小籔千豊が今田耕司の番組に出演していた時、こんな話をしていた。

石破茂総理にあれを撤回してよくない。これがだめと批判ばかり。そもそも総理大臣や国会議員のみなさんは私たちの代表でやって”くれている”。本当は僕たちがやらなきゃいけないのに、代わりに税金を使って色々決めたり国を動かしてくれている。そこの感謝がないとあかん。

はっきりとした発言は覚えていないが、おおよそはこのような内容だった。

私は強烈な違和感を抱いた。というかむしろ嫌悪感というか胃がムカムカすらした。この強烈な違和感は何だろう。その理由を言語化すべく、私は友人に相談してみた。困ったらいつも相談に乗ってもらい言語化のお手伝いをしてくれる友人。自分ではまとまりきらないもやもやは、彼に相談すると決めている。話していくうちに、この小藪のスタンスには「批判ばかりするな」が透けて見える。その透けた裏側には「権利を行使するなら義務を果たせ」というテンプレートの文言が見えてくる。

どうして私たちは総理大臣に「代わりにやってもらってありがとう」と感謝しなければならないのか。どうして批判ばかりしてはならないのか。

小藪という人間は常に権力側におもねる姿勢だ。今自分にとってはなんら不都合が起きない平和な社会であることをいいことに、この国のシステムをひとつも変えたいと思っていない。願わくばこのまま維持されてほしいと思っている。マイノリティや弱者に寄り添ってしまうと自分が割を食うかもしれないと考えている。だから阻止する。批判する人を愚かだと決めつける。総理大臣は私たちの代わりにやってもらっているわけじゃない。確かに議会制民主主義として国民の代表として働いているが、その分の給料は税金で支払われている。対価はもらっているはずなのに、プラスアルファでこちらが感謝を与えねばならないと小藪は主張する。そもそも国の代表は、その性質上どうしてもあらゆる権力を持ってしまっている。それはいくら民主主義とは言え、いつだって独裁的にふるまうこともできる。誰かを排除することも可能だ。映画「HAPPYEND」では時の総理大臣が地震をきっかけに「保安上、治安維持のため」と緊急事態要項を発令する。そこには移民や在日外国人を排除する目的がある。あの関東大震災のときの朝鮮人虐殺を彷彿とさせる差別的な命令だ。「HAPPYEND」は近い未来の話だと仮定され物語が進むが、実際にそれが行われないとは限らない。

そしてその暴走を止めるのは国会議員ではなく、国民自身だ。誤った方向に進んでしまいそうなときに、国民がきちんと監視し、適切に批判しなければならない。そんなときに「批判ばかりするな、感謝しろ」という小藪の存在はどうだろうか。私には政権側の人間だとしか思えない。国民の見方ではなく、自分を悠々自適に生きさせてくれる政権を持ち上げたい。その悠々自適に生きさせてくれるのは自分が日本人であり男性であり社会的に地位のある人間であり目立った障害がないマジョリティだからだ。夜道を歩いても暴漢に襲われるかもと考える必要は極めて低いし、マンションを借りるときに1階や2階は諦めなくても良い。パスポートを見せろと言われたり、○○人のくせに、○○人は入店禁止、と言われることもない。社会的な地位もあり金銭面も余裕があるため社会福祉を積極的に受ける必要がなく(だからこそ福祉を受けている人たちを「俺たちが受けさせてやっている」と勘違いする)、日常生活において障壁は少ない。バリアフリーにしてもらわなくてもいいし、エレベーターや手すりはなくてもいい。とにかく今自分が平々凡々と生きられるのはあらゆる特権階級の恩恵にあずかっているからだという自覚もなく、ただただ持たざる人たちの要求を棄却し矮小化しようとする。

そして都合が悪くなるとご自慢の口論で封じ込める。時には勢いで、声量で、屁理屈で”論破”する。論破しなくていい事案をむりやり結論へと導く。

 小籔が別姓に猛反発発言を行ったのは、12月1日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ)でのこと。この日の特集テーマは「夫婦別姓」だったのだが、小籔は話を振られるや否や「まあ、ぼくはどっちでもエエよと。(声を強めて)そんなにイヤなんやったら!」と宣言。しかし、つづけて出てきた言葉は「どっちでもエエよ」どころか“別姓なんか許してたまるか!”というべきものだった。

「この何億年と日本がずっとしてきたことで、その人自身がイヤやということで、いままでの人たちを否定するがごとく変えたい、そこまでの熱あるんやったら、じゃあ変えたら? 好きにしぃって思うんですけど。じゃあ理由聞いたときに、『あー、なるほど、その理由ですか』っていうのに、僕いままで一度もあったことないですね。失礼ですけど、だいたい、しょーもない理由で。アホな芸人の言うには、ですけど」

 あからさまなケンカ腰でこうぶつと、今度は「さあ、(別姓賛成派の)理由聞かせてもらいましょ! それらしい理由が出るんでしょうね!」とけしかけた小籔。当然、そのあとアナウンサーが紹介する賛成理由にことごとく文句をつけはじめた。

 たとえば、別姓賛成のひとつ目の理由として挙げられたのは「自己のアイデンティティが守られる」という点。これには小籔と同じレギュラーコメンテーターのハイヒール・リンゴも「女子サイドにはわかる」と同意を示したが、小籔はこのように吠えた。

「自己のアイデンティティが守られる、その一個人のアイデンティティ守るために、いままで脈々とつづいた制度を変えるって、あとから入れてもうた草野球チーム入ったときに、球場Aでやってるとすると、“私、Aの球場遠いからBの球場にしてぇや”って、あとから入ってきたヤツが言うてるようなもんですやん!」

 さらに「カードの名字変更など膨大な事務手続きが省略」と説明されると、すかさず小籔は「えー、そんなん引っ越しのときも大変ですけどね。引っ越しせえへんねや、この人」と好戦的にボヤいた。

小藪千豊が夫婦別姓をドヤ顔で猛批判! 「夫婦同姓は何億年続く日本の伝統」「別姓を主張する女は不幸になる」

まったくもってちぐはぐで、支離滅裂と言ってよく、話にならないのは明らかだ。筋の違うたとえ話で強引に話をまとめ、カードの名義変更で大変だという意見に対し「引っ越しも大変ですけどおたくら引っ越ししないんだ~」と到底しらふでは思いつけないような暴言を吐く。本当に意味が分からない。何回読もうとわからない。恐ろしいくらいに意味が不明だ。まるで自分たちが先住民で夫婦別姓を唱える人たちが後から入植してきた人間かのように例える醜悪さ。はじめからお互いに住んでいて、自分の家の近くにA球場があり、A球場から遠い人たちは制度の面でも交通費は支給されず、そもそも電車もバスもないため自転車で通わなければならない。それならバスを運行させるかB球場を作るかのお願いはなにも間違ったことではない。いちいちこれに答えることすら億劫になる。論破したいならもうすこし自頭を鍛えた方が良い。

そして、夫婦同姓によって発生する問題として「女姉妹だったり一人娘の女性が結婚後の姓を自分のものに変えてほしいと言うと、彼氏やその家族に拒否され、泣く泣く別れた」という例が挙げられると、「お父さんお母さん、彼氏、自分。この3つの調整もせんと制度変えるっていう考え、(そういう女性は)何やっても不幸せになると思いますよ! 人のせいばっかりですやん!」「駆け落ちしたらよろしいやん!」と猛然と批判した。

人に「不幸になる」と決めつけ、「駆け落ちしたらいい」と苦渋の決断により行われる最終手段を平気で提案する。平気で提案するのは自分には関係がないからだ。そんなリスクもないからだ。政権側と思想がマッチすることってこんなに平和ボケするんだとほれぼれする。ほれぼれして、いやいや絶対にああはなるまいと誓う。

人のせいばっか、とぼやく。批判より感謝、と委縮させる。自分の人生は自分でハンドルを握るんだというのは、ハンドルがちゃんと付与されそれがタイヤと間違いなく連動し、不備があればいつでも整備してくれる人だから言える傲慢な発言だ。小藪のとなりのドライバーにはハンドルはついているのか。クラッチはあるのだろうか。「お前は女だから」と数十分の一のサイズのハンドルを搭載された車は、曲がりたくてもうまく曲がれない。このハンドルを大きいものに変えてくれと懇願すると「文句ばっかり言うなよ」と隣の小藪があきれ顔でいう。恐ろしい光景だ。グロテスク極まりない。

「ここに信号があるけど、僕の税金では信号なんかつかへん。先人たちが収めてくれたお金で信号がある、アスファルトがある、高速道路がある。だからうちの子どもたちは歩いていける。何一人で生きていたみたいな考え方してたんや。先人に感謝しよう。墓参りに行こう。行ってない人、ちょっと行ったらどう?」

小籔千豊が信号機を見て感謝する理由「自分が生きているのは先人のおかげ」

こうやって小藪は常に感謝を最優先させる。それは一見間違ったことではないようにも思える。事実感謝自体が悪いことではない。ただ、その感謝が隠してしまう事実がある。委縮させる問題がある。それに無頓着なまま、小藪はずっとこの姿勢を崩さない。神社仏閣仏様に信心深く、家父長制にならい、アンチフェミニズムの権化と化している彼は、この時代の流れを読み解けていないのか、読み解くつもりもないのか、あるいはあえてこの時代だからこそ声高に叫んでいるのか、いずれにせよ圧を極限まで高めた状態で場を制圧しながら持論を展開していく。

私はそんな小藪千豊が怖くて仕方がないし、この人はいつだって体制側につくんだろうな、と警戒している。