世界のトレンドと日本

世界の音楽チャートを眺めてみると、すっかりロックは影をひそめてしまっている。ArianaGrandeが「blazed」で Pharrell Williamsとコラボし、続く「the light is coming」ではNicki Minajを客演として迎えるように、いまポップス界でも当たり前のようにラッパー達がコラボしている。去年アメリカでもっとも聴かれたアーティストはDrakeでありその次はPost Maloneである。どの主要国のランキングをみても上位にはヒップホップが占めている。

一方日本を見てみると、少し様相が異なっている。Ariana Grandeこそチャートナンバーワンに輝いたが、DrakeやPost Maloneはまだまだ認知度が低い、というかほとんど知られていない。2018年に海外の音楽として日本に浸透したのはTWICEBLACKPINKBTSといったK-POP勢と、映画の大ヒットが記憶に新しいQUEENくらいだろう。「ボヘミアンラプソディ」は、それまでQUEENを知らなかった若者世代にも多くの影響を与え、社会現象を巻き起こした。Spotifyの日本チャートを見ても、2019年1月でなおいまだに数多くのQUEEN楽曲がランクインしている。もちろん世界的にも大きな成功を収めた「ボヘミアンラプソディ」ではあるが、ここまでの熱狂ぶりと、全世代への浸透率は日本らしいなとも感じる。

ロックが死なない国、日本

音楽フェス全盛と謳われて久しい昨今、音楽を体験するものとして消費される傾向が年々強まっている。フェスのステージでは多くのロックバンドが出演しているのも事実だ。ROCK IN JAPAN FESTIVALやRUSH BALL、VIVA LA ROCKといった大型フェスのトリは、改めて列挙するまでもなくロックバンドだ。ちなみにアメリカ最大級のフェス、Coachella の2019年のトリはAriana Grande、Tame ImpalaChildish Gambinoの三組だ。ここに日本との差が凝縮されている。女性アーティストがトリを張れること、カラードの存在、そしてヒップホップ、ソウルに寄った選出。いずれも日本では見当たらない斬新なラインナップである。Tame Impalaこそロックバンドだが、もともとこのスロットには黒人ラッパーのKanye Westが当てられていて「会場の真ん中にステージ作れ!仮設トイレがあるせいでできないとか俺はトイレの話してねえんだ!」ともめた結果ポシャってしまったが、本来なら全員ソロアーティストのロックなしというまさに2019年のトレンドを表すようなラインナップになるはずだった。そう考えると余計に日本が特殊なシーンである事に気付く。ここまでロックが重宝される国はそう多くないのではないか。

別にそれが悪いとか時代遅れだとか、非難するつもりはない。むしろ、世界でロックの復権を待ち望むロックファンは日本のマーケットを参考するべきだとすら思う。世界の音楽に詳しい人であればあるほど日本のいわゆる”ガラパゴス化”に嘆かわしいコメントを発表しているが、個人的にはそこは日本人としてラッキーだと捉えている。日本と世界の両方のいいとこどりで聴くことができる我々は幸運と言えるのではないか。UKロックもUSロックもしぼんでしまっているなかで、そのUKやUSロックをちゃんとトレースして日本なりにアレンジした音楽を日本のバンドが歌ってくれるなら私は満足だ。
なぜ日本でロックが主流であり続けられるのかという議論は数多くされているが、その一つが自作自演を重んじている国民だからだと言えるだろう。ロックバンドは基本的に自分たちで曲を作り詞を書く。だからこそ説得力が生まれるし、それこそがミュージシャンだという価値観が前提としてある。自分で曲を作れないミュージシャンはアイドルとさほど変わらない。詞だけでも書けばミュージシャンとして扱われるが、それすら委託すればアイドルのカテゴリーに入る。一方世界ではコライティングと呼ばれる共作が主流になりつつある。ミュージシャンは歌い手として、作曲家は裏方として分業して進めている。日本は勤勉さが高じてか、一人でやり遂げることに意義を見出しがちだ。ストリートミュージシャンがここまで長く愛され続けるのも、やはり自作自演のシンデレラストーリーを求めているからだ。Bruno Marsはまさにコライティングの実践者であるし、LADY GAGAも楽曲ごとに共作者をほとんどつけている。それはミュージシャンとしての役割の放棄ではなくて、より良い曲を作るための一つの手段であることを示している。この話もどちらが悪いとかではなく、ただひとつのシーンの見方でしかない。
自作自演ができるならこしたことはない。その方がこちらも納得してミュージシャンの言葉に耳を傾けられる。時に感情を共有することもできる。その言葉に深みがあればあるほど音楽は味が出てくる。日本には演歌から地続きの共感性の高さがある。その共感性がある限り日本のロックはなくなったりしない。

メランコリックというジャンルの”ヨル”

本題に入る。ヨルというバンドがいる。まだ去年本格的に活動を始めたばかりのバンドで、都内を中心に活動している。彼らはメランコリックロックバンドを謳っているが、メランコリックとは憂鬱なさまを表す英語だ。音楽を聴いてみると確かに抒情的でこちらに切に訴えかけてくるような歌声である。

鬱ロックっとも自称するほどに胸がきりきりと締められるような音楽を作っている。まだ楽曲は多くないが、これから活動に力を入れていく予定だろう。
もしかしたら彼らの音楽は今の日本のシーンに向かい風なのかもしれない。数年前から流行っていた”オシャレロック”が少しずつ変わり始めている。Suchmosを筆頭に、横ノリのちょっとスカした東京ミッドナイトな感じの音楽が多かった日本のロックシーン。渋谷系とその相性がよく、小沢健二の復活や、ピチカートファイブの野宮真貴が昨年MUSIC STATIONで解散して以来の歌唱披露があったなど、そのグッドミュージックの傾向は強まっていた。
一方で、その反動が今少しずつ起こりつつある。4つ打ちの反動で横ノリが流行ったのなら、横ノリの反動は、もっと表現者の熱い思いが聴きたいという反動だ。実際、去年からtetoage factoryがインディーズで頭角をあらわしたり、MOROHAが話題になったりと、感情むき出しの「エモ」とも呼ばれる音楽が今業界を動かしつつある。となればこのヨルだってありったけの感情を吐露するバンドなんだから、きっと受け入れられるはずだ。と思う。

“音楽は自分はここにいるよっていう証明なんだ”

と彼ら自身がバンドのテーマとして掲げるように、音楽というツールでアイデンティティの模索を試みている。時に主観的に、またある時は客観的に、そしてあるいは物語の登場人物の想いを推し量って書き上げていく。彼らが影響を受けたと語る「酸欠少女さユり」も「神様、僕は気づいてしまった」もその制作ベースは同じだと言えるだろう。ロックバンドのスタンスは崩さず、それでいてエモーショナルな楽曲を作り続けていくというのはある意味とても2020年代的なアプローチだと思う。実は作詞担当がドラムである点も個性の一つかもしれない。
名前が短くて多少名が上がるまでは検索が難しいだろうが、「メランコリックロック ヨル」で調べると出てくるので安心してほしい。ちなみに結構バンドのロゴはシンプルでかなり好きだ。ヨル、黒、カタカナ。そしてHPでお出迎えする顔も手もない棒人間四体。バンド自体がコンセプチュアルでとても分かりやすくて良い。泣きのギターも輪郭のはっきりしたメロディも全てすごく用意周到な感じがするし、映像も駆使してその世界観を構築している。ひとつひとつが丁寧に作りこまれ、うまくピースがはまっているようにも思う。

自作自演が主流の日本のシーンには、ヨルのようなバンドがどんどん出てくるし彼らの活躍のチャンスがまだたくさんある。ヨルは4月にもレコ発イベントが開催される予定だ。

都内近郊の方はぜひ一度足を運んでみてほしい。
公式HPはこちらhttp://yorunooto.jp/
公式youtubeはこちらhttps://www.youtube.com/c/yoruchannel