去年おっさんずラブが話題になった時、一体それが何を指しているのかすら理解していなかった。
仮にもトレンドを追いかけてるとか自称しておきながら流行語になったドラマすら把握していないのはどうかと思うが、あまり知りたい欲もなかったのでスルーしていた。

しかし、何の縁か
おっさんずラブをみることになった。今年、映画化されることになり、それを観にいこうと誘われてしまった。誘われたのだから断ってもいいのだが、「人に薦められたものは可能な限り触れてみる」という原則を定めているので、映画を観に行くことにした。そして、どうせみるならドラマからおさらいしないと、と思いNetflixで全7話をまとめて観た。

そもそもこのドラマは春田という主人公がひょんなことから上司と部下から告白されるというドタバタコメディなのだが、そのうろたえっぷりとか、あとは田中圭と林遣都のふたりのラブラブっぷりがふんだんにみられるのがウリの映画。

早速映画版の感想に移る。

田中圭、吉田鋼太郎、林遣都の共演で3人の男たちの恋愛を描いたテレビドラマで、2018年の新語・流行語大賞トップテンに選出されるなど社会現象的な人気を獲得したラブコメディ「おっさんずラブ」の劇場版。ドラマでの三角関係をグレードアップさせた、おっさんたちによる「五角関係」の恋愛バトルが描かれる。春田創一が上海、香港転勤から1年ぶりに日本へ帰ってきた。黒澤武蔵をはじめとする天空不動産第二営業所のメンバーたちが春田を歓迎する中、天空不動産本社で新たに発足したプロジェクトチーム「Genius7」のメンバーが春田たちの前に現れた。リーダーの狸穴迅は、春田たちに即刻営業所から立ち去るよう言い放つ。狸穴の側に本社に異動した牧凌太の姿を目にして激しく動揺する春田を新入社員のジャスティスこと山田正義が元気づける。そして、あの時に終わったはずだった黒澤の恋心にもふたたび火がついてしまい……。田中、吉田、林らドラマ版のキャストに加え、劇場版で新たに登場する狸穴役を沢村一樹、ジャスティス役を志尊淳がそれぞれ演じる。

こういう映画の大前提として、誰が見に来るかというペルソナ設定と、この映画のコンセプトを理解することから始めなければならない。多くは林遣都と田中圭のキスシーンにときめいちゃったりする女の子や、家族で笑って楽しめる最大公約数をめざした映画だという事。この二つを理解しておけば「何だこの映画は!脚本がむちゃくちゃじゃないか!」みたいな筋違いな批判はしなくて済む。

テレビドラマが映画化すると、なるべくたくさん予算が付く。そしてなるべく大げさにする必要がある。ドラマではなく映画化する正当性をあてがわなければならない。たくさんのスポンサーとテレビ局の予算は、その映画に見合うだけのスケールにしろという命令でもある。だからすぐ海外ロケをする。いらないけれど海の上でボートを走らせたりする。アクションシーンを入れたがる。2時間の緩急のために、アクロバティックなシーンは不可欠なのだ。たとえ世界観がぶち壊れようとも。
そしてクライマックスに爆発は欠かせない。今回ももちろんある。予告に使うために必要なのだ。こうやって企業はお金を使う。使わないと予算が次についてこない。使わないといけないお金がある。まさに「おっさんずラブ」はそういった映画である。

なので野暮な部分は飛ばそう。見どころを挙げる。

サウナでの5人の乱闘っぷりを見逃すな

沢村一樹、田中圭、林遣都、吉田鋼太郎、志尊淳の5人がサウナで一堂に会し大げんかをするのがなにせおもしろい。さすがに笑う。映画館も爆笑に包まれる。コメディとしては抜群のカメラワークとセリフ回し。なにしろ吉田鋼太郎が上手。本当に上手な人だなと感心する。

吉田鋼太郎演じる部長が記憶喪失してしまうんだけど、その設定は妙案だと思う。もう一度ドラマのようにピュアな吉田鋼太郎が映画で観られる方法はこれしかないからだ。そう思うと実におもしろい設定だ。

監禁された社長令嬢

ここはネタバレに触れるところなのでぼやかすが、まあいろいろあって社長令嬢が監禁される。その令嬢と春田のやり取りが本当に面白い。演じたとある女芸人もキャラ通りで怪演を披露している。この映画一番笑ったのはここ。いやーおもしろい。あそこだけもう一度見たい。

最後にこの映画を観た気付き

普段、割と映画好きが見そうな映画ばかり見てしまうオタク気質な自分だけど、こういったマス受けの映画をみることはとても良い経験になった。いかに自分が普段映画を好きな人たちに囲まれて映画を見ていたか。
これが世間一般なんだな、と。映画はじまる前から騒々しく、本編が始まるほんの数秒前まであちこちで話し声が聞こえるのはびっくりした。そして始まってもコソコソ声は聞こえるし、笑うときは思いっきり笑う。ここはちょっと押し殺して次の展開を待とう、みたいな三弾もない。みんな自由に映画を楽しんでいる。ああ、いいな、これ、と心底思う。

映画ファンが発信するツイートはよく回ってくる。「映画中しゃべるやつはクソ!」「笑う奴わざとらしいからやめろ!」「エンドロールまでが映画だから携帯観るな!」などさまざまあるが、これがいかに些末な事であるかがよくわかる経験だった。
あ、世間はそんなことどうでもいいんだ。年に一回行くか行かないかの映画、エンドロールが映画の一部とかそうじゃないとかそんなことは本当にどうでもよくて、観たいのは田中圭と林遣都のキスシーンでありそこがあれば大満足。発狂して終わりなのだ。

もちろん、エンドロールが映画の一部であることに異論はないし、やっぱりあの暗闇の映画観で携帯を広げられるのはマナー的にはよくないかもしれない。
でもそれを「映画を愛する人たち」の怒りの鉄槌で焼き払う事なんてできないのだ。映画館は映画を愛する人たちだけの場所じゃない。様々な人が集まる公共性の高い場所なのだ。そりゃマナーは守ってくれることに越したことはないが、エンドロールが映画の一部だとか言って真剣に観る人なんて全体の何割かを考えれば、その啓蒙活動が有効かどうかくらいすぐにわかるだろう。

結論、何が言いたいわけでもないし、どちらを諫めたいわけでもない。ただ、世間一般がどんな姿勢で映画を見ているのか知る事って大事だな、と改めて思ったのだ。しゃべらなければエンドロールのスマホくらい別にどうだっていいのだ、くらいのおおらかな気持ちを持たないと、オタクとして生きていくのもつらいよね。すべての正論が通る世の中じゃないんだし。


ちなみに、沢村一樹の役名、なんであんな変なのだろうと不思議に思って、終わってすぐに調べたらそういう意味なのね。いや下の名前が映るたびに「あれって..ムジナ?」って思ってたので。

主題歌は変わらずスキマスイッチの「Revival」でした。良曲。