最近テレビで松田聖子がファブリーズのコマーシャルに出ていることに驚く。あの赤いスイートピーが子育てを終わった主婦を演じているのだ。実生活では確かに娘の神田沙也加を育て上げ、母親としての一面もあるのだが、テレビでそのようなそぶりを見せたのはいままでなかった。おもむろにシンクを嗅ぎ「きれいにしたのにまた臭ってる」と言うと、夫役の遠藤憲一に「キッチンなんてそんなもんだろ」と笑顔で返されてしまう。そこで彼女はふくれっ面で「私はそんなものにしたくないの」とつぶやくのだ。あの松田聖子がシンクの匂いを気にしている。とても奇妙な光景に映った。彼女がそんなことを気にしない人間だとは思わないが。少なくとも”松田聖子”がそういったものを気にしたいとアピールしていることに驚く。

ひとたび松田聖子が普通の主婦を演じようとすれば、うさん臭さが蔓延してしまう。小西真奈美が鼻を抑えて息子の靴を持ってしかめっ面をするのには現実感を自分の中に落とし込めることができるのに、だ。
そこに松田聖子の良くも悪くも「エンターテイナー」ぶりが発揮されている。スターであり、バツグンのオーラを放ち、ステージ立てば輪郭さえぼやけるほどのスポットライトをあてられる彼女はまぎれもなくテレビの人であり「松田聖子」というカリスマである。だからその松田聖子が「私はそんなものにしたくないの」とこだわってみせたところで全くピンとこない。何度も変身を遂げてきた彼女だが、さすがにそれは無理あるだろうと思う。バカは主婦を演じられるが、10代からスターだった人は50代でシンクの匂いにこだわる主婦にはなれない。なれない、は言い過ぎたとしても簡単ではない。それならいっそのこと八代亜紀のように何も知らない世間知らずを貫いた方がいくぶんは生きやすいはずだ。たとえ松田聖子が結婚していて子供が大きくなっていたとしても。

共演した遠藤憲一はこう語る。

一方の遠藤は、「聖子さんは僕が最初の劇団に入った頃は、すでにトップアイドルでしたし、今も日本のトップシンガーなので、世界が違うというか。同じ芸能界にいても絶対リンクしない方だと思っていたので、不思議な感じでしたね」と告白する。

遠藤憲一は長らくスポットを浴びることなく脇を固める俳優として活躍していた。しかしここ数年で一気に知名度が増加。一度見たら忘れられない独特な顔つきが多くの視聴者の目に焼き付けられ、個性的な役に抜擢されることが多くなった。確かに彼は地味でイケメンではないしトップアイドルと夫婦を演じるには程遠いような感じもする。事実、松田聖子の元夫は神田正輝であり、顔を見れば思わず納得してしまうくらいの端整な顔つきのワイルドなおじさんだ。それでも企業側が松田聖子の夫役に遠藤憲一を選び松田聖子がそれを受諾しているという事はしっかりと把握しておく必要がある。彼女がもしディーンフジオカと夫婦役を演じていたらきっとシンクの匂いなど気にもしないしというか料理なんて作らないからシンクの衛生面は十分に保たれ、ファブリーズの出番はないだろう。松田聖子一人では叶えられない「私はそんなものにしたくないの」というこだわりは遠藤憲一のリアリティによって担保されている。

松田聖子は娘、神田沙也加の結婚式に出席しなかった。正しくいえば、神田沙也加が松田聖子を結婚式に招待しなかった。

5月6日に放送されたバラエティ番組「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」(読売テレビ)にて、芸能記者の井上公造氏が先日、結婚を発表した神田沙也加について言及した。井上氏によると神田は、母・松田聖子を結婚式に招待しない可能性があるという。
~中略~
「神田は元々、エスカレーター式の私立中学への進学が決まっていたそうです。しかし入学ギリギリになって、母・聖子が歯科医と結婚し、ハリウッドへの映画進出を決めたことで、生活環境が一変。彼女は、千葉県内の中学で寮生活を送ることになりました。しかし一部報道によると、神田はそこで壮絶なイジメに遭い、以降も4度の転校を繰り返したそうです。それからも恋人との交際を猛反対されたり、母の意見を聞かず神田が活動休止を発表した際には、月20万の生活費が凍結されるなどし、さらに確執は拡大した。そんな神田には、これまで自由に生きてきた母への反発心もあったのかもしれません」(前出・芸能記者)

それは多くの賛否を呼んだ。有名人だからあくまで一般的な親子関係とは少し違う形になっても仕方がないと擁護する声も多かったのだが、やはり松田聖子の母親の資格に対する疑念は付きまとう。どこかで「松田聖子に主婦ができるわけない」と願っているのかもしれない。スターに主婦の辛さを分かるわけがないと祈ってる。なんだか勝手な話ではあるが芸能人は得てしてそういう被害を被りやすい。

そういえばキャラ変ってだれにだってある。というかキャラ変を繰り返して人は進んでいく。私も中学生の時にドラマ「野ブタ。をプロデュース」を見て以来山下智久演じる彰のモノマネをし始めたことがある。相当イタいしサブいのだが、それもまた一つの苦い思い出だ。人はそうやって「高校デビュー」とか「大学デビュー」と揶揄されながらもキャラ変を繰り返し、自分というものを固めていく。松田聖子がデビュー当初からそのルックスとちょっと頼りない歌唱力が可愛さに拍車をかけ「ぶりっ子」の代表格に挙げられてもキャラ変をしなかったことは今日の地位と80年代アイドルのナンバーワンに輝いたなによりの正しさの証だ。

一方で、ある新人賞を受賞した際に故郷の母親と電話でやり取りをする場面で、泣き声を上げながらも涙が明確に見えなかった様子から「うそ泣き聖子」と呼ばれ、「年上や男性、大衆に媚びるのが上手いしたたかな女」と、当時の女性の反感を買っていた面もある(wikipediaより)

80年代は確実に彼女の時代だったが、それを貫き通すにはあまりに障壁が多い。アイドルという枠にとらわれず、海外進出なども試みた。母親になってもアイドルを続ける”ママドル”を始めたのも松田聖子。結婚、不倫、離婚をするアイドルなど本来ならすでに破綻しているはずなのに松田聖子はアイドルを貫き、私たちもまたそれを看過した。

デビュー当時は「ぶりっ子」と呼ばれていた。
確かにぶりっ子だった。
わざとらしかった。
ところが、いつの間にか本音大全開。
どんどんスキャンダルは起こすわ、バツ2になるわ、あれやこれやで話題提供。
歌が本業のはずだが、歌以外で注目集めてる。
聖子は握力が強い。
握ったものは離さない。
アレもコレも手に入れたい女性である。
コレのためにはアレを犠牲にしなくては、なんて絶対考えない。

近年はクラシカルな音楽への挑戦も試みている。テレビに久しぶりに出たと思ったらXJAPANのYOSHIKIとコラボしてひどく壮大で長ったらしい曲を歌いあげている。彼女はアイドルという称号を手にしたままやりたいことをやっている。そうか、アイドルを手放さないままにあちらこちらへと手を伸ばす姿勢こそがファブリーズの「私はそんなものにしたくないの」への違和感につながるのか。

ぶりっ子路線を突っ走りつつも、家族を顧みない海外進出、不倫問題、離婚・再婚など、悪女なイメージもある彼女。聖子ちゃんがアイドル全盛期だった頃には、中森明菜さんが悪女系で、聖子ちゃんは清純派といった色分けがされていましたが、なにかと不器用な明菜ちゃんよりも、聖子ちゃんのほうが悪女だと感じる人も多いのではないでしょうか。
筆者は、聖子ちゃんを「進化し続ける悪女」というポジションにカテゴライズしています。いわゆる「悪い女認定」ではなく、環境が変わっても進化し続けながら輝く、タフでチャーミングな女性という、いわばロールモデル的な扱いです。

私が特に松田聖子を語ることはできないが、なんとなく見えてきたものもある。彼女のずぶとさも、自分を貫く芯の太さも、たくましすぎる。そのたくましさと次々と戦略的にうたれる新しい一面のキャラ変についていけない。「永遠のアイドル」と称されながらYOSHIKIとコラボするアーティストでもありシンクの匂いを気にする主婦でもあろうとするからおいていかれる。「はいこれが新しい私ね」と提示されたものを疑うことなく「さすが聖子ちゃん!」と受け入れるほど私は彼女の魅力に気付けていない。たくましいから芸能界でずっと一線を走り続けているのも理解する。ただそのキャラ変にはちょっと笑ってしまう。まだシンクを気にすることにリアリティを感じる準備はできていない。ステージに上ってさも大層な歌唱力の持ち主かのようなたたずまいも正直しんどい。しんどいけどそれが松田聖子なんだと無理やり納得してみる。

個人的に若い頃を知らないので、おばさんになってもこのポージングはキツい。母親の一つ下と考えるとなおさらだ。いや、母親とほぼ同世代でこれが許される松田聖子ってやっぱりすごいのでは。。。