フジロック2025の三日目に参加し(レポは後程更新します)、無事朝までノンストップで踊り続け、死んだように新幹線で眠りにつき帰阪した筆者は、今年もまたいい夏を過ごすことができたと、7月に早々とひと夏の思い出を作りきって満足していた。
そんななか、フジロック本編とは違う、貴重な体験を経験したので、ふんわりと濁しながら書いてみる。
3日目、日曜日の大トリであるVampire Weekendが終了したころ私はWhite StageでHaimのライブを満喫していた。夜11時を回っても終わらないライブ。フジロックならではの感覚で、ここが一番楽しい。ようやくすべてが終わり、Vampire Weekendが終了したMountain Stageではクロージングアクトである1950’s Western Caravan Orchestraが演奏を始めていた。
今思えばちゃんと見ておけばよかったなと後悔するのだが、そのまま横切ってOasisエリアに移動、椅子を広げて友人たちといったん休憩することに。各々ご飯食べたり別の友人たちと再会したりと時間を過ごし、そして少し深夜のRed Marqueeで踊ってから、Palace Arenaに移動。
私はフジロックが2年ぶり2度目となる新人なのだが、前回もこのPalace Arenaで朝まで踊って本当に最高の場所だったという記憶が鮮明に残っているので、もちろん今年もその目当てで目指した。
おそらく深夜2時過ぎ、まだまだ大盛況のPalace Arenaは中に入るのも一苦労で、とりあえずカウンターでお酒を買って、そしてテントの淵でちょっとおどりながら深淵に入るタイミングをうかがっていた。
その時から、「前回よりだいぶパーティー感強いなあ」とは感じていた。フジロッカーが集まったというよりは、ちょっと関係者の集いみたいな雰囲気があって、こんなTシャツにロングパンツ履いてリュック背負った小柄な30代中盤の冴えないおじさんよりも若くてエッジの効いた格好をしている人が多くて、むしろ自分が浮いてしまわないか不安さえよぎった。ただ、ダンスフロアの素晴らしいのはそういう孤独感とか疎外感みたいなものを打ち消してくれるところだ。時間が深まれば深まるほどここはカオティックになり、どんな世界でも受け入れる土台が出来上がる。
そんな混沌に足を踏み入れかけたとき、ふと目の前の人物に目をやった。あまりに分かりやすく、あまりに瞬時に理解したので、混乱が勝った。そこにいたのは今日のステージでも演奏をしていたアーティストのフロントパーソンの方だった。
DJをしていたのが(2年前もそうだったので毎年そうなのかもしれない)彼と親しいとされている人だったのですぐに合点がいったし、人間違いの余地がなかった。もちろん今日のアクトも全部見たし、大好きな、と一言で表すにはあまりに無謀すぎる、いわゆる憧れの人だ。
友人にあわてて連絡し、二人でじっと見ていた。声をかけろよと言われたけど、ここはクラブ。プライベートだし、まわりのみんなもきっと気づいてるだろうけど誰も声をかけるそぶりもしないのは、ここでは有名人も一般人もないからだ。そこを弁えていると私も知っているから到底声を変えることはできないと思った。
そのまま彼はDJ卓の最前までいき、私たちもさりげなく(きっとぎこちなく)ついていった。もちろん彼のことを忘れて踊るつもりだった。だってここは最高だから。夜が明けるまで音が鳴り止むことなく、テントなのでその夜明けを感じながら踊ることができる。そんな体験をまたしたいと強く願っていた。ただ、とにかく気になる。そしてずっと膝が震えている。
1時間くらいが経った。いつ彼がふらっといなくなってもおかしくない。少し彼が早くいなくなってほしいとも思った。「あぁ残念、さっさといなくなっちゃったから声かけられなかったよ。でもかけなくて正解だよね、だってあの場所でそういうのはナンセンスだもんね」という言い訳まで用意していた。
でも、人生この先二度とない”チャンス”にも感じていた。
2時間が経った。まだ彼は踊っているし私も踊っている。色々考えすぎて、いろんなことを思い出して何がなんだからわからず涙が出てきた。あまりにみっともなくあまりに気持ちが悪くそして不気味なおじさんが最前でお酒を片手に踊りながら泣いている。
友人に「先にアタックしてくれ、それに続く」と他人任せで試してみた。嫌なお願いだとは思うが自分にはそれしかないと思った。
結論から言えば、友人はさりげなく彼が後ろを振り返ったタイミングで自らのグラスを差し出して軽く乾杯を交わした。よし!今だ!と思う隙もなく友人は「これはお前一人でやるべきことだ」と言い残し去っていた。話が違いすぎて絶望した。まぁそりゃそうなんだが。
そのまままた何十分も経過した。
今思い返してもあの時間どんな音楽が鳴っていたかはほとんど覚えていない。意識はほとんど彼に集中していた。
彼が率いるバンドに出会ったのは16歳の時。高校入学して最初にクラスメイトで行ったカラオケである一人が歌った曲に衝撃的に引き込まれたのがきっかけ。そのバンドを教えてくれたのは彼と言っても過言ではない。それからは本当に狂乱的に愛した。全部聞いたし全部歌えた。新曲は2ちゃんねるの掲示板に張り付いていろんな考察を眺めていた。滅多にメディア露出しないので、ラジオ出演はとにかくこまめにチェックした。関西在住なのでローカルの番組は文字起こししてもらったものを探したりした。雑誌は全部読んだ。高校卒業する頃にはすっかり音楽に魅了された学生になっていて、海外のポップスやロックなど聴くジャンルも幅広くなった。でもそのバンドが一番好きなことには変わりなかった。
もはや好きというレベルは凌駕していた。彼の書く歌詞から日本語の言い回しを学び、彼の歌詞や発言から社会に対する眼差しも変わった。世の中がいかに腐敗しているかを彼と共に嘆き、それに抗おうとした。
彼がインドに赴いた時は私もインドに向かった。3.11があった時、彼はひどく胸を痛め、曲を書き、悲しんだ。私もやはり悲しみ、でも彼の言葉で救われた。彼のような格好をする人もいたが、私はそれはしなかった、というかできる気がしなかった。その代わり彼がヘナタトゥーをあしらった時、私もヘナタトゥーに興味を持ち、いまだにタトゥーはいつか入れたいと夢見ている。彼が打ち込み曲をリリースしたりエレクトロニカにアプローチした時はそのジャンルの入り口となった。今ではたくさんのジャンルと曲を聴くのも、全てのきっかけは彼のバンドだった。はっきり言ってしまえば全ての出発点だ。価値観も考え方も音楽性も、全部彼から教わった。今ははすがに歳をとっていろんな人から影響を受けるようになった。全部が全部彼の言うことを賛同できないことも増えてきた。彼が重んじることは私は軽んじてしまうし、私が重んじていることを彼が言及してくれなくてやきもきしてしまうこともある。でも絶対に根本は同じである。だって彼から全部教わったから。
当ブログを読んでくださってる方々は私がドがつくほどのリベラルであることは理解いただけているかもしれない。多様性を重んじ、福祉を重んじ、過剰な資本主義社会にブレーキをかけた方がいいと感じている。フェミニストだしLGBTQ+には常日頃から言及している。
それも全ては彼が博愛主義だからだ。彼は明確にフェミニズムもLGBTQ+にも言及することはないが、彼が決してそういう人たちを蔑ろにしたり差別したりする人じゃないことは言わなくても知っている。そのロマンチシズム、ピュア性がたまに特定の人から嫌われる理由にもなるし、批判の的にもなるし、優生主義だとか歪んだ愛国心みたいな批判にもつながっている。それはそれで理解もするし、確かにそうだなと感じる部分も多々ある。
でも彼は誰かを排除する人じゃない。それは彼らが出した最新シングルがニュース番組のテーマソングになり、その歌詞にも現れている。歌詞を読んで、改めて彼は私と根本は同じであることを認識する。この世界をきっと良くしたいと願っている。このままじゃ良くないと思っている。日本人ファーストなんてことは間違っても思わない。彼は賢いからそんなバカな妄言に付き合うことはない。
彼のバンドは十分に売れていたし、世代を代表するバンドだし限りなく多くのフォロワーも生み出したバンドだ。しかし10年ほど前に映画の主題歌を手掛けてからその規模はさらに拡大した。老若男女が認知するバンドになった。ここ数年は少し彼らに熱をあげるペースが下がり、まだコロナ以降ライブにすら行けていない。ギタリストが脱退してから(あのギタリストは本当に許し難い)はまだちゃんと聞けてもいない。でも今回フジロックに出演すると聞いて、フェスでの彼らを拝みたくなった。単独で何度も見た彼らだけれど、フェスでは見たことがなかったからだ。
彼らは上記の新曲を含んだセトリでプレイしていた。新曲をやる際に何かコメントをしてくれるかなと期待していたが彼は特に何も言わなかった。それでも彼の想いはあの曲に十分詰まっていた。平気なふり選手権、とはよく言ったもので、ある政党はデマを流しても平気でその証拠を消してみたり嘘をついてみたり嘲笑してみたり論点をずらしていく。そうやって不誠実さが巧みさにすり替えられ持て囃される時代になったんだと、彼の曲を聴いて思い返す。
辛くて到底立ち直れないような時もきっかけは彼の書く言葉だったし、モヤモヤした時に一縷の光を与えてくれるのも彼の言葉だった。思春期を乗り越えたのは彼のおかげ以外の何者でもない(あとはBUMPの藤原基央だが藤原の言葉はもっと対人関係に響いた)。
吐き気がする。
膝の震えは止まったが脂汗が止まらない。
まだ彼は目の前で自由に踊り、気さくに仲間と話をしている。
邪魔してはならない、ここに有名人も一般人もない、と言い聞かすも、「ここを逃したら一生ないよ」と唆す自分もいる。
結局どのタイミングだったかは定かではないが、これほど「思い切って」という言葉がぴったりな状況もないくらいに「思い切って」グラスをえいと近づけた。すでにお互いすっからかんのプラスチックのグラスがコンと当たる。震える声でいまだと「20年ファンです!!!」と伝えた。聞こえたかどうかはわからないが彼は微笑んでくれた。そして私が先に違いないが、いつのまにか握手をしていた。彼の利き手の左手でしっかりと。ぐっと握って二度ほど上下に振った。サングラスをしていたが彼はこっちをちゃんとみてくれていたのがわかった。
彼と乾杯ができてもすぐに立ち去らないようにはしようと心に決めていた。なぜなら、すぐに立ち去ると、「ああこいつは有名人に会いにきただけか」と思われてしまうんじゃないかと考えたからだ。事実、何度も言いたいのは、私がここにいるのは踊りたいからで彼がいると知って駆け寄ってきたわけではない。でも体が咄嗟にその場を離れるように指示していた。
溢れる涙がこの場にあまりに相応しくなくて、恥ずかしくてその場から逃げるように離れた。
テントを出ると空はかなり明るくなっていた。友人たちは私を見つけるなり「できた?」と聞いてきた。握手して声もかけれた、と伝えるや否や崩れ落ちてその場で泣き出してしまった。
私は確実に動画を回されていることを把握しながら、そして「後で絶対消させてやる」と誓いながらその感動を分け合った。友人たちには自分がどれほど彼のバンドを、彼を、好きなことを理解できないだろう。それは仕方ないことなので、今回ここに書き記した。
欲を言えば写真を撮りたかったしサインも欲しかったし、いかに自分があなたの影響を受けあなたに人生救われたかを説明したかった。でも、「20年ファンです」とあの握手だけで少しでも伝わったのならそれでもいいかと思う。
Xで特定の名前を出して呟くのもやめたし、本人にリプしたりするのもやめる。本当はみんなに言いふらしたいけど、あの場はそういう場じゃない。フジロックはそういう場じゃない。2年前、black midiのメンバーが気さくに撮影に応じてくれて一緒に乾杯してくれたように、彼らもまたフジロックを楽しんでいるし、その空気を作るのは私達がこれみよがしに有名人を騒ぎ立てないことだ。
来年もフジロックにいくならまたPalace Arenaにいくだろう。でもそんな下心ではなく、むしろ今年はほとんどまともに記憶がなかった分を取り戻しに、また朝まで踊りに行きたい。
帰りの新幹線で疲れて眠り落ちるまで、何度もあの数秒を繰り返して思い出していた。
今まで何度も彼と出会う夢を見ていた。フェスでなぜか目の前で歌ってくれたり体育館で自分のために歌ってくれたり自宅に来てくれたり。一緒に踊ったりもした。それが目の前で現実になった。生きててよかった。そういうラッキーなことには縁のない人生で、Xでよくみる「ライブ終わりに居酒屋行ったら今日ライブ見てたバンドのボーカルがたまたま店に来た!」みたいな投稿をずっと羨ましく思っていた。こんなこと、自分に起こっていいんだ、と本当に今でも思う。生きててよかった。好きでよかった。ちょっと最近あんまり聞いてなくてごめんなさい。
