大沢あかね ブス
いつの間にか大沢親分の孫娘という冠がなくなった大沢あかねは、これまたいつの間にかママタレントとして母親の意見を代弁するために毎朝コメンテーターとして出演している。その昔「ドレミソラ」という昼ドラで、内博貴や黒谷友香らと学園ドラマを演じていたときから考えるとすごい出世だなあと感慨深くなる。
でも大沢あかねは決してエロ爺たちの好奇な目にさらされなかった。彼女は常に「ブスだ」といじられてきたから。私も彼女が数々の番組でブスだと罵られてきたことを覚えている。大変失礼だが、「大沢あかね ブス」で検索してみる。言質をとるためだ。
かつて有吉弘行(43)に「ブス界一の美女」と大沢は評された。
だからこそ、どうしても納得できない加藤は「やむを得なしですよね」「何をモチベーションに頑張っているんですか」、矢継ぎ早に失礼な疑問をぶつける。
周囲は「大沢がタイプだから」「隣に美女(大沢)がいるから浮気する必要ない」と笑いながら、大沢をイジり続けた。
「大沢のブスいじりが解除された。誰もが言いそう、鉄板のイジりになりそうな雰囲気がある」と嘆くひとり。
だが、最終的に自身で大沢のモノマネを披露。変顔で暗に大沢のブスを認めた形で爆笑の中、幕を閉じた。
毒舌で有名な有吉のあだ名がウケたのはただの悪口ではなく、”おもしろさ”と”世間の納得”がいい塩梅で混ぜられているから。言い過ぎ感がちょっとあっても「確かにwwww」という世間の納得があればそれなりにセクハラもパワハラも看過される。美女、と褒めてはみたがブス界の、という注意書きが入る。この絶妙に褒めているのか貶しているのかわからないあだ名は大沢あかねには申し訳ないが秀逸そのものだと思う。まあ彼女自身もこのあだ名に深い怒りなどないだろうが(もちろん憶測なので違ったらごめんなさい)。
「バラエティで『嫁がブス』とイジるのがムカつく」と芸人の嫁ならではの愚痴が止まらない。
「なんであんなブスと結婚した? 大沢あかねレベルじゃなくて、もっと上を狙えただろう」と周囲がひとりをイジるのだが、それを「おいしい」と思ったひとりまでネタにするため、「スゴイ複雑」と大沢は怒りを滲ませる。
もちろん大沢あかねは名誉棄損で訴訟を起こしたりしない。起こしても構わないが、彼女はその選択を選ばない。そして私たちも同様に、ブスだブスだと文句を言っても大沢あかねが出演する番組にクレームを入れたりしない。「でてくるなブス!!」と本気で怒ったりしない。それは
とかいいつつ実は目の前に大沢あかねが迫ってきたらヤってしまうなあ
という男の浅ましく情けないドスケベ根性があるからだ。
内心ヤレるを共有する
大沢あかねはブサイクだと言っている内心で「まぁほんとはヤレるんだけどね」と心の中で注釈をつける。しかも「大沢あかねはブスだと言ってるけど俺もお前もどうせヤレると思ってるんだろ」と各々が把握しているのだ。”実はヤレる”が全員に共有されているこの不思議な事態に、大沢自身もそれを理解してブス界の美人という評を受け入れる。本意ではないですよ、だから今は一旦受け入れなさい、と実は強要しているのだが、彼女が乗り気だからそこはうまくすり抜けてしまう。問題は顕在化しないままだ。こうやって私達は次々と暗黙の了解=わかってるよね、ノリだよ、を繰り返す。有償の芸能界の世界はそれが成立するが無償の一般世界で同じことをすると関係がこじれてしまう。それを引き受ける義務もメリットもないからだ。
同じグループに属する女の子をしきりにいじり倒す場面には何度となく出くわした。私も他ならぬ加害者の一人であるのはいうまでもない。
全員が大沢あかねにはなれない。そこを引き受ける覚悟はない。なくて当然だ。だけれどそれを私達は認めない。はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。冗談に決まってるじゃん、分かれよそれくらい、を武器に強引に許容を促す。
ノンラビことNon Stop Rabbit
youtuberはまさにその許容をこちらに求めてくる。ノリですよ、という軽薄な免罪符を片手にカルチャーのど真ん中を堂々と歩く。私たちはそれを渋々認める。面白いことを追求したら若い子たちに絶大なる支持を受けてしまい「これだけ支持されてるんだから僕たちが正解ですよ」と言わんばかりにあらゆる文化圏に侵入してくる。そして上辺だけをなぞって面白がって飽きたらすぐに散らかしたまま次の文化圏に移動する。もともと、「テレビなんてヤラセと番宣ばっかりでつまんない、ネットで俺たちがやった方が面白い」という心意気で始まったyoutuberだったのに、やっていることはテレビのバラエティ番組の焼き回しと二番煎じばかりというのは強烈な皮肉だと思うのだが彼らは気にしない。だって考えないから。考えない人は気づけない。気づけない人ばかりのカルチャーは進化しない。
Non Stop Rabbitというバンドがいる。youtuberバンドという触れ込みで。ツイッターとyoutubeを駆使してファンを獲得してきたバンドだ。
日本のロック・バンド。愛称は“ノンラビ”。メンバーは矢野晴人(b,vo)、田口達也(g,cho)、太我(ds)の3名。2016年11月1日に活動開始。動画投稿サイトにて発信する“YouTuber”としても知られ、通常発信しているコミカルな動画とは一線を画したミュージックヴィデオ「いけないんだ、いけないんだ」がSNSを中心に話題を呼ぶ。2018年7月に1stフル・アルバム『全A面』をリリース。同年9月に東京・TSUTAYA O-WESTにてワンマンライヴを開催。
引用元: TOWER RECORD ONLINE
音楽はいたってまともで意外にシンプル。奇を衒ったこともせず、日本の遺産ロックをやっている(遺産ロックとは私の造語で、日本だけが現在進行形で最先端の音楽として奏でられている20世紀型ギターロックの事である)。歌詞もシリアスでクオリティもそれなりにある。ただ彼らの魅力はこのストレートなロックだけじゃない。それ以外のyoutuberとしての面も彼らの人気を支える重要な要素である。
彼らはyoutuberとして暗黙の了解をばら撒いてきた。オタクになりきって歌を歌ってたら途中で本気のロックバンドになったらロックファンは喰いつくのか、という企画や、インキャのボウリングの投げ方など、所謂負け組たちのパロディを多く披露する。それは彼らが陽キャだからこそ面白い。イケメンでオシャレな人たちだからこそこの設定が活きる。特に細かな設定がなくても笑える。そうモノマネをしようというコンセプトで”ウケるwww”になっているので労力がかからない。とても簡単だ。一方、吉本新喜劇でスッチーと小籔千豊がオタクを演じることがある。チェックのシャツをズボンにインして長い髪の毛を振り乱し奇妙な声で笑う。しかし彼らはイケメンじゃないし陽キャにも見えない。となると格好だけでは笑えない。だから細かなボケとコミカルな動きを付け加える。だから面白くなる。ノンラビと違い彼らはモノマネをするというだけでは笑わせられない。
ダルビッシュ風、陰キャピッチングはこちら pic.twitter.com/yi4fEw18JK
— 太我【ノンラビ】 (@taitai4177) 2018年6月3日
Googleマップに映ったヤバイものトップ10 【都市伝説】
動画はこちらhttps://t.co/tZaAfDCj2z pic.twitter.com/BvF2976VM3
— ノンストップラビット【ノンラビ】 (@Nonrabi_koya) 2018年5月28日
お手軽にネットのネタを引用する。二番煎じとか古いネタとか関係ない。むしろツイッターで定番化されている淫夢ネタは率先して使っていく。
だれかが言ってたようなツッコミも、ネットですでに形容された物言いも、それでも焼き回ししてノンラビオリジナルとして発信する。それこそが大事。誰が言い始めたかはどうでもいい。最後に誰が広めたか。ネットをみない人たちにネットのネタを最初に広めた奴がヒーローだという事を地で行くタイプ。まさしくyoutuberの鑑である。
でもそこに「バカにするのはやめろよ」ということはできない。「は、ノリじゃん」と一蹴される。もうすでにツイッターでも変な人を見つけたらすぐに動画撮って投稿して拡散して勝手に定型文化しておもちゃにすることで育ってきた世代にそんなつまらない馬鹿正直な正論をぶつけることが無意味であることは明白だ。私たちがテレビに向かって大沢あかねをブスといじって笑いながら内心ヤレると思っているから、大沢あかねはむしろこの気持ちをありがたく受け止めろと暗に強制させることと本質は変わらない。もちろん大沢あかねに限ったことではないが。
彼らは自分たちが何者であるかをよく理解している。だれに好かれるべきかもわかっている。ターゲットに好かれるために努力してそれを実らせるという事がいかに難しいかは存じているつもりだ。ノンラビは非常に周到で賢い。たとえその下にどんな屍がいても思慮が届かないのなら彼らにとっては存在しないのと同じである。
インキャなら笑って構わないし、変な行動をとるおじさんはTwitterに挙げても構わない。悪徳業者ならバカにしてもかまわないので名前も晒しておもちゃにしてしまう。それはウケるから。ウケるならなんの躊躇いもなくアップする。この無敵感こそがノンラビの強みだ。
youtuberというコンテンツ
youtuber文化がなにかをバカにすることで成立する文化なのだとしたら繁栄はありえない。いつか新しい世代に「バカじゃないの」とそっぽ向かれてしまう。テレビでできないことをするのがyoutuberの強みだったとしても「テレビでは道徳的にダメなこともyoutuberではできる」に勝手に変換されては困る。彼らはおそらく許可も取っているので問題ないだろうが、その他有象無象の真似っ子youtuberはただアクセス稼ぎのためだけにそんな脳内変換を行う。
別にyoutuberがやりたければやればいいし、観たけりゃ観ればいい。今更このコンテンツに問題提起したところで時代遅れのおっさんの戯言にしかならないし、老害そのものでしかない。ただやっぱりリスペクトは必要だし、倫理観も必要だ。そして革新性。きっと本当に才能のある人はyoutuberをやらせても全く違う形を提示できるはずだ。編集ぶつ切りの同じようなテロップを思考停止して誰かの真似をすればとりあえず見栄えはよくなるが、正直そんなにyoutuberもそうだしカルチャーそのものは甘くない。