子役から成長した芦田愛菜が2014年公開の「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」以来の実写映画主演を果たし、第157回芥川賞候補にもなった今村夏子の同名小説を映画化。大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治したという、あやしい宗教に深い信仰を抱いていた。中学3年になったちひろは、一目ぼれした新任の先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。そして、そんな彼女の心を大きく揺さぶる事件が起き、ちひろは家族とともに過ごす自分の世界を疑いはじめる。監督は、「さよなら渓谷」「日日是好日」の大森立嗣。

映画.comより

主題は宗教二世問題。そこの”疑い”から始まるのがこの映画。非常に仲睦まじい親子の物語なのに、宗教が入り込むことで事はこじれ続ける。姉は出ていき、親戚からは早く離れるようにと進言される。そしてお決まりのノンデリカシー岡田こと岡田将生が日本の娘である芦田愛菜に心無いことを勢い余って言ってしまう。これは断じて許されない。岡田将生はいつもそうだ。悪人でも伊藤くん A to Eでもドライブ・マイ・カーでも彼は常にクレイジーだ。表はひょうひょうといい人ぶって実はクレイジーだ。是枝監督の最新作、怪物の先生役は岡田将生でもよかったと思っているくらいだ。あのひん曲がった笑顔は恐ろしさしかない(大好きだ)。

ただこれをみて「やっぱり宗教ってやばいよね」と思われるのはこの映画の本望ではないだろうし、そうあるべきではないとも個人的にも思うのだ。そりゃ水を頭からかけてありがたがっていろんな制約の中で生活して乱すと非常に混乱する家族ではあるが、それがなければ両親とも穏やかで娘を愛していて、人当たりも良く、真摯に生きている印象を受ける。宗教問題は事実そうであり、単純にヤバい奴とそうでない奴をふるいにかけられる試金石みたいなものではなく、この複雑性が現実の宗教問題を難しくさせている。

ただ二世問題が明らかに問題があるのはこういった芦田愛菜の演じる主人公がまた大人でなく自己の決定権がない中で他の人たちとかかわり方が異なる人生を送らざるを得なくなったときに、この子の自己決定権や人生そのものはだれに責任があるのだろうということだ。

ちなみに芦田愛菜が親友の彼氏に教室ですっとぼけられながらも励まされそれがすごく救われるというシーンがあるのだが、彼の鈍感さは中学男子に本当にありがちな感じですごく共感性羞恥を感じてしまった。それくらいにリアルがあってむかつくくらいに空気読めていない。でもそれが男子なんだよなあ。今回はいい方向にころんだんだけれども。