ライブハウス中毒

わたしには到底かなわない夢であるが、世の中にはライブに行きまくる輩…もとい、熱心なファンがいる。とくにアイドル系のおっかけをしている人や、あるいはまったく反対の、ライブハウスでしか味わえない興奮を中毒のように浴びに行く人たちにありがちな傾向である。あまり音楽聴かない人や、音楽はたくさん聴くけどそんなライブでしか味わえない感動になにがなんでも憑りつかれていない人はあまり行かない。
私は仕事柄、夜が遅めなのでそもそも行くことができないのだが、たとえ行くことができたとしてもそんなに回数は重ねないだろう。それは「ライブに行かなきゃ意味がない!」みたいな衝動がそんなにないのもひとつだ。もはやスポーツ化して、暴れるためにライブに通う人もいるだろう。それは決して否定しないが、私のスタンスではない。音源でも十分満足できる。むしろ音源で満足させてくれるミュージシャンしか好きにならない。つまり「微妙だけどor知らないけれど、とりあえずライブ行ってみるか!」みたいな気楽なスタンスではないということだ。音源を聴き込んで、「これなら見たい!」と思った人にしかお金を払いたくない。3000円なんてapple music3か月分に相当するので、それくらいの覚悟をもってライブにいっている。どっちがいいとかではなく、好みの問題だ。

 

ライブに”参戦”問題

ところでライブに行きまくる人たちは割と「ライブに参戦する」といいがちだ。
いや、私もフェスとかではつい言ってしまうこともある。
この「参戦」という言葉はしばしば物議を醸す、というか一部の人から煙たがられる言葉だ。戦争でもないのになぜ「参戦」というのか、みたいなお叱りを受ける。別にそんな使いもしない自分だけれど、なぜそんなに怒られなければならないのかいみがわからない。

「参戦」といいたがるのにはいくつか理由があると思う

  1. 炎天下の中ライブを見ることが予想される(フェスなど)ので
  2. 久しぶりに行くので気持ちが高ぶって「参加」程度では表現できないので
  3. そもそもライブではダイブやモッシュが常套化しているのでほぼ戦(いくさ)になっているので

などが考えられる。滅多に使わないけど強いて言うなら私が使ってしまうときは大体②だ。要するに「参加」なんて軽い言葉では表しきれない感情だったり意気込みがあるから「参戦」という言葉をあえて使っているのだ。

 

しかしやはり気にくわない人がいるらしい。

 

 


Original Loveの田島貴男氏はこうツイートした。別に私もスルーすればいい話なのに、つい気になってしまった。せっかくファンが「参戦」という言葉まで使って楽しみにしてくれてるのにわざわざくさすこと言う必要があるかなあ、と。

たしかにOriginal Loveのライブが戦になるとは思えないしダイブやモッシュも起きないのでその表現がふさわしいとは私も思わない。いくらなんでも適当に言いすぎでしょ、さすがに参戦は似つかわしくないでしょ、というのも理解できる。

 

ただ別によくねえ??

 

ってつい思ってしまうのだ。ライブが戦争じゃないことも試合じゃないことも分かっているに決まっている。なら別にいいじゃないどう表現しようと。それをいちいち引用RTまでして訂正する事かね。「何度も言っていますが」と言っているので、かねてからツイートしていたのかもしれないが、なんだか堅苦しいなあとも思ったり。好みなんですけどね。

 

むしろあなたたちの方では

ていうか、この参戦問題、よくよく考えたらミュージシャン自身がライブ中に

 

お前らそんなもんかあ!!

 

とか言ってくるし、挙句の果てには

 

かかってこいやああああ!!!!!

 

とか言いだしたら、もはやどっちが戦争吹っ掛けているのか分からない。参戦させているのはあなたたち演者なのでは、なんて考えたり。

 

いずれにせよどちらでもいいと個人的には思うし、そんなことで揉めるなんて全くもってつまらないと思う。参戦って言おうが、素晴らしい音楽に「優勝」って言おうが好き好きなので使いたければ使えばいい。その代り多用しすぎて自分の言葉が陳腐になっても私は知らないよ。なんでもかんでも「優勝」とか言ってると本当に好きな音楽を同形容したらいいか分からなくなるから。そこだけは気を付けたい。