ディッキ族大炎上を喜ぶひとたち
京都大作戦が中止となり代わりにユニバ大作戦なるものが決行されて炎上した。まぁそりゃそうだ。そりゃそうだ以外に言葉が見つからない。だからユニバ大作戦について記事を書くとしたら、どうしてそうなったのかとか、フェスのマナー論とか、ディッキ族の気持ち悪さとか、そういうことに落ち着くと思う。わたしが書かないと決めていたのに書くことにしたのは、どうせテンプレみたいな批判記事とフェスのマナー論に溢れかえるだろうこの問題をくさしてやろうという天邪鬼精神だ。
ユニバ大作戦が一体何かはこちらをご覧ください。
なんとなく嫌われていた人たちがいよいよ汚点を晒したので、それいけと言わんばかりに叩きのめす構図はこれに限らずよく見る。この燃え方とみんなの反応を見ていたら、いかに普段から嫌われていたのかよくわかる。前々から叩きたくて「死ね」って言いたくて仕方がないけれどフェスで騒ぐのは自然な行為だし犯罪でもないので、なかなかもどかしかったのだろう。でもご覧なさい、今回は立派な迷惑行為。今までの「アーティストの単独ライブ後コンサート会場の階段で集まって写真撮る」とかとは比にならないほど歯切れよく批判できる優良案件。これは叩きのめし甲斐がある。ということでとりあえず叩く。アカウント晒してスクショして特定してブスだのキモいだの死ねだのを繰り返す。相当気持ち良さそうだ。
ちょっと男子ちゃんと歌ってよー
一方で同じディッキ族からも続々と非難の声が集まる。同じにされたくない、と怒る。風評被害が大きくなるともいう。10-feetのファンがそうだと思われる。という。え、違うんですか?と聞き返したくなる。
私たちはそんなことしない!と憤るが説得力がない。それくらい私にとってもディッキ族は相当薄っぺらいものだ。お決まりの正義感を振りかざして、「ロックは世の中を変える」とか「ラブアンドピース」とか本気でためらいもなく言ってのけて、「みんなフェスはゴミ拾いして綺麗にしよーね!」とか「タクマの気持ち考えてよ!」とか「自由には責任が伴うって細美さんが言ってたよ!」とか「バンT着るってことはそのアーティストの名前を背負ってるんですよ!」とか「そんなことしたら他のファンの人たちがどうみられるか分かってますか!?」とか言ってしまう、なんだか壮大だけれどなんも語っていない薄っぺらな正義感は、クラスにいる女子の「ちょっと男子ちゃんと歌ってよー」と近しいものを感じる。正しいけどウザい。果てしなくピュアだから間違った方向でも一度信じれば突き進んでしまう余地をはらむ。思い出す。高校生の時にそんな女子たちが合唱コンクールを張り切りすぎて、歌い終わった後に「○○(副担任の名前)先生、大好きー!!!!」と全員で叫ぶことを決めてしまったことを。そして案の定他のクラスたちからドン引きされて悪評を流されたことを。あの瞬間、私たちのクラスは間違いなくディッキ族だった。あの疎外感、そして自分たちだけに感じていた達成感。もちろんわたしは気持ち悪さと恥ずかしさで死にたかった。
果たして彼らは「多くのディッキ族はあんなことはしない」と言うがそうだろうか。そう言い切れるのか。もしユニバ大作戦を知っていて誘われていても行かなかったのか。行っていたとしても同じようにあのノリをやらなかったのか。「やめようよ!細美さんが自由には責任が伴うって言ってたよ!」とやめるよう説得していたのか。していたと言い張れる根拠は何か。ごめんなさい、京都大作戦で毎年のようにプロポーズが行われてるのを見ている私には「多くのディッキ族があんなのじゃない!」という説得には応じられない。紙一重だよ。ライブの後の階段での集団写真を撮るのにユニバ大作戦には絶対行かないと言い切れる根拠がない。「ちょっと男子ちゃんと歌ってよー」がいつのまにか「〇〇先生大好きー!」に変わる瞬間はあっという間だ。それをたまたま運よくその現場から免れただけで鬼のように叩きのめすあなたたちも十分怖い。
私は10-feetは聞かないし京都大作戦にもいかないしディッキーズも履かない。見かけても生暖かい目で見てるけど別に嫌いでもない。だから今回の騒動も笑いはしたけどムカつきはしない。「タクマの気持ち考えてよ」なんて言葉もさらさらでない。別にいいじゃんとは思ってないし叩かれて妥当だとは思うけどそれ以上に何も思わない。
都度都度繰り返されるフェス問題
フェスってまあいろいろと問題が起こるもので、モラルが試されるんだけど、どうも年齢層が低いところはピュアがゆえに両方向で気持ちが悪い。そもそもユニバ大作戦を決行しようとかあの曲でサークル作るとかよく意味が分からないし、円の真ん中で仕切っている奴もウザいし誰やねんあのキモい奴、とは思っていた。去年末のレディクレでも感じたけど、彼らは野放しにすると極端に自己中で自己愛に溢れている。そして自己中なのに集団行動が好きだ。自己中の規範にのっとった集団行動を好む。要するに全員で同じ方向性のの自己中を貫く。一緒に行った人が前で聴きたいというからマイヘアの時に前の方で観たがモッシュに巻き込まれかけて大変だったし、演奏終了後の人の入れ替えの時の「我先行かん」の精神には驚いた。どこが細美リスペクトなんだよ、と。まあそれはあのフェスの導線の悪さとスタッフの教育の不徹底が諸悪の根源なので一概に彼らを責められないが。
一方で「みんな幸せになるからやろうよ」という同調圧力が大好きなツイッター拡散マンもそれはそれでしんどい。だから私は結果行かない。行かないからいままで特に彼らを糾弾したことはない。今回もそんなにするつもりもない。どうぞ怒られてください、ぐらいのもので。
ディッキ族は騒ぎたいだけ、音楽を楽しんでいない、という観点から自分の音楽鑑賞能力の優位性を保ちたいのなら「もうお辞めなさい」と言ってあげたい。それべつにそんな効果ないよ、と。音楽なんてどう楽しもうが自由で、顔で好きになろうが声で好きになろうが騒ぎたいだけだろうがなんだってかまわない。そしてフェス問題は決着のつかない永遠のテーマなので終わりはない。何万も価値観の違う人が集まったら衝突の一つや二つはある。あとは寛容性だ。迷惑迷惑と声高に叫ぶのも結構だが、いかにお互いが譲歩しあうかがこれからのフェスの課題である。モッシュしたい人とそうでない人。目当てのアーティストまで最前列で待ちたい人とどいてほしい人。ナンパしたい人と音楽を聴きたい人。犯罪行為に目をつむるわけにはいかないが、害虫のごとく叩きのめしたところで解決される案件はそう多くない。しっかりと考える必要がある。
最後に懸念すること
もうすでにちょっと嫌な予感がするのだが、この騒動がのちにディッキ族の団結力を示すエネルギーになるのでは、と思っている。「みなさん!本当の私たちはこんな人たちじゃないってこと示すために災害ボランティアに行きましょうよ!」みたいな。事実もう「彼らはごめんなさいの意味を込めてボランティアに行けよ」と言う声もちらほらある。ヤバイ。「○○先生、大好き―!」が近づいている。ディッキ族、キッズともよばれている皆さん、どうかありのままで、思い思いの行動でモラルを示してほしい。別に団結していらないし拡散してもいらない。
そしていよいよ彼らをボコボコにできてさぞかしスッキリの方々もほどほどにしておいた方がむしろ民度が問われかねないので、あくまで悪役は向こうに渡したままの方がいいでしょう。私の常套手段です。非が向こうにあるときは極力こちらに飛び火しないように、なんだったらちょっと許してあげるぐらいの勢いで大人な対応を見せてあげるのだ。どうだ、ヤな奴だろう。
と、いうことでフェス楽しんで。ディッキ族の方々も節度を持って。私たちも譲歩して。「ちょっと男子ちゃんと歌ってよー!」ぐらいならいう事聞きます。なので大声で副担任の声だけは叫ばないでくださいよろしくお願いします。あ、おれディッキ族のいるフェス行かねえや。
読んだでい!
スケーターファッションからの原初のディッキーズ族もやってきて面倒なことになってた印象
コメントありがとうございます。それは面倒くさそうですね…笑
あのファッションがキャッチーになりすぎた感はありますよね。寛容性って大事だなって自分にも言い聞かせています。