よく「新しい音楽はどうやって収集してますか」といった質問をオンラインでもオフラインでも尋ねられる。新譜情報を集めるという作業はどうしても骨が折れるし、お手軽に自分の好みだけ知ることができたら楽なのになと思う気持ちは自分にも当然ある。それを具現化したのが各配信サービスのプレイリストだったりおすすめ機能なんだけど。

わたしはそういった恣意的な情報ではなく、この世に溢れる数多の有象無象から選び抜きたい!なんて大層なことを考えている。多量の液体を濾し器で濾過してわずかに残る価値あるものを発見するかのような作業はとにかく疲れるし徒労に終わることも多いのでオススメはしないが、その分広い視野を持てたりシーン全体が俯瞰できたり、自分の知らないジャンルに出会うことができる。なによりなんとなく避けていたアーティストやジャンルを好きになることができる。

実際どうやって新譜情報を集めてるかというと、7割はTwitterのフォローしている人からだ。なんだもう恣意的じゃないかという真っ当な意見は無視するとして(笑)、特に理由もなくフォローした人や音楽ライターや批評家といった専門家の人たちをフォローすることで、彼らがシェアしてくれる楽曲をひたすら聴いていく。目についたものには全ていいねして、後日固めて聴く。それで大体補える。アイドルが若干弱めのタイムラインだけれど、洋楽には特に強く、面白い音楽を多く発見できる。他にも音楽メディアのアカウントや新譜情報を流してくれるアカウントはとりあえずフォロー(もしくはリスト化)してまめにチェックしている。

次に活用してるのはapple musicのニューリリースの項目。有名作品だけでなく、インディーズも多く取り上げているので、新進気鋭のシンガーソングライターや、逆にあまり聞かれていない超大御所シンガーなど、バラエティ豊かな選出が目立つ。新曲も同様にここでチェックしている。

あとは最終奥義として、CDjournalを活用し、新譜情報を片っ端から見ていくというのもある。もはや業者にも似た作業だが、確かに取りこぼしが少なく非常に有効的だ。

 

 

で、次のフェーズとして、自分の中での優先順位がある。ずーっとこんなことしてるとさすがに全部フェアに見ることはなくなる。期待値の変化が起きる。あの人がシェアする楽曲は自分の好みである可能性が高い、といった様なことだ。信頼度、ともいうべきか、それはとても大切なことだ。
あるいは、あの人の情報は好きなものは少ないけれどいつも新鮮な音楽を教えてくれるから貴重だ、みたいなこともある。
多分今自分がシェアしてくれる人の中で私が認知しているフォローしてる人って100人くらいだと思うんだけど(数えたことないけど)、いろんな人がいる。正直音楽的な興味が全く異なる人もいるし、同じアーティストが大好きな人もいる。高度すぎてついていけない人もいる。でもそれは一概に信頼度に影響するわけではない。むしろ音楽趣味がちがうけど高い信頼性を置いている人もいる。

そして同時に、自分には良さが分からなくても、フォローしてる人達が一様に高い評価をしている作品はやはり一目を置いている。例えばblack midiというバンドがいる。去年大きく話題になったのだが、私にはよくわからなかった。でも実際去年の来日公演はソールドアウトで、各メディアでも取り上げられるなど注目バンドだったのは事実だし高い評価もされていた。
他にもArcaなんかも高い評価だったし、わかりやすくいえばBillie Eilishなんかは2018年の上半期でもう彼らの中で話題持ちきりだった。SuchmosやKing Gnuも本当に早かった。そういった実績の積み重ね(言い方は傲慢だが)が私の中での信頼度につながっている。

 

 

情報の信頼性は大切である。この人のお勧めするものなら聴いてみようかな、というのは大切な衝動だ。
多くのメディアはその”信頼”を勝ち取るために質の高いプレイリストを提供する。個人も同様だ。わたしはそういうハイセンスなことはできないので、数を提供することにしている。毎月のアルバム、楽曲記事はおそらくどこのブログよりも情報量があるだろう。もはやただのリストと化しているほどに。

結論から言えば、その人の信頼性によって情報の取捨選択はされている。どんな人でも。たとえ1万人が一様に感動した!と連呼する映画があったとしても、その内訳が単なる信者の集まりであったり、あまり多くの作品に触れていないような人たちの集まりであれば、結果的に信頼にはつながらないので、こちらの期待値も上昇しない。あるいは文化やエンタメに疎く、むしろ普段蔑ろにしてきたようなイメージのある人が「4回泣いた」とか言い出したところで全く響かない。

人は人を見て判断する。それは何も間違ったことではない。なるべくたくさん触れたいのも事実だが、そこに確かな実績と信頼がないものになにも心は動かない、というのも事実。どれだけ泣かれても感動されても、感想は自由だけど評価として価値がない。そんなことを考える某映画でお祭り状態の1月。