音楽雑誌や音楽フェスなども手掛ける国内最大手の一つであるロッキング・オンが音楽アニメをプロデュースした。その名も「Rhapsody」。

「ラプソディ」は、ロッキング・オンが音楽とアニメと物語でロックを鳴らす新プロジェクト。“Rhapsody”の名の下に集う4つのバンドの信念の物語が、楽曲やライブ、ボイスドラマ、アニメによって展開されていきます。

本作の主人公となるのは、

「運命をロックで鳴らす傷だらけ4人組」Pink Flag
「爆音必殺、高校生ラウドロック」春の十字架
「虹を越える幼馴染フォークユニット」ブルーバード
「デジタルで夢を紡ぐ兄弟EDMデュオ」システム・オブ・ロマンス
の4バンド、13人のキャラクター。各キャラクターを以下の声優陣が演じます。

ロッキング・オンが手掛ける新たな音楽アニメプロジェクト「ラプソディ」、遂に始動! テーマソング、Super MV、ボイスキャストを一挙解禁!

普段アニメも漫画も接することが極めて少ない人間が第一印象で語ると、「これが日本で一番ロックを掲げる会社の今やるべきことなんだなあ」だ。

とにかくこのプロジェクトは、ロックとは〇〇といった断定系を好む。

ロックで勝利する

ロックとは悲しみと希望の物語

楽しいだけがロックじゃない

悲しいだけがロックじゃない

すべてを繋ぐ希望、それがロック

僕たちはロックの力を信じたい

運命をロックで鳴らす傷だらけの4人組

ちなみに2/4がロックバンドではないが、日本のロックを変えようとした人たちの物語らしい。

いかがひとつめの王道ロックバンド、Pink Flagの楽曲である。ロックバンド、というよりは90年代前半のポップユニットに通ずるような清涼感がある。

こちらはラウドロックバンド、春の十字架の楽曲である。これはラウドロックらしさと、ロッキングオンが普段懇意にしていうラウドロックバンドの音像に近いものがあるので、一貫性はあるように感じる。

ロッキング・オンは、自身が開催するJAPAN JAMでもROCK IN JAPAN FESTIVALにおいても(その名にロックの冠がついていても)ロックについての言及は2022年の開催にあたってのアナウンスに言及はなかった。それは同社がロックフェスとは謳っていてもロックバンドに限らない幅広い音楽ジャンルのアーテイストを出演させていることとも深く関係しているだろう。個人的にはその趣向は大賛成だし、ジャンルは異なるAwichやsic(boy)なんかの出演もあると、よりその方向性には賛同したくなる。

しかし、このプロジェクトにおいてはしつこいくらいにロックを定義しようとする。なにも私はロックを再定義したいわけでもなければ、自分のロック論を押し付けたいわけでもない。過去にはこんな記事も書いているが、それはそれとして、いまはその安直な紐づけにぎこちなさを覚えている。

ずいぶんと音楽ジャンルとしても広義のロックとして定義し、そして生活や人生におけるロックもまた広義な捉え方をしている。ロックでジャンルやライフスタイル、人生観を固定することこそ否定したがるだろうRhapsodyにはありとあらゆるものがロックで包括できる。

「勝利」も「運命」も「力」も「ロック」もずっと抽象的である。抽象的な言葉と抽象的な言葉を接続させて、いったい何を指しているのか不透明にさせることでそれっぽい標語ができあがる。2021年に開催された東京オリンピックは「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」だったが、いったいどこになぜオリンピックという夢が必要だったのか、そしてオリンピックの夢とはなんなのか、その種明かしはないまま、なしくずしに(あるいは強引にとでもいうべきか)オリンピックは開催され、夢はおろか力も裏の権力と癒着にのみに強大に感じた、クリーンさとはまったくかけはなれた力ばかりが悪目立ちした大会になった。

こういった薄っぺらい標語はどこかの偉い誰かが会議室で決めている。深くなにかを考えることなく、なんとなく耳障りのいいことばかりだけを抽出し直列でつなぎ合わせる。たしかにエモーショナルな語りが売りのロッキング・オン社ではあっても、なぜ自分たちの最大のロックの見せ場であるフェスでは言及すらしないロックをこうもたやすく定義してしまったのだろうと不思議に思う。「僕たちはロックの力を信じたい」というのは、にわかにロックに対する向かい風を意識したうえでのメッセージであることを受け取らざるを得ない。「yamaは”それでも”歌う」という記事でも言及したが、こうした一般的な言説に対して真っ向から立ち向かうピュア性はロック、ひいては音楽とは相性が良いのかもしれない。

ロックはいつでも都合よく解釈され、死んだり殺されたり生き返ったりとその多忙ぶりはご存じの通りだが、ここまでロックを安っぽく自分たちで瓦解させるのは正直言って驚く。音楽メディア自身がロックについて正面から向き合うコンテンツを作った結果が、どこまでも安直で抽象的な標語に頼ったというのは、大きな戸惑いをもって見つめてしまうのだが、考え過ぎだろうか。