもない」ということをどうやって書くかっていう方向に変わってきています。
最近、「この言葉は使いたくない」っていう言葉が多くなってきちゃったんですよ。まず、恋愛の曲は書きたくないんです。昔の曲は昔の曲でいい曲だなと思うんですけど、今の自分にはちょっと書けないなって思ってて。「恥ずっ」みたいな感情が生まれちゃうんですよね。-「恥ずっ」?
牛丸:何て言うんだろう……悦に入ってる感じ? これは私の書き方が悪いからかもしれないんですけど、恋愛の曲を書くと、悲劇のヒロインみたいになっちゃうんですよ。<中略>その「私が主人公です」みたいな感じがだんだん恥ずかしくなってきて。今回に関しては「これは私のことを書いた曲です」って明確に言える曲がなくなりました。
今作は一貫してダウナーで淡々として、あのエモさ満開の「ワンルーム」みたいな”喪失”を歌うyonigeのイメージがなかった。このアルバムには「女性」こそあれど「恋愛」「部屋」「喪失」みたいな単語は思い浮かばなかった。ただ漠然とした「何もない」がある。喪失とはまた違った、始めから何もなかったかのような。
もっともじっくりと向き合ったという「あかるいみらい」は、「明確に悲劇があったわけじゃないのになんとなく悲しい」という境地に行きついたと語る。
女性には避けて通れない、劇的なまでに情熱的な恋愛ソングをyonigeは超越してきた、と感じる。そこを歌わなくてもよくなるのはバンドとしても大きなアドバンテージだし、そういうジャンルの音楽に食指が伸びない人たちにも届く音楽だと思う。
まとめ
女性らしさをきちんと担いつつ、アンニュイで虚無的な部分を見出してきたこのアルバムはシューゲイズ的なアティチュードも感じるし、高い文学性のセンスを垣間見せる。無駄な装飾はなく、アコースティックでミニマルなドラムとベースの音だけで歌詞の世界観を彩る。その分一音一音がしっかりと練り込まれ、バンドとしての成長を感じる。
「行きたい場所ならたくさんある」
と言いつつ
「どこにも行けない」
と気付き
「どうでもいい」
と投げやりになる。答えを出そうとはせず、
「あんまよくわからないけど それが愛するということ」
と結論付ける。
「明日を生きること、忘れたくなって 体に悪いこと、繰り返している 眠たくなっていくよ」
それがyonigeのニュースタイルだ。
-最後の質問に移りますが、メジャーデビュー前のインタビューで、牛丸さんが「女の子に好かれるカッコいい女でありたい」と仰っていたんですよ。当時の自分たちの発言について、今思うことってありますか?
牛丸:思うこと……特にないですね。多分、そのときはいろいろコンプレックスがあったからそういうことについて喋ってたと思うんですよ。
ごっきん:確かに。あの頃はもっとギラギラしてたもんな。
牛丸:だけど今は、そのときに言っていたような気持ちは全くないです。
-どうしてこの話を出したのかというと、私がわざわざ引っ張り出さなければならないレベルで、今はその件は眼中にないんじゃないかと。
牛丸:うん、本当にその通りですね。今でも、「女捨てる」みたいなことを言ってる人たちのことは相変わらず好きじゃないし、「男女がフラットになった」みたいなことを言いたいわけでもないです。だから、考え方が根本的に変わったわけではないんですけど、今は自分からそこについて語ることはないかもしれないですね。別にそこはどうでもいいというか、一番大事なことではないと思うので。
だから今回のアルバムは……働くおっさんに聴いてほしいですね。ごっきん:働くおっさん(笑)! でも確かに、言いたいことは分かるわ。
牛丸:働くおっさんにも、女性にも、聴いてもらえたらいいなあと思ってます。
https://youtu.be/7Ojw70dqK3Q