今JPOPミュージシャンがアツい。

今JPOPミュージシャンがアツい。

と書くとすごく俗っぽいしなんだか軽んじて評論しているように聞こえるので他に言い方がないかと考えたが、一番シンプルに伝わるのはこれだなと思う。

私は90年代初頭に生まれ、2000年代を主に思春期で過ごした人間なので、その当時の音楽こそが自分自身のJPOP観であり、基盤である。

正直言って自分でも2000年代がとても豊かな時代だったとは思っていない。90年代の様な海外志向でもなければ、2010年代の様なガラパゴス的でありながらオンリーワンな世界観を持つわけでもない、失われた10年だったとはっきり言ってしまえばそう思っている。

もちろんよいミュージシャンがいなかったわけでもないし、よい楽曲がないこともない。たくさんの名曲が存在しているし、なによりその楽曲は私の血肉となっている。今邦楽シーンで活躍する若いミュージシャンだっておそらく影響下は2000年代の音楽だろう。たとえば米津玄師にはそういった影響が色濃く感じられる。

ただ、テレビが威信を持っていた最後の時代でもあり、流行はテレビや大手マスメディが作り出すものだった。売りたいアーティストを売りたい方向性で売る。それはなるべく個性を消し、最大公約数にヒットするように工夫を凝らされた商品であり、ミュージシャンのありのままとは言えないものも多かった。

しかしテレビがすっかり萎み、影響を持つことができなくなり、私たちが好きなものがそのまま人気を拡大しテレビやメディアに登場することが増えた。それは同時にミュージシャン自身が自分の活動の舵取りをすることができるようになったことともつながる。星野源があれだけのメンバーを必ず揃えてテレビ出演するのも、米津玄師やYOASOBIがテレビ出演のタイミングを見計らえていたのも、そういった2010年代の傾向である。

かつてKICK THE CAN CREWがジャージ姿で紅白歌合戦に出場した際、大きな波紋を呼んだが、それは彼らが自分の音楽ジャンルやヒップホップカルチャーを貫き通した証だった。いまでは星野源はパーカーをかぶり、PUNPEEはチルな恰好でMUSIC STATIONに登場する。SuchmosやKing Gnuは強い個性でファッションすらも音楽性の一つとして着こなす。そこには「みんなに好かれよう」とか「なるべく嫌われないでおこう」という打算性やひよりはない。

それが可能になったのはやはり”みんなに好かれなくても有名になれる”時代になったことと、”自分を出すことこそがかっこいい”という認識が定着したからだろう。だれからも好かれるためにあたりさわりのない歌詞を書くことが一つの「ダサ」カテゴリーに入ってしまった。もちろんいまでもそういう方向性のミュージシャンはいるし、それがいけないことでもなく、大変素晴らしい(そして極めて難しい)ことだとも思う。ただ、個人的な感想で言うと、面白い時代になったな、ということだ。

Case1:AI

かつて「Story」で一世風靡したAI。毎度毎度メガヒットを飛ばしたり大きなタイアップを取ってきてはテレビ出演を繰り返すようなタイプではなかったが、数年ごとにクリティカルヒットを飛ばす一流シンガーだ。とはいえ彼女のルーツであるソウルやブラックミュージック、あるいはヒップホップといた要素は徹底的に脱色され、明るく陽気なJPOPを歌うお姉さんとして世間に認知されてきた。

しかし2020年、彼女はアングラ界で絶大な影響をもつラッパー、Awichを引き連れMステに登場した。まさかAIほどの知名度と無色さを持ったシンガーが、テレビとは程遠いような、観る人からすれば眉をひそめる様なアグレッシブなスタイルのAwichとコラボするなんて、2000年代の活動をテレビ越しに見ていて想像もしなかった。二人の対談でもAIをずっとリスペクトしていたAwichと、すごい人を見つけたと興奮気味のAIの相思相愛のコラボで、そこに戦略や忖度はなかった。本当にやりたいもの同士の、本物のコラボだった。

そして同時に、AIがいかにずば抜けた才能の持ち主で、業界からは圧倒的な支持と尊敬を集めているのかも思い知った。AIのことを好きでも嫌いでもなかった自分にとっては脳天に衝撃を食らったような出来事だった。

Case2:青山テルマ

青山テルマはかつてこのサイトでも「青山テルマは日本のCardi Bだ」と冗談交じりに書いたが、それほどに彼女は振り切った。バラエティでも「昔は嘘ついてた!」とあっけらかんと当時の売り出し方の戦略を暴露していたが、それはトークだけでなく、音楽性でも嘘偽りがなくなった。ヒップホップを大々的に導入し、トラップミュージックをいれてくるほどに、かつてのJPOPスタンスを大きく覆す内容になっている。自分に正直に好きなことを、やろうと決めることも、それを許されることも、青山テルマの人柄や実績によるものなのだろう。最近はMIYACHIともコラボしSPYCY CHOCOLATEとはなんだったのかと考え込んでいる。

Case3:大塚愛

大塚愛は言うまでもなく2000年代を代表する女性ミュージシャンだ。私も当時彼女に一目ぼれし、「HAPPY DAYS」のシングルジャケットをずっと家で眺めて、モーニング娘。の加護亜依と大塚愛のダブル”あい”に恋焦がれていたもの…気持ちが悪い話ですみません。

出す曲どれもがヒットし、クイーンオブJPOPの名をほしいままにしていた彼女だが、2010年代に入り結婚や出産で一時活動を停止したのちは、全盛期ほどの存在感を示すことは無くなってきた。2008年までにリリースしたオリジナルアルバムは全て3位以内に入っていたのに対し、2014年の「LOVE FANTASTIC」以降は20位台にまで落ち込んでいる。

しかし2021年。彼女は「犬塚愛 One on One Collaboration」というリミックスアルバムをリリース。Kan Sano、mabanua、AmPm、ケンモチヒデフミ、Lucky Kilimanjaro、Tomgggなど、JPOPシンガーとしては考えられないコラボレーションの数々。決してテレビでは紹介されないような規模は大きくないけど支持の厚い素晴らしいミュージシャンにお願いし、最高なリミックスアルバムを創り上げている。

さらにラッパーのあっこゴリラをフィーチャリングした「あいびき」をリリース。まさにこれぞ新時代のコラボ。あっこゴリラも大好きなラッパーだが、さすがに規模が違いすぎて、想像できない。果たして2000年代の様な時代にこのようなコラボは生まれていただろうか。

Case4:平井堅

平井堅はキャリアの長いミュージシャンだ。売れるのに時間がかかった苦労人でもある。男性R&Bシンガーとして大きくシーンに貢献した彼もまた、大きな個性を前面にだすタイプではなかった(もちろん存在自体が個性ではあるが)。「世界の中心で愛を叫ぶ」のおかげで代表曲になった「瞳を閉じて」に表されるように、老若男女みんなが安心して聴けるシンガー程度の扱いをテレビではされてこなかった。

2014年、「グロテスク」で孤高の女王、安室奈美恵とビッグコラボを果たし、大きく話題を作った彼は、このころから制作とモチベーションを変化させてきたように感じる。あいみょんとコラボした「怪物さん」はいち早いタッグだったし、「ノンフィクション」は自身の強烈なけいけんをもとにし書き下ろされた独白的な内容だったし、ここまで個人の主張が強い作品は彼の中にあるのかなと考える上に、結果的にそれが多くの人の心を震わせる名曲となったことも興味深い。新作である「あなたになりたかった」ではseihoやケンモチヒデフミともコラボし、ここでもアンダーグランドな天才たちとタッグを組み、最高の楽曲を作っている。

テレビに出る/出ないのボーダーの崩壊

他にもYUKIはKAKATOとコラボしたり、YUIは自分のやりたいことをやるために大きなステージから一歩退き、FLOWER FLOWERというバンドを始動させ、そこから自力でまた表舞台にまで戻ってきている。”フックアップ”という言葉がもはや珍しいことではなくなり、宇多田ヒカルが小袋成彬やKOHHを、星野源がPUNPEEを、コラボによってテレビの場にまで持ち上げている。今放映されている「大豆田とわ子と三人の元夫」ではまさかの松たか子という超ド級の知名度を誇るシンガーとSTUTSを組ませ、そこに毎週異なるラッパー、BIMやDaichi Yamamoto、Kid Fresinoをかますというゴールデンタイムのドラマの主題歌では考えられない企画を実行している。

「テレビに出ることはダサい」という価値観が崩壊し、ロックバンドが次々に出演することも大きな転機ではあったようにも思うし、テレビ以外のメディアが確立されたこともその対になる現象として大きな要因があるとおもう。いずれにせよ、自分で自分の舵を取ることができるようになった人がおおくなったからこその現象だ。メディアが流行を作るのではなく、世間が流行を作る。その成果が今のJPOPシーンに大きな変革をもたらしているように思う。

おもしろすぎる

最後に余談だが、JUJUはapple music向けに春のプレイリストを展開している。今までJUJUが本当に聴いている音楽をここまで紹介したことがあっただろうか。テレビでは絶対に紹介されないような通好みのミュージシャンがぞろり。これも音楽メディアの多様化と先鋭化がもたらしたひとつの成果だと思う。もしひとりでもJUJUを好きな人がこのプリリストを聴いて海外のインディーロックやアンビエント、エレクトロニカに興味を持ったとしたら。それで音楽に目覚め素晴らしいミュージシャンへと成長したら。その意義は計り知れないほど深い。

2010年代に積み重ねてきたものが、2020年代で花開こうとしている。相当面白い時代になってきたんじゃないかとワクワクが止まらない。