仕事を終えくたくたになりつつテレビをつけると画面の向こう側で一人懸命に踊る女性がいる。たった十五秒の間で3分間ほどのダンスを詰め込んだかのような激しいダンスはこちらをも疲れさせる。彼女の名を土屋太鳳という。

朝ドラ「まれ」で一躍脚光を浴びた土屋はその類まれなる身体能力から「ダンスのできる土屋」へとシフトチェンジさせられることになる。そのきっかけはやはりsiaのaliveの日本版のMVで創作ダンスをしたことだろう。

それから彼女は元来の生真面目でストイックな性格が好評となり、一気に人気女優の仲間入りを果たした。決してわかりやすい美人ではないがその愚直さとハキハキした性格は世間の好評を得ることができた。そんな土屋は好感度の高さゆえに多くのCMに起用されている。ダイハツでは大勢のエキストラを率いて踊りだしエイブルではなぞのキレキレダンスを突如始める。”健康体””運動神経抜群””実直な人柄”という3つのキーワードによって成り立つ彼女は過剰なほどにその役割に没入する。

役割の没入は時に人を予期せぬ方向へ動かす。去年末に放送された紅白歌合戦内で欅坂46のメンバーが倒れるという事故が起こった。倒れはしなかったもののセンターの平手も腕は小刻みに震え苦悶の表情を浮かべていた。彼女たちは「笑わないアイドル」として秋元の手から放たれた。「サイレントマジョリティ」「不協和音」といった大人への反抗心丸出しのティーンの葛藤を映し出した歌詞はそんな汚い大人たちによって書かれ生み出され、そして汚い大人たちにウケた。実に複雑な状況である。自虐にもほどがある。

特にセンターの平手には過剰な期待がかかった。「僕は嫌だ!」と絶叫し全身を使って踊り狂う姿はまさに10代の写し鑑だった。我々大人は10代の頃の葛藤が、もっとドロドロとしてジメっと湿った生臭いものだったことを自覚している。平手のように「僕は嫌だ」ということもできず体中で苦悩を表現することもできない。ただ内に溜め込み家に帰ってオナニーしておわりだった。あんなにきれいな葛藤はない。だから目の前で繰り広げられている葛藤はある意味で我々の理想であり憧れなのである。だからこそ我々は平手にそれを求めた。平手はそれを「そうであらねば」と受け止めた。事実欅坂のウリはそこだったことは疑いようのない事実だった。平手は過激さを増した。ネットの意見も受け止めた。弱冠15歳の女の子にはその役割は「欅坂の平手」では収まりきらなかった。日常生活上の「普段の平手」にまでその期待は及んでしまった。私生活も欅坂の時も同じように役割に没入してしまった彼女はもう収拾がつかなくなったのだろう。つくづく仕事の切り替えというものは大事だと気づかされる。

数年前だったか菅田将暉がダウンタウンと居酒屋トークする企画があった時、彼の鬱っぷりに驚いたことがある。役者・菅田将暉はあんなに爽快で屈託のない笑顔を見せるのに普段の彼は声も小さくネガティブで小心者だった。あのとき阿部サダオと全く同じ印象を抱いたのを覚えている。役者とは得てしてああいうものなんだろうか。あの時は彼のメンタルを気遣ったものだが、今よくよく考えてみるとあれがオンオフなんだと思う。あれが彼を正常にしている秘訣なのかもしれない。もし役者の延長線上で普段も没入していたら平手のようになりかねない。

そう思うとスマップの偉大さがわかると同時に香取慎吾はもうすでに壊れているのだなと悟る。プライベートと仕事の使い分けは大変かもしれないがソコをうまくやりきることもタレントとして息長く活躍するポイントなんだろう。あるいは明石家さんまのような底なしのモンスターになるか。