なぜか思い出す
この音楽に救われた!という経験は、音楽好きなら、とくにこんなブログなんてやり始めるくらいに面倒くさい人間ならばひとつやふたつ、いやななつややっつは持ち合わせていて、それがいかに自分の人生に影響を与えているかを語る手法はいくつもある。
それは多分このブログで散々やってきたことだと思う。そして、ブログってそういうものだと思う。そうやって他人の人生を動かした経験を語り聞くことはとても楽しい。
でも、ふと思い出してしまうことがある。自分に全く、影響を与えなかった曲の事を。あるいは人に言いづらく今まで誰にも言えなかったけど確かに記憶にこべりついた曲の事を。忘れないでと私に語り掛けてくる。人に話すまでもない、広がりも接点もないエピソードがころころと落ちているので、仕方なく拾い上げ記憶のスペースに格納していく。どこにしまえばいいのかも、ジャンル分けもできず、「その他」とガムテープに書かれている引き出しにしまってみる。みるからに形も大きさもまばらでおさまりが悪そうな引き出しになった。少し覗いてみる。こちらを恨めしそうに見ている。俺をブログにしろと迫っている。その視線から逃げるように背けて立ち去ってしまう。そうしてずっとためこんでいたものがある。どうにかして点と点を線にしようと試みるけど、多分失敗に終わるのだろう。でもいい。この曲たちに名をつけてやりたい。やきもちとか、恋心とか、復讐とか、情熱とか、ラベリングをしてあげたい。語り未満の連なりが、私をかたどる場所もあるのではないだろうか、なんて考えている。
軽音
高校に入学してすぐに、クラスメイトから「ロック」というジャンルを教えてもらい、音楽を趣味へと変えることになった。いままで野球とお笑いくらいしか興味がなかった少年が、ロックに夢中になる。当時流行っていた日本のロックの基本の”き”から好きになっていく。RADWIMPS、ELLEGARDEN、マキシマムザホルモン、POLYSICS、チャットモンチー、ストレイテナー。それは、仲良くなった友達が軽音楽部に所属していたことも例外なく影響下にある。
彼らは文化祭でバンドとしてステージに立つ。そして歌を歌う。ギターを弾く。ロックを奏でる。それぞれのスタンスで、思い思いの楽曲を練習し披露する。彼らは4人組のガールズバンドを結成し、ELLEGARDENの”BORED OF EVERYTHING”を演奏していた、ような気がする。少なくとも自分の記憶ではそうなっている、が、実際は違ったかもしれない。でもこの曲を聴くたびにそのバンドを思い出す。この曲を演奏しているところは結局見られなかった気がするが、なぜかそれだけ覚えている。バンドというものに憧れる私は何を血迷ったか拳法を扱う部活に入り、先輩に稽古という名のサンドバッグ扱いを受け、日々その憧れを強めていた。彼女たちがどんなバンドだったかなんてほとんど覚えていないけれど、ipod touchで部室の演奏動画を見たことがあって、それは理想的なバンドのそのものだった。バンドってかっこいいなあという憧れがただただあった。もちろんそんな思いは秘めておいた。この曲はどこかで披露したんだろうか。もう30をすぎても、あのipod touchの動画を思い出す。
彫刻刀
中学校で、数学のクラスがAとBに分かれていた記憶がかすかにある。特に成績上位下位でわかれているとかそういうのではなくて、単純に図形系の数学の教科書がAで計算系の教科書がB、みたいな、そういうジャンル分けだったような気がする。校舎の3階の階段から一番遠い奥の教室が数学の教室で、そこまで授業の度に移動していた。中学3年の蒸し暑い夏、いつものようにその教室に入り、一度も席順などさせてくれないいつもの座席に座っていると、机の裏面がざらざらしていることに気づく。授業中、気になってずっと触っていて、それが何かを考えていた。授業が終わればすぐに自分の教室にもどらなければならなかった。次の時間割が体育のためすぐに教室から自分の体操着を持ち出し、部屋を出ないと女子の着替えが始まってしまうからだ。私は挨拶と同時に教室移動する前にささっと机の下に潜り込む。思ったより長文がきれいな字で彫られていた。
薄い紙で指を切って赤い赤い血がにじむ
これっぽっちの刃で痛い痛い指の先
これがいったい何の意味をもたらすのか全く分からなかった。ずいぶんと唐突な告白だなとも思った。血まみれになりながら彫ったんだろうか、とか考えた。なぜこの人は紙で指を切ったことを机の裏に報告したのだろう。場所的にも机の下に潜り込んであお向けで彫ったか、机をひっくり返したかの二択で、どちらにせよかなり大胆な行動で、先生にバレれば速攻で職員室行きはまちがいないはずだ。そのリスクをしょって書きたい理由がわからなかった。
この言葉が歌詞であることに気づいたのは高校一年生に、チャットモンチーというバンドを知り、その曲のひとつに「ハナノユメ」というものがあったと知った時。そうだったのかと合点がいく。でもどうしてあの歌詞をかこうとしたのかはいまだにわからない。すこしヤンキーな女の子が書いたんだろうか、という想像を働かせながら、この歌詞の意味を考えてみる。生の実感って、中学生くらいにはやはり”血”という部分で感じるところはあるのだろう。大人になった今では体に合わないベッドで寝ると体が痛くなったり、暑すぎてフラフラになったり、大事な打ち合わせをすっぽかして相手先からの連絡で思い出した時のほうがじりじりと焼けつくような実感があるが、あの当時は真っ赤な血こそ生きている証だった。
肥大化した自我に注ぐ光
音楽好きであることを自覚し始めるオタクはその拗らせを暴発させ、勢いを止まらせることはない。18までに培った「自分たちで演奏していないやつはフェイク」「ロック以外の音楽をやっている人はロックのなりそこない」というとんでもない持論をあちこちで露悪的にぶつけては眉をひそめられていた(と個人的には思っている)。大学の授業の合間にパソコン室でyoutubeを漁り、気に入ったものは片っ端からTSUTAYAでレンタルしていく。探れば探るほど出てくる良い音楽。手を止める理由はなかった。と同時に肥大化させる自意識、というか思い上がり。自分はたくさん音楽を知っている。こんなテレビで流れるクソッタレな音楽ではなく、”ホンモノ”を知っているんだ、という悍ましい思想が頭の中をどんよりと覆っていた。そういう気配って多分漏れていて、だからきっと寄りつく人も寄り付かなかった気がする。友達はいたけれど、親しく音楽を語る友人は数えるほどしかいなかった。
TSUTAYAが音源を借りる場なら、探す場はタワレコだった。今思えば随分タワレコのイチオシに振り回されてきた。次これ来る!と言われて早速CDを買ってサマソニもなんだか推してる!のに全くそれ以降音沙汰のないバンドは数知れず。良さもわからずとりあえず買ってみたりしたものも今もきちんとCD棚で眠っている。多分二度と聴かれることはない。そんな玉石混合の中でもfoster the peopleは間違いなく最高のバンドだった。抜け感のあるインディーサウンドは当時の自分の好みにジャストフィットし、たしかに当時らしいサウンドだと今聴いて改めて思う。
大学時代に所属していたサークルはアウトドアという名ばかりのイベントサークルで、でもイベントサークルという割には実態は世間で怪訝な目で睨まれるような貞操観念の外れた行動はなく、ただただ仲の良い友達同士でどこかに遊びに行ったりするだけの、ゆるいサークルに所属していた。いい意味で明るくカラッとしていてライトな感じは自分には居心地が良く、オタク気質な自分とは随分異なる人たちと接する良い機会だったと思う。会議を兼ねたお昼ご飯は適当に空いてるゼミ室を使ったりしてみんなで食べたりしていた。お弁当持参の私は決まってその会合にいち早く集まった。集まりの悪さに嘆く同期もいたし、ミスチルのFanfareのライブバージョンの完コピを披露する人もいたし、マツコデラックスのような人間になりたいと自信満々に語る自分のような能天気な人間もいた。ある時、同期の女の子の一人が私の聴いている音楽にたまたま目をつけ、「うちもその曲すきやよー」と声をかけてきた。Foster the Peopleは今話題になりつつあるとはいえ、そもそもそんな音楽を聞くような人だと思っていなかったので面食らった。テイラースウィフトとかカーリーレイジェプセンみたいなのが好みだと思っていたので、単純に意外で驚いた。実はみんな、言わないだけでそれぞれのアンテナでこっそり知っているアーティストとかいるんだなと初めてその時に気がついた。正直ミスチルを得意気に完コピするミスチルオタクの友人はその点では小馬鹿にしていたけど、そうじゃないんだと理解した(実際彼とはのちにサマソニに行って(もちろんミスチル目的ではあったが)、MUSEなどに結構ハマって音楽の深掘り方が素敵で大好きなんだけど)。そこから何かに発展するとかしないとかは全くなかったし起こすつもりもなかったけど、なにかにつけてそのシーンがいまだにふと思い出される。
スミくん
ジャズというジャンルはスミくんが教えてくれた。オープニングスタッフとして働き始めたバイトの同期として、そのアルバイトを辞めてからも仲良くしていた。スミくんはバイトをしながら音大に通い、ジャズピアニストとして活動していた。ジャズは全くわからないけど、本気で音楽家として頑張ろうとしているスミくんはある種の憧れだった。彼はトリオバンドを組んでいた。ドラム、ベース、ピアノでジャズだけどいわゆる私たちが想像するよりもっとアグレッシブなジャズで、彼は何度も私をライブに誘ってくれた。確か実際に行ったのは1回だけだったけど、本当にめちゃくちゃ感動した。スミくんは上原ひろみを敬愛していて、実際そのトリオバンドは上原ひろみのトリオバンド(アンソニージャクソンとサイモンフィリップスを迎えた編成のバンド)をコピーしていて、なんて難しい曲なんだと頭がショートしそうになりながら聴いていたのを覚えている。スミくんはその中でも「Move」という曲を教えてくれた。アルバムの一曲目をかざり、目覚ましのアラーム音を上原ひろみのピアノで始め、このコンセプトアルバムは幕を開ける。ジャズってそんなユーモアあるんだと初めて教えてもらった。でもだからといってジャズに詳しくなることもなかった。上原ひろみにも精通しなかった。Moveだけが残った。
深夜に車を走らせ二人でいろんな話をしたりした。難波のレストランで将来どんなピアニストになりたいかの話も聞いた。卒論でBUMP OF CHICKENについて私が制作していたので音楽的な知見を求めたりもした。スミくんはいつもニコニコしていていつも誠実に答えてくれた。
数年前、テレビに出演しているスミくんを見かけた。その時に久しく彼と会ってないことを思い出し、同時にもらった自主制作CDがCDの山積みのどこかに埋もれているはずであることを思い出した。その山を崩して一枚ずつ確認しながら探してみると、やっぱりまだちゃんとあった。ちゃんと夢を叶えているんだ、と嬉しかった。歌がないジャズはなかなかテレビとかでは扱いにくかったジャンルだったけど、ちょうどその頃ストリートピアノも流行り出して、ハラミちゃんみたいな存在もいたのでそれなりの注目度はあったのかもしれない。久しぶりに名前を検索してみる。Xのアカウントがあったので覗いてみると、再来週、近くでフリーライブがあるらしい。行ってみようかな、とか思った。子供とか連れて。あの時はお互い将来が不安だったけど、それぞれの道があるんだね、と確かめるために。
スミワタル【ピアニスト】(@sumiwataru88)さん / X
なぜ思い出す
ふと思い出した曲たちは自分を形作らなかったしその思い出を残してくれた人達と一度も出会うこともなかったり、もう再会することもそうそうなくなってしまったりした。
でも思い出す。その記憶はべたりと鼓膜の裏に張り付いている。固有の音を聞き鼓膜が震えた時、記憶が発動する。でもそのほんの少しの回想である。繰り返しすぎて自分で捏造したものではないかと勘繰る時もある。写真も何もない、でも忘れさせてくれない。
