Hey, now I think about what to do

見慣れたセットが現れる。縦長の額のような長方形のセット。何度も見たはずなのにこの高揚感は初めての経験だ。3日目、もうフラフラで立ってるのがやっとなのに、この時ばかりは完全にハイになっていた。あと35分待つなんて大したことなかった。最近こんなワクワクしたことあったっけ、と思い出してみたり。

去年末にリリースされたアルバム「A Brief Inquiry into Online Relationships」は圧倒的な完成度とチャレンジングなスタイルに押し寄せるエモーショナルな衝動が溢れ出ていた。受け止めるには数ヶ月かかった。

これが今のロックの新しい形なんだ。彼らがそれを作ってるんだ、と勝手に解釈していた。

それでいて彼らは飄々としていて、各フェスに出演しては「Rock & Roll is Dead God Bless」の文字をでかでかと掲げては去っていく。その憎たらしさとバンドの美しさのコントラストは表現のしようのない芸術品のようだった。

And all I do is sit and think about you

サマソニに出演が決まった時、職場で小躍りした。思わず1975なんか知るわけもない後輩に報告してしまった。全く意味のない会話だったけどそれでも誰かに言いたかったのだ。

それ以来、彼らのフェスがYouTubeにあがるたび、繰り返しその映像を見た。どこでフラれて、なんてコールアンドレスポンスをすべきなのか、しっかり把握した。それは去年のチャンスザラッパーでもやったことなのでおおよその段取りはわかる。

しかし私はそれにプラス、後ろのダンサー2人のダンスをコピーしたいと思ってしまった。ダンスなんかしたことないのに、できる限りはやりたいと思ってしまった。

思ってしまったら最後だ、腹をくくって映像にかじりつくしかない。

3ヶ月。踊れそうな簡単な部分だけ繰り返し練習に習得にまでこぎつけた。そして今、目の前にあのセットがある。今にも始まろうとしている。それだけで胸がいっぱいになった。


GO DOWN

とスクリーンに映し出される。あの流れだ。待ちわびたあの黒バック白文字。メスのような「はーぁぁん🖤🖤」が思わず漏れる。紛れもなく今のは自分の声だ気持ち悪い。

前方左側に、自分を含めて仲間4人で見ていたが、この前振りから歌ってた人がちらっといてもう泣きそうだ。

いや、それ歌うんかい!って。お前も歌えるんかい!って。

きっとほかの場所で見てた人も歌ってたんだろうなって感覚はこのライブずっとしてた。近くにはそんなにいなかったけど、みんな心は一つだったんだよなって感じてる。

Give Yourself a Try

この破壊的なリフ。バカにしてるのかってくらいにシンプルな構成。でももうリフから歌いたい。てか歌ってた。1曲目のイントロで飛んでるアホは自分くらいか。

サビの大熱唱。意外とキーが落ち着いてるので声が届きにくい。予想はもっと大声出せると思ってた。ちょっとびっくり。1オクターブあげるのはキツイし、どうしよって焦ってた。

TOOTIMETOOTIMETOOTIME

サビ後にステップを踏むつもりがテンションぶち上がりすぎて全部とぶアクシデント。全く体が言うこと聞かない。でもなんて心地いいんだこの曲。みんなで指差ししながら「one time」って。「can’t be more than four times」って。いいなぁ。君たちどこにいたんだよ。探したよ。本当に。

She’s American

こちらもサビで「She’s American」の合唱あり。王道を貫くような優しいイントロから落とすAメロBメロ。つい歌いたくなる歌詞。この曲が収録されているアルバムは本当にメロが際立ってる。かわいさと切なさが混在してその一曲一曲から滲み出てる。だから自然と笑顔になれて涙が出そうになる。Mattyの自由な動きにこの世の最果てを見た。尊いの意味がこの日初めてわかった気がした。

Sincerity Is Scary

うさぎの帽子をかぶり、「now im rabbit」「it’s metaphor」と言うまでお見通しの自分が気持ち悪い。今作で一番好きな曲。美しすぎる。

個人的に、2020年代の新しいポップスはこの曲のような管楽器が気持ちよく通り抜ける、高音がうまく生かされた音楽なんじゃないかって感じてる。こないだHaimが「Summer Girl」を出したように。低音重視から、むしろその逆を行くような。ごっそり低音を抜いてパンとはじけるような高音の管楽器やストリングスが要所要所に入ったゴージャスな楽曲が増える気がしてる。というかそうであってほしい。(とか言ってたら先日1975が新曲「People」を発表し、まったく真逆の方向性だった)


サビ前に手を腰に当てて「やれやれ」ポーズをしてからはもう自由に。気分は全くもってMatty。

サビ、もっと歌ってほしいなって思ってたけどほかの人の情報によると結構大合唱だったみたいで。ならよかった。こんなに歌いやすい曲もないし。本当に聞けてよかった。一生の宝物になった。

It’s Not Living (If It’s Not With You)

なにこのタイトル。まっすぐすぎる。でもthe 1975だからこそ臭くならないし、臭くてもそれを振り払うだけのキザさがある。彼らを通してなら自分でも言えそうな気がする。「It’s Not Living (If It’s Not With You)」。

2番の「selling petrol!」、言いたかった。声を大にして言ったよ。

the 1975の語られ方って(特に今作は)、このあと披露されたI like America〜のようなシリアス路線が多めなんだけど、個人的にはやっぱりセカンドに多めなシニカルだけど狂信的でクレイジーなラブソングが好きだ。「the sound」にしろ、そういう自分では言えないようなモテ男のセリフがたまらなく好きだしそこに核心を突かれた気分でいられるから病みつきになる。なぜだろう、ハッとさせられるのだ。その力がこのバンドにはある。明らかにほかのバンドにはない力がある。

わかりやすいダンスが特徴的なこの曲では見事に踊ってやった。きっと周りの人は「こんな狭いところでしゃがんだり駆け足したりするなよ」って迷惑がっただろう、ごめんなさい。でもこれくらいしかもう好きを表す感情が見当たらないのだ。この日のための過程を考えたらやらないなんてわけにはいかなかった。

I Like America & America Likes Me

I’m scared of dyingというバースから始まるのがこの曲。彼らの今のモチベートが浮き彫りになっている。

隣のお姉さん、めちゃ歌ってた。隣の自分の友人、バチボコ歌ってた。でも周りがあまりに静かすぎて、「あれ、この曲黙って聞かなきゃ叩かれるやつ?」って日和ってしまって歌わずに聴いてしまった。いや、真剣に彼の雄叫びを聞いていたのだ、”聴いてしまった”わけじゃない。

いたってシンプルでそのfearやscareに対して実直に向き合っている曲のパワーは計り知れない。会場の空気を一変させ(その前のキスに関するMCも含め)、パフォーマンスコントロールの精密さも改めて驚く。これほどの規模のバンドになってなお完全に手中に収めているのだから。

Somebody Else

悲しげな音から始まる別れの歌。お前はほかの誰かといるんだ、、とつらつら歌う寂しげな曲なのに後半になるにつれ熱を帯びてくる展開は興奮する。

気持ち悪いくらいにネチネチしててクドいからまぁ多分嫌われがちな歌詞なんだけど、「fuck that get money!!」をこちらに歌わせるとは、なんて無責任な男だって笑ってしまう。でも歌ってるうちになんか自分までフラれてるような、本当に「fuck that get money!!」って言ってるような錯覚に陥る。Mattyは共犯者を作ってる。そう思わざるを得ない曲だ。

I Always Wanna Die(Sometimes)

初めてアコースティックギターを手にして始まるのはこの曲。サビの合唱は感涙もの。

Am I me through geography?
A face collapsed through entropy
I can hardly speak
And when I try it’s nothing but a squeak
On the video
Living room for small
If you can’t survive, just try

 

その後に続くのが「Love It If We Made It」。元々はこの「I Always Wanna Die(Sometimes)」がアルバムの最後なのだが、ライブではこの順番が定番。むしろこれでよかったんじゃないかって思うくらいのつながり方。

Love It If We Made It

自分が初めて外の世界に興味を持ち出してから、世の中がいかに腐ってるものかしか把握できないカオスな現世は世界共通か。平和に隠れた地獄のような現実の数々。目を覆いたくなるようなこととか耳を塞ぎたくなるような事件とか、迷ったまま二度と出られない人たちも失ったまま何も帰ってこない人たちもいる。泥沼に近いような政治汚職もバカが権力を持つことも大切な人をなくすことも全部わかってる。わかってる上で「Love It If We Made It」と叫んでいる。

それがなんの実効性を持つのかもわからないし単なる標語に過ぎないのかもしれないが、あのサマソニの空間はたしかに 「Love It If We Made It」だった。自然と拳に力が入り、挙げる手がグーになっていたことに気づいた時はすでに自分の手のひらが爪の後で真っ赤だった。ふと見た時には隣の女性も拳だった。歌詞を知っていれば、自然とそうなっているのかもしれない。

私の大好きなMattyも野田洋次郎も悲観論者だとは思わない。その中に見出すわずかな、ほんとわずかな希望に大きな期待を寄せているのだ。それがわかるから愛おしくなる。そこを愛せずにはいられなくなる。

そうだよね、でも諦めたくないんだよね、って。イスラムで同性にキスして警察が動く案件になっても「自分の意思に従っただけだよ」と言い放つのも、そこに捨てられない人への愛があるからだ。とれだけ歌詞で政治家を揶揄しようが薬物や黒人の問題に触れようが本質はブレてない。そこは自分の好きな人に共通するところなんだと思う。

何かできるんじゃないかっていう無防備な期待と自信は自分の涙が証明していた。

Chocolate

一旦忘れよう。踊ろう。ここはフェスティバルだ。毎日みんな仕事や勉強に明け暮れて、楽しいことなんかひとつもない(少なくとも自分は)。the 1975なんて当然知る人もいない、なんだったら洋楽なんて1ミリも話せない現実社会で溜めに溜めたフラストレーションが全てここで解放されている。こんなに好きな人いるの?どこにいたのあんたたち!!と思わずハグしたくなる。ほんと素敵だな。

もう全部歌っちゃおう。踊れるだけ踊ろう。

クッタクタだけどあと少しで終わっちゃうなら今ここで力尽き果てても構わないじゃん。思い残したくないから。周りの目とか一切気にせず、あんなキュウキュウな場所ではしゃぎまくる。
「that’s what she said!!!」。

笑いながら、寂しさも感じながら、でも周りとの絆を感じながら。

Sex

激しいギターチューン。シンプルなロックのかっこよさが詰まってる。初期のマンチェスターバンドって感じの荒削りな音楽だけど、今ここでこのステージで鳴らしても全く違和感がない。それどころか演奏陣が際立ってかっこいい。
ライトとギターとベースとドラムの情熱的な間奏は思いっきり暴れまくるための着火剤。残り2曲ってわかってたからなおさら。

The Sound

これが最後。この曲はその合図。もう終わっちゃうんだって、こんなに寂しくなることってまあない。もう一回自分に言い聞かす。これで最後。このまま終わっていいんか?このままオーバードーズで死ななくて大丈夫か?死ぬほど暴れてみろよ俺。声枯れるまで歌ってみろよ。と繰り返す。

「You’re so conceited, I said “I love you”
What does it matter if I lie to you?」

なんてやらしい歌詞なんだ!!!あああ!!もう!!!好きだ!!!愛してる!!これが伝わらないこの世界が大嫌いだ!!

「everybody jump up and down on the count 4!!」

待ってましたよ。待ってました。これですよみなさん行きますか!!!!




イチ



ニー






イチニー








 

fukin jump!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

人によっちゃ吐く勢いで歓喜のファッキンジャンプ。絶対一番飛んだ。あの観客の中で一番はしゃいだ。いい大人がよ。大声で叫びながら飛び回ったよ。肩組んで抱き合って歌ったっていう地獄絵図よ。でもそれが許される場だったんだよな。周りがドン引きすればするほど嬉しくて舞い上がって、この身よ壊れてしまえ!と本気で願ってしまった。その方が「悔いなし」って自分で自信持って言えるから。内臓かなんか飛び出して泡吹いてぶっ倒れてないかなって脳裏によぎりながらラスト1分のフィナーレを飲み込んだ。

全力疾走した後のような荒い息遣いで天を仰ぐ。真っ青な夕暮れ。大の字に横たわる自分は顔を赤らめ恍惚の表情を浮かべている。しばらく呟くこともできなかった。「神!」「最高!」「伝説!」と褒め言葉はいくらでも出てきたがまったく足りない。語彙が追いつかない。感情が独走していく。このあとB’zを見ようと思ってたけど到底その力は残ってない。後方へ下り休憩してる間、立ち上がっては座り、所在なさげにウロウロする自分を認識できた。どう振る舞えばいいのかわからず、どうこの世界に向き合えばいいのかわからずただキョロキョロと辺りを見渡した。

ライブが終わった時、隣の女性が「一緒に見れて良かったです」って言ってくれた。1975にではなく自分達にお礼をしたのだ。やっぱり彼女は本物だと思った。自分と同じ、いやそれ以上の熱量でライブを楽しむ人が近くにいることは幸福なことなのだ。バカなんじゃないの?ってくらいに狂ったように踊り続ける自分達に触発されるように、あるいはその女性の力強いフィストに触発されるように、お互いがお互いを高め合っていたあの瞬間は奇跡だと思う。

こちらこそありがとう。カップルかな?羨ましいな。こちとらハグした相手は大学の同期の男だぞ。お互いくっさいし触れたもんじゃないぞ。

Being young in the city Belief and saying something

よく考えてみたら全然ライブの記憶がない。
Twitterで呟くこともない。あのライブの後、2日ほど放心状態だった。
色んな人の感想を通勤電車で読んでいく。みんな思い思いの愛で彼らのライブを受け止めていたみたいだ。
さて自分はどうだったろうか。みんなに負けてなかっただろうか。
また集いたい。みんなで、「あのライブやばかったね!」と騒ぎたてたいのだ。

嵐のように過ぎ去っていったライブだった。サマソニはこれで終わりではない。Fall out boyもTwo Door Cinema Clubも残っている。だけれどあの瞬間を超えられるものはもうない。べったりとこべりつくような汗に潮風がまとわりつき不快感しかない中に、一人満足気に倒れこんでいる。良かった良かった。俺が優勝だ。俺が一番楽しんだぞ。お前らは二番だ。お前ら全員俺以下だ。

ただその自信だけを握りしめて、明日からまた普通の生活に戻るのだ。

音楽は自分を救ってはくれないことを散々思い知った中で一つの確証がある。

音楽は救われたいと思った時にこそ真価を発揮するのだ。

Mattyはきっとそれを理解している。