昔を懐かしむ

いつの時代も「昔」を楽しむ文化が存在する。子供の頃に慣れ親しんだコンテンツは嫌いになれないので、みんな大好き。

「昔好きケンカせず」の素晴らしい空間が生まれる。ノスタルジーだとか、甘酸っぱさとか、子供に還る感覚とか。

人それぞれ、いろんな感情が生まれる。

私は海外のお菓子とか雰囲気とか街並みやにおいなど含めたあらゆるものごとが大好きなのだが、その半分は自分のノスタルジーである(残りの半分は新鮮さや憧れ、歴史的な関心や異文化に対する興味であることは付け加えておく)。

ただ、あまりに「昔」に還り過ぎるのも好きではない。過去を振り返り懐かしむのは簡単だし、みんなの平和な同意を得ることができる。だけど、今こんなに記録媒体が発達して、隅の隅まですべてが記録され、そしてそれがいつでもだれでも掘り起こせる状態になって、これって楽しいかな…。と不安な気持ちになる。

Twitterでは「平成を忘れないbot」なるものがネットミームや懐かし映像を常に掘り起こし、有象無象のアカウントが「これ知ってる人RT」とリツイート目的で子供の頃のお菓子、おもちゃ、流行った遊びなどを画像で見せびらかせてくる。
それを「そうそう!」と思えたらいいのだが、それがあまりに二番煎じ、いや十番煎じ程になってきているのを見ると、飽き飽きする。
「あー懐かしい」とは思えない。それ半年前も先月も先週も見せられて思い出したよ、それもう全然思い出にならないよ、もはやそれ現在進行形だよ、と思ってしまう。新鮮味がない。

それが退屈



先日、お笑いコンビ、ハライチの岩井が同窓会に行く人をディスって話題になっていたが、やはり私も昔の友人に会うときは気を付けている。思い出話ばかりじゃつまらないのだ。

岩井:それだけ頻度が高いと、毎回同じことの繰り返しになる。近況報告と過去の思い出話……と、出てくる話題も毎回同じなわけですよ。近況報告といっても半年前にやってるわけですからアップデートされる情報なんてほとんどない。さすがに「もういいでしょ」ってなってくる。それに、同窓会というのは「みんなが集まる場所」ですから、学生時代に仲がよくなかった人も当然、来る。

 で、よく考えたら、学生時代に仲がよかったやつとは別に同窓会なんかなくても普段からそれなりに会ってるわけだから、「同窓会=仲がよくなかったやつにわざわざ会いに行く場所」ということになる。そんなの10年に1回でいいのでは。毎年、会いたくない人に無理に会いに行く必要なんかない、という話になりません?

いつも会えば同じエピソード。あの時のドジ、事件、ケンカ。いつも話すことは決まっている。それがどうにも退屈なのだ。

テレビをつけると世代ごとの懐かしアイテムについて語り合う有名人が躍動している。音楽番組をつければ山口百恵のカバーと尾崎豊のカバーをそれぞれの息子が披露している。
新しいものに関しては「最近も若者の流行は難しいなあwww」みたいな冷笑によって迎えられている。でも自分もそんな社会に少しずつ毒されていく。懐かしいコンテンツに毎日のように触れて「あー懐かしい!」を繰り返していることに鈍感になる。いつの間にかルーティンにすらなる。おかしいなと疑う余力も奪われていく。アニメ、おもちゃ、ゲーム、おかし、服、あそび、あるある、学校、道具、人、家、設備、CM、タレント、歌手、ドラマ、お笑い…。


星野源のさわやか三組への言及

私がこの「昔」への感覚のマヒに気付けたのは、NHKの番組「おげんさんといっしょ」を観たときだった。星野源が”実は好きな音楽”に「さわやか三組」のオープニングテーマを挙げていた。
実はその番組名を聴いてもピンきていなかった。さわやか三組、たしかに昔学校などで観た番組だし、当然その番組名自体もネットのおかげで5年以内には耳にしている。そのときにもうすでに懐かしい気分は味わっている。
おきまりのようにTwitterで「これ観てた人!」とかなんとかで思いださされたんだろう。

でも音楽は思い出せなかった。あの時も、音楽に言及する人はいなかったからだ。もしかしたら番組名だけ知っているだけで実際に観たことはなかったのかな?とさえ思った。だってもう思い出せるものは全て思い出している気がしてたから。全部SNSやメディアによって掘り起こされてしまったような気がしていたのだ。何も懐かしいと感じない体になっている。

ところが実際そのオープニングテーマが当時の映像で流れると、三秒もかからずに体に電流が走った。



「あーこれだ!」「知ってる!」

衝撃的な電流だった。すっかり忘れていたこの「懐かしい」という感覚こそが”懐かし”かった。でもその感覚こそが正常なんだよな。色んな記憶が一緒になって呼び起こされるあの一連こそが昔を楽しむ姿勢なんだと思った。

悪くないけど、その感覚こそが肝

思い出すことは楽しい。みんな盛り上がれる。でもそれはたまに思い出すから楽しいのだ。毎日毎日卒業アルバムを見ている人なんていないように、私たちは日々に忙殺され昔を忘れていく。忘れちゃいけないことまで忘れていく。だから思い出す機能がある事に越したことはない。でもそれで満ち足りてしまうと少し違う気もする。
あの「さわやか三組」を見たときのような、心の底からいろんな背景がフラッシュバックしてくるような鮮烈なものが数年に一度あればいいのだ。なにも毎日毎日10年前のヒット曲を思い出す必要も子供の頃の駄菓子を思い出す必要もない。小学生の頃はやった遊びとかあるあるネタももういらない。おなかいっぱいだ。

思い出すのはたまにでいい。あの感覚こそが肝なんだ。それを忘れていた自分を少しは恥じた。