人生初のフジロック。行きたくても行けなかった、行く勇気もなかったフジロックに、一念発起して行くことにした。とはいえ自分一人で行く度胸もない自分は、友人2人に誘ってもらいホテルまでご丁寧に用意してもらって行くことになった。
木曜日
朝一番に家を出て越後湯沢駅に着いたのは13時ごろ。シャトルバスに列をなしてはいたが、それでも30分ほどで乗車。その間にマツキヨでお酒を調達したりして気分を高めていく。
車中、モニターにはフジロック公式ソングの、忌野清志郎が歌う「田舎へ行こう」が流れる。この曲は直前の新幹線で教えてもらい、気持ちが高ぶってしかたがなかったのだが、この道中の車内で見る田舎へ行こうは格別だ。まだみたこともない場所への憧れと、大げさでなく「本当に存在するのだろうか」という疑心暗鬼を加速させてくれる。まだ疑うぞ、まだ信じないぞ、清志郎、おまえはいつもそうだ、ユートピアばっかりみせてくる。あんなあったかいCMソング歌っているコンビニ、いついってもあの温かみはないぞ、と。
バスが到着したのは砂ぼこり舞う砂利道。到底片手で持ち上げることのできない量の荷物を詰め込んだキャリーケースではこの悪道を転がしてくこともできず、7月末の30度をゆうに超える真夏日の中、ひーこらと担いで舗装された道まで歩く。後ろを振り返れば大きな「FUJI ROCK FESTIVAL 23’」の旗が。とはいえこれは駐車場の入り口であり、よくみるあの看板はまだ見えないほど遠くだ。まずは会場を背にしてこの坂道を登っていく必要がある。その先にある建物こそが私たちの宿舎だ。10分ほど歩くとその建物は見えてくる。行く前からこのホテルに泊まることをフジロック経験者に伝えると「贅沢だ」「あたり物件だ」「近くていいホテルだ」と大絶賛。先に正直な感想を述べておくと、4泊で5万強を支払ったホテルのクオリティとは到底言えるものではなく、今言ったように「宿舎」とか「合宿所」の方が言葉は適切かもしれない。それでも今思い返せば冬はスキーヤーが、夏はどろまみれのフジロッカーがわけのわからない時間に帰ってきて部屋を砂まみれにしてしまうのに、きちんんと布団は敷かれ綺麗ですべてが一通り整っているなんて、十分すぎるではないかとも思う。それでも浴場はピーク時になればまともにシャワーも出ず、50℃から55℃の間でしか出ない人殺しのシャワーが存在するなど、やはりホテルと呼ぶには怪しい点もちらほらあったり。でも最終的には自由にさせてくれたことに感謝している。
いったんホテルでチェックインを済ませ、前夜祭に向け各々が準備する。私は少し休憩を。フジロックの前夜祭は盆踊りがあると聞いていたので、調子に乗って浴衣を購入し持参してきた。多分そういうことじゃないことは分かっていたが、お面まで持ってきた。ちいかわとストームトルーパー、ひとつを友人にあげて、私はちいかわを。このちいかわのお面は最終日までかばんの目印としてつけて歩くことになった。
準備が整い、17時過ぎ、さきほど通って来た道を逆に下り、再び見えてくる駐車場入り口。それを横目にずっとまっすぐ歩いていく。広い駐車場を抜けると、見えてきたのはなにやら怪しげなオブジェたち。ここがかの有名な、今年ようやく復活したTHE PALACE OF WONDERであることはまだ知らずに、顔はめパネルで遊んだり、リハーサル中のSAKURA CIRCUSを観たり、オブジェに乗ってみたり。
隣接するYELLOW CLIFFでお酒を飲みながらゆっくりご飯を食べる。日も暮れてきて、人通りも増え入り口に行列ができはじめたころ、我々はまだYELLOW CLIFFで夏の涼しい夕風に感傷に浸りながら「これまだなにも始まってないんだよな」とか言いながら完全に打ちひしがれていた。
重い腰を上げていよいよ会場入りしようとあのゲートへ。近づくと意外とシンプルで、でもこれがあの夢にまで見たフジロックのゲートかという荘厳さすら感じながら、記念撮影。
ゲートをくぐってもステージはまだ見えず、少し歩く。そのうち川が見えてきて左方になにやらにぎやかな音と明るい光を感じ取る。橋を渡ると眼下に広がるのは、フジロックのステージではなく中央に踊り場とそのうえで太鼓をたたく人たち。そして四方に広がる提灯だった。反時計回りに、フジロックでは定番だという盆踊りソングに合わせながら皆軽快になれた様子で踊る。
こうなったらと自分も飛び込んで、見よう見まねで踊ってみる。途中でバックし始めたり急にジャンプしたりとそもそも盆踊り自体になじみがなくこれがスタンダードなのかすらもわからず困惑しながら、でも隣のサメが踊れているのに負けるわけにはいかないと必死に食らいつく。
5回ほど繰り返し踊っているとさすがになんとなく感じはつかめてきて、次第に周りに合わせながら踊ることもできるようになってくる。子供を肩車させながら踊るお父さんとか、我々と同様に浴衣で踊るお姉さん方とか(あまりに我々との落差がありすぎて悲しい)、サメとかちいかわ不審者とかいろんな人が笑顔で踊っている。その周りで一緒に楽しそうに写真撮ったりご飯食べたり、もう日は沈んで明かりなしでは足元すら見えづらくなるまで、踊り続けた。
19時55分くらいだったろうか、花火が打ちあがる。ビールと鮎の塩焼きを手に、花火を見上げる。まだ始まってすらないんだわこれが。そしてこれをきっかけに前夜祭はギアをあげていく。GAN-BAN-SQUAREとRED MARQUEEの2ステージでDJアクトが始まる。その間に挟まれてぼーっとしていると、右耳からはGAN-BAN-SQUAREのサウンドが、左耳からはRED MARQUEEが聞こえ、目の前では大道芸のお兄さんが観客を沸かせている。まさにカオス。隣でおなかいっぱいだとうめく友人を傍目に、この「始まってもいない始まり」に酔いしれる。なんだこれは。ここは天国か。
とはいえ何度も言うがまだ初日すら出ないフジロック。ここで体力を使い切って明日に響いたら元も子もないので、この日は11時半ごろに帰宅した。銭湯ですら苦手な自分にとってはかなりハードルの高いお風呂に入り、「これもフジロックのため」と何度も心で唱え就寝した。廊下の風をつねに扇風機で取り込めば十分快適にに群れるほどに涼しかったのは幸いだった。
1日目(金曜日)
8時には起きて準備を進める。まずはアーティストよりフジロックそのものの空気を味わう。Gypsy Avalon前のフードエリアで朝食を。ハンバーガーとクラフトビールを平らげ、日陰でゆっくり。いままでフェスに椅子を持っていくという経験がなかったので、この快適さは前代未聞だった。日陰に入ると涼しい風が入ってきて、遠くからは初日のWHITE STAGEのトップバッター、YONA YONA WEEKENDERSが聞こえてくる。その後ゆっくりとGREEN STAGEに戻りながら、あらためてフジロックの多様的な景色に見とれる。ところ天国で川遊びする人たち、KIDS LANDで遊ぶ子供たち。keenの玉入れに夢中になっている自分(一個入れてバンダナもらってその日になくした)。
GREEN STAGE後方で椅子を広げじっくりとながめる。配信でよく見たステージだが、客側を見る機会はほとんどなかった。思っている通りに広大で、思っているよりはるかに急こう配の坂道にみんな寝そべっていた。あれ筋トレになりそうだなあなんて思いながら。
ようやくアーティストを観るために動いたのは、FIELD OF HEAVENの君島大空 合奏形態が始まる前だ。先ほどはGypsy Avalonまでしかいかなかったが、今回はボードウォークを使ってさらに奥地へ。700mもあるという長い木の歩道を歩く。本当の山の中を歩いている気分で、途中で景色の良い川や山。思わず「山 川 海 原っぱ yo 俺たちラッパー」と口ずさむ。
逃げ場のない灼熱のステージ、FIELD OF HEAVEN。ある意味天国に近いななんて考えていたら、君島大空はガチで天国を見せてきた。美しい賛美歌のような「世界はここで回るよ」、かき乱れる電子音の「散瞳」、そして大団円を迎える「遠視のコントラルト」まで、時に往年のハードロックのような激しいギター、時にアンビエントの美しさを調和したアンサンブル、そして儚くて美しい君島大空の天国へ誘う歌声。全てが完璧で、各演奏陣の素晴らしさ(西田修大、新井和輝、石若駿とまるでアベンジャーズのような面々)も相まって初日からベストアクトが飛び出した。暑かったことを除けば、だが。
ゆっくりとGRAN STAGEに戻ると、IDLESが演奏を始めたところだった。無理に感情を押さえつけるような静かなビートから始まったライブは、じっくりと、じっくりと感情を昂らせていく。次第にボーカルの力みが増していき、地団駄を踏み出したと思ったら爆音と共に雄叫びをあげる。GREEN STAGEは瞬く間に熱狂の渦と化し、前方をもみくしゃにしてしまう。とにかくハードでタフなバンドだ。歩き回り地団駄を踏み叫ぶ。運動量は凄まじく、とにかく休む暇なく次々と投下される楽曲。一切の妥協もトーンダウンもない。常に怒りと力に溢れている。
しばらくしてRED MARQUEEに移動し、YVES TUMORのアクトを少し覗き、やはり新しいロックスターの形を見せつけられた気持ちになる。履いているのかどうかも怪しいくらいに攻めた衣装と妖艶なパフォーマンス。イメージとして保守的なロックが強いフジロックがあったので、こういう新世代のパフォーマンス、とりわけクィア性を持ったアーティストをフジロックがどう受け止めるのか興味があった。
その後DANIEL CAESARを後方から見て、広いステージたった一人で歌い上げるスケールの大きさに酔いしれると、いよいよこの日の大トリ、The Strokesへ。2011年のSummer Sonicへ人生初めてのフェスに行った時のトリがThe Strokesだった。初めてのフェスで初めてのモッシュを経験したのも彼らのライブで、その時のことは今でも鮮明に思い出せる。それ以来になる彼らのパフォーマンスをずっと心待ちにしていたし、その間に彼ら自身も大きく変わったはずだ。
ザ・ストロークス、偉大な功績を振り返るための名曲10選【フジロック直前予習】
少し遅れて登場した彼らは相変わらずクールな観客に少し戸惑いながらも彼ららしく緩くスタイリッシュにベストヒット祭りを展開していく。メッツ大好きというアメリカ人ロックンローラーらしいエピソードは「大谷は世界一の野球選手だ」というリップサービスで明らかなのだが(The adults are talkingのMVでも野球愛に満ち溢れているというか野球そのものだ)、リップサービスのつもりなのに結果として揺るがない事実をかますと、「Ode to the Mets」を披露する。
1stアルバムから最新アルバムまで(一番大好きなAnglesからはやってくれなかったが)まんべんなく披露し、Welcome to Japanまで歌い上げる大満足のセットリストは、のちの二日目のFoo Fightersや三日目のLizzoといった熱狂というわかりやすい指標は見当たらないが、彼らのたたずまいに王者の風格を見せつけれられ、みんなが心酔したはずだ。それは彼らにもきっと伝わっていたと信じたい。
他のフェスと違い、ここで終わらないのがフジロック。大トリが演奏を終えたのが10時過ぎとそれだけでもずいぶん遅い終演だが、さらにここからアクトは続いていく。眠らせる気がない。どういうつもりでフジロックは予定を組んでいるのかわからない。RED MARQUEEのRyoji Ikedaを聴きながら、Oasisでくつろぐ。椅子を広げ、友人たちで語り合う。お酒を入れながら、飯を食べながら、深夜までダラダラと。この時間がたまらなく楽しい。夜が明けることのない日のような気がしてきて、ここにいる全員が音楽を求めてはるばるやってきたという事実は何度確かめても疑わしく、そしてうれしかった。てっぺんを過ぎても鳴りやむことのない音楽にただ身をゆだねて、眠たくなるまで。。。と言いたかったがさすがフジロック。目の間のGAN-BAN SQUAREではENDON x rokapenisによるノイズミュージックが跳躍跋扈し、RED MARQUEEではvegynがブチかましているので音がOasisで衝突しスパークしている。Oasisにいる人間、全員正気ではなかったと思う。
そんなこんなで1日目は午前1時ごろにお開きにして、翌日に備えることとなった。
2日目(土曜日)
11時のChilli Beans.を見るために気合いで起床し準備し友人たちをホテルに残して会場へ。まずはわき目も振らずにWHITE STAGEへ。今日も快晴。川ではすでに何人かが足をつけて涼んでいる。私の一番好きな楽曲「School」でライブが始まると、緩くもパンキッシュな雰囲気で彼女たちらしいロックビートを紡いでいく。オーディエンスもペースに乗せられるように緩急を使い分けたパフォーマンスに魅せられていく。音源よりパキっとしたサウンドにそれぞれのボーカルの力量に感服する。11時の川沿いのパフォーマンスにふさわしい優雅さがあり、シンプルなロックバンドだけれど、日本の”ガールズ”ロックバンドにはあまりない雰囲気とサウンドでしっかり船頭を切っていた。まだまだやりたいことがたくさんありそうなバンドなだけに、このままスタイルを貫いていってほしいなという気持ちばかりが募る。
残念ではあるが、次のFIELD OF HEAVENの優河with魔法バンドを見るために途中で切り上げる。フェスの被り問題はいつも辛さに引き裂かれながらの旅となるが、割り切るしかない。
始まって少し経った優河with魔法バンドにたどり着く。二日連続灼熱のFIELD OF HEAVEN。正直彼女を聴くには暑すぎると思うが、それを払しょくさせるくらいにいいライブだった。誇張ではなく、本当に、一瞬だけ暑さを忘れる。間奏に入ったり曲が終わる度に我に返り汗が噴き出す。思わず椅子に座る。椅子に座れるって本当にすごい。これkらすべてのフェスで持参したい。禁止されてないならもっていくぞ、椅子。
ただ、誘惑が多いのがフジロック。そしてなによりこの三日間で噴出した問題は、飲食店の行列だ。完全キャッシュレスに移行したものの、不具合が多数おき、すぐに現金もOKに代わっていたが、行列は解消されず最低でも30分は待たすないと手に入れることはできない状態が常態化していた。このステージのさらに奥のORANGE CAFE(ここはもうすこし装飾とかしてほしいと友人たちと話していた)のそうめんが食べたい。それが願いだった。今なら空いていると友人からの情報を受け、惜しみながらもそうめんを求めORANGE CAFEへ。うっすら聞こえる彼女の声を後頭部でしかと受け止めながら、そうめんを食べる。うまい。冷たい。最高だ。テントスペースの日陰で食べるそうめんは実に人生を豊かにすることがこの日、明らかになった。例によってビールを摂取しこの日の行動プランを相談する。もちろんこの後のBENEEだってd4vdも見たかったが、それより私はなにかを犠牲にしても行きたかったところがあった。DayDreamingというステージだ。RED MARQUEEの裏にあるドラゴンドラという名のゴンドラにのって25分かけてたどり着く特別なステージだ。ちなみに往復2000円かかるので、daydreamingのアクトを見るには2000円かかるという見方もできる。大きなステージではないのでDJプレイがほとんどだと思うのだが、なかなかクレイジーな縛りプレイだとも捉えられる。それでもそこには行く価値があると何度もおすすめされたので、私は2日目の13時から15時を失う覚悟で向かった。羊文学までには必ず戻ると、そう誓って。
RED MARQUEE向かいの誘導ロープに従って歩いていくと、眼前に広がる傾斜。
これを登らずしてdaydreamingにはたどり着けないんだというあきらかな挑発にのるべきか否か少し迷ったものの、ここまでバカになって過ごしてきたのにいまさら正気に戻ってたまるかと歩みを進めていく。
これが本当に辛い。辛いなんてもんじゃない。肩で息をし、さすがに二度立ち止まった。まわりのひとたちも苦しそうだ。なにをやってるんだこいつらは、と呆れかえる。自分には刺さらない。
やっとの思いで到着し、20分ほど待ってゴンドラに乗車。ぐんぐんと高度を上げ、フジロックを見渡すことができる。ひと山、ふた山を越え、渓谷を見下ろし、奥地の奥地へとゴンドラは私たちを運んでいく。ゴールが見えてくるとなにやら熊の鳴き声のようなうめき声が聞こえてくる。さすがdaydreaming。危険も隣り合わせだ、そう思ってゴール地点の目の前まで来ると、その声の主はゴンドラを歓迎するなぞのおじさんたちの雄たけびだったことが発覚する。ヤバいぞここは、とすぐに警告アラートが発せられる。ドラッグパーティでもやってるんじゃないかと勘繰った。
しかし到着したそこは、全く想像とは別世界だった。もっとヒッピーでドラッグ中毒者がトリップした、非常に悪い時期のボージャックホースマンの世界かと思っていたが、実際は親子連れがたくさんいるユートピアだった。子供たちがシャボン玉で遊んだり巨大ボールの中に入ったり草むらを駆け回ったりと、めいめいが自由にふるまっていた。気温もぐっと下がり、Tシャツ一枚で過してギリギリ気持ちのいい温度だった。風も強く、地上のフジロックとは明らかに一線を画す世界だった。ステージではなかむらみなみがキレのいいマイクパフォーマンスとともにキレキレのダンスミュージックで会場を沸かせ、そのまわりでは草むらでねそべったり高台で風を感じたりレストランみたいなところで休憩したりしている。私もステージでの鑑賞はそこそこにして、椅子を広げて休憩した。レモネード(だったかな)をのみながら遠くの山を眺める。次第にまどろみはじめ、次に気づいたときは寒さで目覚めた時だった。40分くらい寝ていたのか、さっきまで快晴だったのに向こうの方から雷を伴った厚い雲がこちらにやってきている。風も強くなり肌寒い。子供たちは依然と遊び続けている。ひもを引っ張って金を鳴らしている女の子の前では父親と息子がサッカーをしている。機械式のシャボン玉製造機でおおきなシャボン玉をつくってはそれを追いかける女の子。小さな三輪車をつまづきながら何度も乗りつづける男の子。遠くでは着ぐるみとその仲間たち、といわんばかりの山の妖精みたいな集団が親子たちとラジオ体操を行っている。
気づけば地上では羊文学がライブを始めており、ここの居心地の良さを恨みつつ、天候も悪くなってきたので降りることにした。途中、前に並んでいた親子連れの女の子が私のかばんにつけていたちいかわのおめんを気に入ってくれたそうで、あげようかとも思ったが、父親目線で、こんなおっさんが持ち運んでる汚いお面なんて死んでも触らせたくないだろうなと、にこやかにみせてあげることにした。
30分かけ到着すると4時をまわっており、いったんWEYES BLOODを鑑賞する。しばらくして友人たちとGREEN STAGEで落ち合い、ALANIS MORISSETTEを一緒に見ると、いよいよ本日のお目当て、ELLEGARDENへと。
高校1年生の時、衝撃的に出会って以来、一度は生で見てみたかったバンド。音楽人生を大きく変えてくれたバンドだし、青春そのものだから、歌える曲は数多くあったし、だからこそ生で見る機会なく活動休止してしまったときは非常にショックだったことを覚えている。バンドが再活動してもなかなか見る機会が得られず、ようやくここ苗場で願いがかなった。彼らを知って約16年。長い年月がかかったが、まさに今ここで彼らのライブを堪能できるのだ。
普段「再結成したバンドが新譜出しているならそれをきちんと追いかけ楽しむことがバンドへの礼儀ってもんだろ」みたいな感じで懐古主義を叱責するタイプの人間だが、申し訳ないが新しいアルバムも嫌いではないが今はまったくそれが眼中にはないほど、待ち焦がれていた。二曲目の「Space Sonic」から始まる過去の楽曲の数々は全て歌い上げ手を高らかに掲げ高揚していた。「The Autumn Song」や「スターフィッシュ」など、もうこれでもかっていうくらいに響いてきた音楽は自分の高校時代を走馬灯のようによみがえらせてくれた。カナダ留学中の真冬のスクールバスの中で聴いた「Missing」や夏休み暇すぎて家のPCでせっせと違法ダウンロードして聴いていた「Fire Cracker」(当然良くない事です)。どれもありありと感触から戻ってきて、そして今目の前で上裸になった細美、ギターの生形、ベースの高田、ドラムの高橋が昔と少しも変わらない姿で演奏している。自分はこれだけ老け込んだのに彼らは変わらないうえに成長までして新しい音楽を届けてくれている。もう一曲、終わるな、もう一曲やってくれ、あれもこれもまだ聴けてないんだ、と願う気持ちとは裏腹に「Make A Wish」が流れる。それはクライマックスを知らせるアンセムソングだ。ラストは、20年たっても「Strawberry Margarita」なんて彼ららしいタイトルを付けた楽曲で締めた。まさに神々しい伝説のライブになった。
友人はVaundyを見るためにWHITE STAGEに向かったが、結局入れなかったそうだ。私はそのまま感傷に浸りながら最後のFoo Fightersを待つ。
Foo Fightersはあまりに大きなドラマ(といっていいのかも悩まれるが)を迎えてしまったバンドだ。ドラマーのテイラーを失い、フロントパーソンのデイヴ、いやバンド自体が大きな喪失感を抱えながらこの1年間歩みを進めてきた。そのことについては私よりもあの現場にいた数万のファンの方がよく存じ上げていることだろう。
とにかく人なつっこく、音楽性からは想像できない優しい笑顔と気さくな性格が私も大好きなのだが、今日もデイヴはアクセル全開でなにかにつけて「For Fuji!(フジロックのために特別にやってやってんだぜ!)」と叫ぶ。それにうまみを感じたか、とりあえず言っておけばいいとでもいうかのように「For Fuji!」を繰り返す。「It’s easy」なんて言っていたり。バンドの喪失は当然あるが、それを補って余りあるニュードラマーの圧巻のドラムプレイ。バンドのテンションに呼応するかのように加熱していくドラミング、ギター、そしてデイヴの咆哮。新アルバムのリードトラック「Rescued」から「Walk」へとつなぐ熱い展開に、アラニスモリセットを招いて先日急逝したSinead O’Connorを偲んで彼女の楽曲を演奏し、フジロックのスペシャル感は強まっていく(恥ずかしながらSinead O’Connorは存じていたしニュースも知っていたが歌っていた楽曲が彼女の楽曲だとはわからず、ほえーって聞いていた、多分そういう人多かったと思う)。
また、途中で元WEEZERのパトリックをステージに上げ(昔からの盟友だったみたいな話をしていたと思う。)「Big Me」を披露。後半に入ると会場は坩堝と化し、ステージの奥の奥まで本当に人であふれ、彼らのパフォーマンスにくぎ付けだった。「Monkey Wrench」で最高潮の盛り上げを見せると、「best of You」は亡きテイラーのために歌い上げ、観客のスマホでライトアップされた会場は一気に神聖な空間へと変容させた。最後の「Everlong」まで、一切妥協のない最強のライブパフォーマンスだったことは疑う余地もない。
GREEN STAGEは最終アクトが終わると退場を促されるのだが、できるかぎりゆっくりくつろいでいると、少しずつあの熱が沈静化していくさまを見届けることができる。まだまだ冷めやらぬ熱気が徐々に満足感へと移っていき、「いやあ最高だった」「あの曲やってくれたね」という声が聞こえてくる。ステージの最前付近ではまだ名残惜しそうにしている人たちも見え、私たちと同様に火照った熱を冷ましている人たちも見受けられる。この姿をみられるのも、まだこのフェスは深夜も続くということ、そしてそれを見越して動いているということの証左でもある。まだ終わっていない。ここから、また夜は始まるのだ。
例のようにOasisに戻り、RED MARQUEEの長谷川白紙のアグレッシブなライブを聴きながらこの日8食目くらいになるであろう食事をとる。何を食べよう、何でも食べられる、なんでも飲み込んでやる、という勢いそのまま五平餅やらなんやらを食べる。その後苗場食堂で行われたCENTと八木海莉を見ると、ROMYがRED MARQUEEで始まる。深夜一番楽しみにしていたアーティストだ。
すでに足はクタクタで脳みそもきちんと機能していない時間帯にROMYの音楽はあまりにドラッグすぎる。ぐらつく体、おぼつかない足、それでもまだやれるとだまして盛り上がり続ける。熱狂に後押しされ前へ前へと向かっていく。とうに限界は来ていたと思うが、それをふっ飛ばさせてくれる圧倒的快楽。異常な空間だった。
その後バトンタッチで登場したのはNariyuki Obukuro with Melodies international。本人の新曲も交えながら世界各地の楽曲をセレクト、プレイしていた。激しく躍らせるというよりは足元からぐらつかせるような根を張ったダンスミュージック。脳がとろけはじめいよいよ意識はもうろう。半分居眠りのような状態で踊り続けていた。もうこの時点で午前3時を過ぎており、さすがに誰かにぶつかったりして危険なくらいに疲れてきたので、4時を前にして離脱、泣く泣くホテルへと戻ることにした。
そして一目散にベッドに飛び込み、わずかな仮眠をとって、最終日へと挑む。
3日目(日曜日)
この日も11時のHomecomingsは絶対に見逃せなかったので、9時半には起床し、シャワーを浴び、10時半にはホテルを飛び出した。少し遅れはしたものの一曲目のラストには間に合って、ホムカミをじっくり堪能する。演奏陣はしっかりと固い演奏を行い、そこにボーカルの畳野ののびやかな声が乗っかる。「ラプス」「US/アス」といった今のホムカミもあれば、「Songbirds」のような英詩を含む中期の作品まで幅広くカバー。この日も快晴でじっとしているだけで汗が噴き出す陽気だったが、ホムカミの爽やかな歌は涼しさすらもたらしてくれる。地に足の着いたパフォーマンスはWHITE STAGEではもったいないくらいで、GREENでみたいな、あるいはWHITEでも夕暮れの時間帯で聴きたいなと思わせてくれる。最新アルバムでも温かみに終始しない肉体的な音楽になっているのでライブ映えもするはずだ。
今日はこの3日間で最も忙しい。見るべきアーティストが多いからだ。すぐにRED MARQUEEのYard Actに移動する。UKの少し曇ったようなビジュアルを見せてくれるシニカルでアグレッシブなバンド、Yard Actは2023年のイギリスロックシーンを映し出すようなタイプだ。フジロッカーたちもきっと彼らを楽しみにしていたに違いないし、事実観客は満員で大盛り上がりだった様子は後ろから見てはっきりとわかった。語るように歌い、吐き出すように語る彼らの歌は、性急なビートに乗せて加速していく。フジロックハイライトのひとつだ。
その後そのままBALMING TIGERを見て、韓国のBROCKHAMPTONのようなヒップホップ集団であり、非常に個性的でこれから注目していきたいアーティストだ。BALMING TIGERをそこそこにしてドミコを聴きながら移動した先に待ち構えていたのはROTH BART BARONだ。このFIELD OF HEAVENの雰囲気に最もふさわしいアーティストと言ってもよく、賛美歌のような美しさは筆舌に尽くしがたい。バンドセットならではのダイナミクスがずっしりと響いてくる。本当にフジロックでしか味わえない空間だった。
彼を観終わった後、ORANGE CAFEでラムチョップを食べ(これを食べるために見たかった100gecsを見逃してしまうという失態を犯す)、英気を養ってからBLACK MIDIへ。
この3日間で一番前列まで行き、暴力的なまでのロックを浴びた。次々と変わるテンポ、まくしたてるボーカル。腕も足ももげてしまいそうなくらいに暴れまわるドラム。たまにおどけて回るメンバー。そのチャームさとシリアスさの両立がこのバンドのバランスだ。スローダウンしたと思ったらこっちがついていけなくなるくらいに加速し、またミドルテンポへとかわる。「john L」では観客はイントロから最高潮で「いい感じ!いい感じ!」と連呼するボーカルに呼応するようにライブの熱はあがっていった。ライブが終わった時、みんなが半笑いになりながら「なんだこれ」と言って帰っていく様子はまさにこのライブの感想を体現しているようだった。
BLACK MIDIが終わると入場規制にかかる前にとFKJを待つRED MARQUEEへ。すでに人であふれかえり到底ゆっくり中で見ることはできず、会場外で見ることに。機材トラブルが多々あり、なかなか思うようにいかなかったライブだったとは思うが、それでも一生懸命演奏してくれていた。私は途中でAsgeirを見るために離脱したが、友人は満足そうだった。
「夜のFIELD OF HEAVENは絶対に行った方がいい」といろんな人からおすすめされておきながら、この二日間いけていなかった。それどころか夜のボードウォークすらまだ経験していなかった。これを観ずに帰るわけにはいかない。だからLIZZOを見るかAsgeirを見るか最後まで悩んだが、後悔のない方を選んだ。結果、後悔はしていないが、やっぱりLIZZOみたかったなあとも思っている。それは多分一生思い続ける。
結果として、あの夜のHEAVENとAsgeirの相性は恐ろしいまでにマッチしていて、もはや昇天しかけていた。ミラーボールはステージを囲む山々を照らし、手にある温かいカフェオレは心もほぐしてくれる。Asgeirは1時間半のたっぷりのライブセッションで、ひとつずつ、丁寧に、優しく、美しく奏でてくれた。これがフジロックの真髄かと思い知らされた。どんなアーティストより、この場所こそに価値があるんじゃないかとその時思い知らされた。多分過言だとは思うけれど、その時は本当に思ったのだ。フジロックに来て間違いなかったと。
Asgeirのアンコールまで堪能したのちに夢見心地のままGREEN STAGEに戻ると、そこはもう多くの人が帰る支度をしていた。終わったんだ、これで終わったんだとその時にこみあげてきた。しかし、私たちには、後夜祭が、ある。この後がある。フジロックは眠らないのだから。
まようことなくRED MARQUEEに向かい、3日目の大トリ後に登場するのはきゃりーぱみゅぱみゅ。去年ツアーで買ったツアーTシャツに着替え、この時間帯のきゃりーがやりそうなことはおおよそ見当がついていた。もう一曲ずつ丁寧に歌い上げることはしない。ただひたすらに首を縦に振らせ、躍らせることしか念頭にないのだと。案の定、きゃりーは「どどんぱ」を投下した。
完全にトランスミュージックのようなEDMテクノのような、頭のおかしくなる本楽曲はきゃりー史上最もクレイジーに踊れる楽曲だ。その後も「原宿いやほい」や「CANDY CANDY」「にんじゃりばんばん」などキラートラックを次々に披露する。どこを見ても「きゃりーやべえな」の顔しかしていない。別に私もさほど詳しいファンってわけでもないが、それでもきゃりーのことを買いかぶっていたフジロッカーの度肝を抜かせたことは「どうだ!」という気分にもなる。
いったん着替えと荷物の軽量化のためホテルに帰り、再び会場へ向かう。3日目のトリが終わり多くの人が会場を後にする中、我々は気持ちも新たに身軽になった足取りで逆走していく。これがフジロックか、まだ終わらないのか、また始まるのか、また入り口をくぐるのか、という高揚感。これはアドレナリンが異常にでる。Ginger rootこそ見逃してしまったが、Yung Bae、The Blessed Madonnaで盛り上がったのち、いよいよ我々一行はPALACE OF WONDERへ向かう。そこではCRYSTAL PALACE TENTの中でダンサーとバンドのコラボでまるでウェスタンな世界観が、ちいさなクラブハウスのような場所(名前は忘れた)ではフジロックらしからぬ客層がお酒と音楽でまみれている。我々は先にCRYSTAL PALACE TENTを楽しんだのち、もう行くっきゃねえの精神でクラブハウスへ。止まらぬ音楽とダンス。いかれた空間。まだ物足りないのか、それでもまだ踊りたいのか、なぜこんなところにいるのか、自分でもよくわからないまま、音楽につられただ踊る。踊る。踊り続けること1時間。次第に周りが明るくなってくる。ラストスパートにかけて、店内はよりカオスにかわる。カウンターバーに上る人たち、とりあえずハグする人たち、雄たけびを上げる人たち。それを後押しするDJ。野村訓市が繰り広げるDJは多幸感にあふれていた。Boys Town Gangの「Can’t take my eyes off you」で会場は一体感に包まれ大合唱へと変わる。一秒でもこの場にいたいと強く願う人たち、その刹那が楽しいんだと言わんばかりの余裕感のある大人たち、それぞれの思惑が見事にアンサンブルとして交わった。何度も繰り返させるリフでおわらないフジロックを表現されると、最後にかけられたのは↑THE HIGH-LOWS↓の「日曜日よりの使者」。もう5時を回ろうかというこの朝焼けにあまりにふさわしい楽曲だった。全員で肩を組み大声で歌い酒を酌み交わし、終わるフジロックに別れを告げていた。また来年会おう。それまで元気でいよう。そんなメッセージは誰も交わさなかったが、空気そのものがそうだった。
適当な嘘をついて その場を切り抜けて
誰一人傷つけない 日曜日よりの使者
そして 東から登ってくるものを
迎えに行くんだろう
まとめ
今までフジロックはどこか縁遠く感じていた。配信で観ても、現実感がなく、本当にこんな場所があるのだろうかという気持ちになったのは誇張でも何でもない。どうしてもリアリティにかけていたのだ。自分には関係のない場所。虫も山もロックンロールとかいうのも嫌い。だから行く機会もないと思っていた。でも今回、本当に運よく友人に迎え入れてもらって、ホテルや移動の新幹線まで予約してもらってようやくたどり着けたフジロック。そこは想像を絶するフェスだった。アーティストももちろん最高だが、それよりもこの空気、世界観、そして人。ここまでフェスに一体感があるなんて、サマソニ大阪を何年通っても一切感じることのできなかった感触だった。みんなが祝祭をもとめていて、みんながこのフェスを続くことを望んでいる。コロナ禍を経てようやくいつもどおりのフジロックに戻ったからこそ、不備もあったのかもしれないが、それよりもまたこうやって集まってこられた喜びを感じずにはいられなかった。落し物はすぐに拾って走って届けてくれる。ごみは自分のじゃなくても拾う。子供たちが安心して過ごせる場所づくりを目指す。ゴミ箱前でずっと立ってくれていたボランティアの人たちも、おもわず体を揺らせている。トイレ掃除をしてくれているスタッフは暑くても笑っていた。飲食の店員はてんやわんやになりながらも、言語が通じなくても、笑顔を絶やさなかった。長く待たされた我々客も同様だ。椅子は譲り合って座る。それおいしいよね、と話しかけてくれる人。ひまわりの花束を抱えフラフラと歩き回り、そっと女性に手渡すとそのまま消えてしまったちょっと(だいぶ)怪しいおじさん。そのどれもが美しくて、きっとそれは完璧じゃなかったし全員じゃなかったのだろうけれど、私はそれでもこのフェスの一体感というものはここにくるまでこうも感じることはなった。それはオフィシャルがあげる、入り口で「イエーイ」と叫ぶフジロッカーの写真では伝わらない、リアルなフジロックだと思う。
正直フジロックに懐疑的な点はあった年齢層の高さ、フェスの成り立ち上色濃く残る保守的なロックンロールの香りは、いろいろなジェンダーやクィア性、あるいはマチズモの残り香があるのではないかと危惧していた。でもそれはYves Tumorの出演やLIZZOがトリを務めたことからも変わりつつあることだと感じ取れたし、肌感覚としてもそういった旧来的なマチズモはそこまで感じることはなかった。まだまだ世の中は変えていかなければならないことは多い。それはフジロックとは無関係ではない。このフェスから、このフェスに参加した人たちから変えられること、変えるべきことはたくさんある。たくさんの外国人が観光客として来ていた中で、私たちは中国や韓国のアジアの人とヨーロッパやアメリカの人たちと分け隔てなく見られていただろうか。”女性なのに”とか”女性らしくない”パフォーマンスだとかいったまなざしはなかっただろうか。環境に対する考えも、政治に対するモチベーションも様々だが、フジロックに来た人たちは、けっしてあの場だけでつながる安易なものではなく、もっと日常から連帯していくことが可能ではないだろうか。そんな風に思う。
少し最後に固いことをいってしまったが、それほどにフジロックに感動し、また来たいと思わせ、人生で絶対に忘れることのない体験を味わせてくれた場所だったからこそ、停滞せず、新しい時代にフィットするフェスであってほしいと強く願っている。
眠ることなくシャトルバスに乗り込み、越後湯沢駅の新幹線に乗り込んだのが10時ごろ。すこしずつ駅から遠ざかっていく車窓を見届け…ることなく、私たちはすぐに眠りについたのだった。