先日、TOKYO RAINBOW PARADE2023に参加してきた。

東京レインボープライド2023』は、LGBTQをはじめとするセクシュアル・マイノリティの存在を社会に広め、「”性”と”生”の多様性」を祝福するイベントで、特定非営利活動法人 東京レインボープライドが開催しています。

https://tokyorainbowpride.com/

大小さまざまな企業や団体がブースを出展しLGBTQ+の理解促進や周知への貢献を担っている。東京の中心地をパレードでめぐるデモ行進がこのイベントの最たる目的である。詳しくは上記の公式ホームページを見ていただきたい。

初めて参加したパレードには、私の友人のゲイとその友人たちとともに参加した。ほとんどの人が初めましてで、自分を快く仲間に受け入れていただいたことにひたすら感謝しかない。

性別、性自認、国籍、それぞれが全く異なり、会話は日本語英語スペイン語と様々。私も英語を話す人間のはしくれとして必死に会話に食らいついたものの、さあすがにスペイン語に関してはさっぱりだった。

普段関西に住む人間として、そしてLGBTの友人を持たない私にとって、これだけ多くの人たちが自分たちの性自認や性志向を(社会としても法としても)理解してほしいと単純に望んでいることにあらためて勇気が湧きALLY(当事者にかぎらずLGBTを支援する人のこと)である自分も奮い立たされた。当事者たちがこうやって声を上げ、有名人たちが声を上げ、その周りには自分のような数十万人を超えるALLYがパレードに参加したり沿道から声援を送ってくれる。もちろんデモ行進にはかならず誰かへの弊害をもたらしていることは認めなければならず、そのうえで「それでもやらなきゃダメなんだ」という強い意志が必要になる。当日はただただ楽しくて幸せな一日だったが、終えて改めてそう強く感じる。

その中でひとつ気になることがあった。パレード中、私たちは音楽をかけて歩いたのだが、その楽曲の全てが海外の楽曲だった。私たちの大半が外国の人だったから当然っちゃあ当然なのだが、確かに、じゃあ日本語の楽曲でこのパレードにふさわしいエンパワーメントしてくれるものって何があるのだろう、と考えた。私たちが敬愛している楽曲はLINA SAWAYAMAやLADY GAGA、Sam Smith、Meghan Trainor、QUEEN、ABBA、MADONNA、Elton Johnなどだ。そのほかにも単純に盛り上がるものとしてAriana GrandeやBTSとかあったんだけど、本当にどの曲もめちゃくちゃ歌詞からエンパワーメントしてくれる。欧米、特にアメリカは「be yourself」の文化が圧倒的に強い国柄というのもあるのだろう。本当にたくさんの楽曲があちらこちらから聞こえてきた。一緒に歌ってすごく気持ちもたかぶるし、その音楽への理解も同時に深まる。

一方で、じゃあこの代わりに流したい日本語の楽曲ってあるのだろうか。例えば「恋するフォーチュンクッキー」とかも、すごく盛り上がるんだろうけどやっぱりメッセージ性が違う気もする。でもだからといって「これだから日本は」に終始したくない。なぜなら日本にもそこに言及するアーティストはたくさんいるからだ。それが浸透していないだけだ。もしかしたら当事者たちは「日本にはそういうのないから洋楽を聴く」と無意識に思っているかもしれない。圧倒的母数と個性の集まりのアメリカに比べればさすがに分が悪いが、当事者たちが圧倒的に海外の楽曲に魅了されているのはそれだけ日本の音楽に明らかなサポートと表明が足りていないからではないだろうか。それは日本の音楽が好きな私にとってはすごく悲しい一面でもある。

例えばSIRUPはかねてからずっとその視点を取り入れサポートを表明し続けているアーティストの最たる例だろう。

世の中はクソだけどSurvive/どんな髪も服もそう/身体も君のものだし/何にだってなれるかも Your Life

https://s.awa.fm/track/0e40e1996ca400691d13

例えば星野源は「Family Song」で多様な家族観を提示しており、日本では最もメジャーなアーティストかつ先進的な価値観を提示してくれている稀有なアーティストだ。

毛色を変えれば浜崎あゆみなどはドラァグに代表されるようなキャンプカルチャーのある意味でのアイコニック的な存在でもあると思うので(ギャルはひとつのフェミニズムとしても機能しうる)、彼女の楽曲を使用するのもいいかもしれない。

もちろん当事者の歌もある。今回のイベントのステージにも立ったAisho Nakajimaが挙げられる。またAishoをフックアップした青山テルマの存在も見逃せない。三浦大知や「IN THE MIDDLE」でコラボしたAI、そのAIとコラボしたAwichはフェミニズムの最右翼として機能している。

ジャンルとしては若干(というより相当)遅れているロックバンドも、かなりニュートラルな視点のバンドも増えた。もともとは女王蜂のような定義を行わない人たちが旗手として引っ張っていたが、男女の恋愛観に限定せず、含みを持たせたOfficial髭男dismの「Pretender」は大ヒットソングとなった。宇多田ヒカルは小袋成彬と「ともだち」という楽曲をリリースするなど、先進的なイメージのあるアーティストほどトピックとして挙げている印象もある。

そのテーマについて書かないアーティストがいけないわけでもなく、だれか個人をそれを理由に非難するのも違う気もする。異性恋愛だって立派な性自認であり、私だってそうだからだ。でもシーン全体で、という視点で語るなら、とくに日本のフェスを見渡してもマッチョがすぎる。そこに女性シンガーすらトリに立つことは許されないのは、内部のマチズモの問題でもあり、受容側の新陳代謝のなさと、男性的な文化が異常なまでに濃いからだ。男性社会で勝たなきゃフェスには出られないのなら、本来は受容側から変えていくべきなのだ。それはメディアに対しても同じだと思う。

私はあのパレードに参加した人間のなかでも最もマジョリティで特権階級の人間である。男性で、シスジェンダーでヘテロセクシュアル。中流階級で両親きょうだいは健在で円満、結婚もでき社会的な保証はもれなく受けられる。会社員として働いている。この国で最も多いタイプの人間だ。つまらないほどに平凡だ。でも私は自分になんのメリットもない同性婚に強く支持を表明している。その法案ができたってなにも自分の生活は楽にならない。それは反対派のひとたちにも同様に言えるはずだ。どうしてそこまで必死なのか、と言われると難しい。いつからか、という答えは「2017年ころからです」と言えるのだが。世界のポップミュージックや映画、エンタメを見ていて、この話題と差別に対して無関心でいられるほうが正直難しいだろう。必ず直面する話題だからだ。もちろんそれをどうとらえるかは結局的には個人の自由になってしまうのだが、無関心ならいざしらず、わざわざ大声で口汚くののしりながら否定している人たちにははなはだ疑問しかない。そういうのは大抵特権階級を手放したくない人たちだ。自分たちが楽に暮らせて優位に生きられて何一つ遠慮する必要のない世界であってほしい、と願ってやまない人たちが怯えている。生きにくい世の中になった、という言葉の裏には、数えきれない人たちの「生きづらさ」の上で成り立っていたことに気づいていない。それを理解したくない、するつもりもない、する度胸もないから必死に詭弁を繰り返す。

音楽って人々が嫌う”説教”を一番シンプルにスッと伝えることのできるコンテンツだと思っている。3分で価値観を揺るがすことができる。それをもっと利用していくのは至極まっとうな手段だと思う。

今の日本(こういういこというと出羽守と鬼の首をとったかのように嬉々として使い方もタイミングも思慮分別もなく偉そうに使いたがる人がいるが)にどれだけの楽曲があるだろう。もっと自分らしく。自分を大切に。そんな歌がようやく増えてきて、その歌がメディアにも少しずつ取り上げられてきた。たくさんのアーテイストがそこに言及するようにはなった。でももっと、もっといえることがあるし、私たちもそういった発信しているアーティストを取り上げていかなきゃと思う。

大阪は10月7日8日。日本の楽曲をみなさんと考え、それを流して「日本にもたくさんいるんだよ」と伝えたい。そう思うことはそんなに不自然ではないはずだ。私もこれから考えていく。みなさんも不勉強な私に「このアーティストがいるよ!「この楽曲もしらずに語ってんじゃねえ!!」と叱咤してほしい。一緒にPride Parade Songを考えましょう。