毎日目に飛び込んでくるニュースは暗いものばかり。ネットではいつも大荒れ、いろんな人が好き勝手言っている。それがネットなんだと言い聞かせてみるけれど、どうしても心が痛む音がする。

SUMMER SONICの代替イベント、SUPERSONICが県から延期か縮小の要請が入った。もう開催まで一か月を切った。

フジロックはなんとか開催に踏み切って、今のところ大きな感染拡大の報告は上がっていない。Rush Ballも同様である。しかしそれは奇跡的な話で、そのほかの多くの、ほとんどのフェスは中止か延期を余儀なくされている。

この問題は簡単ではない。だからいつも心が張り裂けそうな思いでこの流れを見ている。

フェスが中止になると「英断だ」「当たり前だ」というコメントが散見される。フェスが開催されると「医療ひっ迫を促している」「多くの人の命と健康を脅かしている」と批判される。

音楽が大好きな私たちはどのように考えればよいのだろう。いつも、ずっと、これからも悩まされる。私たちは音楽が好きだ。だから音楽は続いてほしい。文化のために。そしてなにより自分自身のために。でもきっと誰も感染拡大を望んでいないし、医療ひっ迫も望んでいない。それが確定しているイベントならば即刻中止するべきなのは大前提の共有認識だ。

ただ、なぜか一部の人たちからは、私たち音楽好き、音楽関係者は、二者択一で一方を選んでいるかのように捉えられてしまっている。好きな音楽のためなら感染防止は二の次だ。医療ひっ迫はやむを得ない、と考えていると思われているのかもしれない。そんなことはないと思っているが、数々の心無い悪態や罵倒を目にするとまるでそういわれているかのように感じる。

哲学者・サンデルのトロッコ問題のように、いま目の前の一人を救うか大勢を救うかの二択を迫られている。これをやっていかなきゃ飯を食っていけない一人の音楽関係者を救うのか、日本全国民の健康を救うのか。これを天秤にかける。それをどのような理由でどちらを支持するのかは、それこそ、その人の正義だ。ただ、このトロッコ問題にしろ今のフェスとコロナの問題にしろ、大切なのはどちらかを表明して相手を論破する事ではないと思う。どちらの正義も理解しつつ、お互いに歩み寄ることがこの問題の真意だと私は思っている。

ライブをしないと生きていけない人たちがいる。これをやらないと倒産しちゃうかもしれない状況の人がいる。だれかは言う。「その会社がつぶれてもまた必ず別の誰かが同じ事業を始める。一度焼け野原になってもかならず需要がある限りまた財力と余力のある人が同じこと始める。だからなくなることはない」と。それは事実かもしれない。でも私はそこには相いれない思いがある。

私たち音楽好き、と雑にまとめていうが、は音楽の構造を愛しているのではない。フェスというものをただ単に愛しているのではない。音楽を作ってくれる人、音楽を鳴らしてくれる人、音楽を提供してくれる人、音楽の場を提供してくれる人が好きなんだ。だから今まで散々海外アーティストを苦心して呼んでくれたイベント会社に「お前ら潰れてもまた他がやるから別にいいよ」なんて思うことは絶対にありえない。

今までお世話になっておきながらそんな冷酷な態度はとりたくない。それが社会の正義だったとしても、マジョリティを救うためだったとしても、客観性があって理論上正しくて、冷静ぶって賢こぶって「感染拡大防止の観点から当然ですよね」と軽々しく言いたくない。

私たちはいつも悩んでいる。もちろん当事者が一番悩んでいる。どっちも守りたい。彼らには音楽の仕事を続けてほしい。かれらが廃業すると、海外アーティストを呼べるコネクションを持った人が業界からいなくなるかもしれない。一から始めなければならないかもしれない。そうするとしばらく来日公演はなくなるかもしれない。だとしたら私も困るし、どんどん私の好きな文化を好きになってくれる機会が減ってしまう。それも悲しい。

でも医療ひっ迫は避けたい。自宅療養で亡くなる人のニュースを見る度にやるせなさと憤りを感じている。21世紀、AIだとか自動運転だとかVRだとか言っている時代に適切な医療を受けられず亡くなってしまう状況の国に住んでいることが果てしなく情けなく、そしてもどかしく思う。疲弊している医療従事者を見る度にかける言葉を失う。

何度でも言う。私たちは決して医療問題を軽視などしていない。自分たちの快楽のために問題を二の次にしようなどとは思っていない。でも現実コロナの前に失業という大きな社会問題を抱えている人たちを目の前にして、軽々しく「自己責任だ」とは言えない自分もいる。

イベント会社、飲食店、旅行会社、観光業界などは結果的にそういうリスクがあることは理解しているし彼らも理解しているだろう。食中毒が起きたら店は閉まるし、災害があれば客足は遠のく。感染症が起きたら当然こうなってしまう。業態ならではのリスクは当然構えるべきだ。そして結果として不本意ではあるけれど、全員を国が十分に助けることは極めて困難だ。我慢してもらう必要がある。いつまでもノーリスクで安泰な仕事なんてない。

だったら、自分の好きな人たち、自分が守りたいと思う人たちをそれぞれが守ろうと協力し合うことはできないだろうか。ありとあらゆる対策を講じ、赤字覚悟でなんとかできる道を探してくれたフジロックもSUPER SONICもロッキンジャパンもそのサポートの道をなんとか作ってもらえないだろうか。フェスというのが現段階では極めて厳しいなら、他の手段で生き延びてはもらえないだろうか。参加という形で応援は私には難しい。非常に心苦しいけれどできない。でも開催することに簡単に「英断だ」「当たり前だ」「遅いくらい」と思い付きでポンとツイートしてしまうような浅はかさをもった人間にはなりたくない。

もっとひとりひとりの声を聴こう。自己責任なんて言葉を安易に他人に投げつけるのは止めよう。

構造じゃない。人が好きなんだ。あなたたちを救いたいんだ。あなたたちじゃなきゃだめなんだ。私たちにできることはないでしょうか。貧乏暇なしブロガーにできる寄付はたかがしれてますが、まずは自分が守りたいと思うものから。そして国や自治体にはすべての困っている人たちに責任ある行動と対策を。税金は今使うためにあります。失業者、ホームレス、父母子世帯、サービス業、飲食、観光、そして医療。お願いだからもっと生きる希望を与えてやってください。

そして、安易な断定的な正義感による糾弾は一度飲み込んで。考え直して。あなたの正義は正しい。でもその正しさで牙をむいて一人の心をぽっきり折ってしまうことはあなたの本望でしょうか。見ず知らずの興味もない店長やオーナーや社長やスタッフやエンターテイナーは見殺しにしてよい線路上の一人だなんて結論は、トロッコ問題の本当の着地点ではないと思います。