お笑い芸人の映画、ってだけでもうおなかいっぱいというか、ろくでもないものを散々見せつけられていたので、勘弁してくれよなあと思いながらとりあえず観てみようと思って鑑賞した。

しかしその不安は杞憂だった。というよりは、私が辟易していたお笑い映画って大抵は吉本興業が絡んでいることに気付く。そうか、吉本じゃないからこんなに素敵な映画なのか、と合点がいく。考えてみれば当たり前だ。ビートたけしの物語を劇団ひとりが監督しているのだ。吉本などいっさい絡んでこない。

ビートたけしが自身の師匠である芸人・深見千三郎と過ごした青春をつづった自伝「浅草キッド」を映画化。劇団ひとりが監督・脚本を手がけ、多くの人気芸人を育てながらも自身はテレビにほとんど出演しなかったことから「幻の浅草芸人」と呼ばれた師匠・深見や仲間たちとの日々と、芸人・ビートたけしが誕生するまでを描き出す。昭和40年代の浅草。大学を中退し、「お笑いの殿堂」と呼ばれるフランス座のエレベーターボーイをしていたタケシは、深見のコントにほれ込んで弟子入りを志願。ぶっきらぼうだが独自の世界を持つ深見から、“芸ごと”の真髄を叩き込まれていく。歌手を目指す踊り子・千春や深見の妻・麻里に見守られながら成長していくタケシだったが、テレビの普及とともにフランス座の客足は減り、経営は悪化していく。やがてタケシはフランス座の元先輩キヨシに誘われ、漫才コンビ「ツービート」を結成。深見の猛反対を押し切ってフランス座を飛び出し、人気を獲得していく。深見を大泉洋、タケシを柳楽優弥が演じる。Netflixで2021年12月9日から配信。

映画.comより

劇団ひとりの実力は「陰日向に咲く」の時点で十分に知らしめられていたが、その才能は今作でもいかんなく発揮。まず大泉洋と柳楽優弥に頼んだことがナイスだし、ビートきよしにナイツの土屋を起用したことからも、漫才のフォーマットの完成度の強いこだわりを感じることができる。

基本的にビートたけしというよりも師匠の深見の物語に近いものがあるが、それは「浅草キッド」を書き下ろしたビートたけしがいかに彼の存在が大きく、核とならざるを得なかったかが伺える。タップも見事で、掛け合いもすばらしい。若干くどいシーンもなくはないが、それでも期待していた以上だし、事実感動して涙が出そうになるくらいには物語に没入できた。

原作がある分、どこかをカットせざるをえず、どうしても千春を演じた門脇麦の存在が薄く、ロマンスへの発展も大してないので(実際原作でどう描かれているのかはわからないが)必要性に欠ける部分もあるが、総合的に非常に満足できる作品だった。

師匠とはあまりに大きく高い壁である。それはどのジャンルにおいても言えることだろう。盗んで学べの文化が廃れ、すべて技術も伝統も言語化が必要となる時代に、それでも熱量だけで教わる前に学んでやろうという気概がある人は昔と比べて多くなったのか少なくなったのか。たけしが若い頃は戦争からたちなおり、ありとあらゆる文化が成熟を見せ、かつて栄華を誇ったフランス座が「時代遅れ」と噂されるほどにエンターテインメントが広がりを見せている時代だった。もちろんそこに柔軟に対応していくことも、昔ながらの伝統を守ることも全くもって間違っていないが、深見はとにかく自身を曲げることを嫌ったという。テレビにでないのもその一つだったらしい。ただ、頑固とは少し違うのは、ビートたけしがテレビのコンテストで賞金をもらい、それを深見に渡しにいったとき、いったんは「ふざけるな」とキレかかったものの、すぐにヘヘっと笑いお酒を呑みにいくのだ。そういったところの懐の深さ、自分本位の頑固さではなく相手の気持ちを尊重した姿勢こそ、たけしが師匠として最後まで慕い続けたのかもしれない。

こうやって再びNetflixという巨大資本の元、深見という人間を映像で再現し、多くの人に認知されることは、なによりたけしが望んだことではないだろうか。自身がビートたけしの番組からデビューし、ずっとあこがれ続けてきた劇団ひとりだからこそ描けた、至極の一本ではないだろうか。