賢いけれどコミュニケーションが苦手。
これは本当によくありがちな設定である。むしろ、そのせいで妙な偏見すら生まれていたりする。東大出は賢いけれど人と会話ができない。東大出はむしろ使えない。なんて言説もあるくらいだから。

もちろん、それには理由があって、賢すぎるとどうも凡人たちとは会話のレベルが合わないというのがある。それが「コミュニケーション不可」のレッテルにつながっているのだと思う。コミュニケーションが不可なのは私たちなのか彼らなのかの選別は、マジョリティに委ねられる。
彼女は飛び級でハーバード大を卒業したにも関わらず、随分と周りにひどい言われようをされる。セラピストからは勝手にリストを作成し、これをやってみなさい、と突きつけられる。意外と彼女は渋々ながらに始めて、そして結構楽しんでいたりするので、彼女もやはり普通の女の子なのである。

ハーバード大卒の天才ながらコミュニケーション能力がゼロというヒロインの心の成長を描く。ニューヨークのマンハッタンで暮らすキャリーはIQ185でハーバード大学を飛び級で卒業した超エリート。しかし、コミュニケーション能力に欠け、屈折した性格の彼女は、友だちも仕事も持たずに暮らし、唯一の話し相手はセラピストのペトロフだけだった。ペトロフはキャリーにリストを渡し、そこの書かれた6つの仮題を1カ月でクリアするように指示を出す。半信半疑ながらも、それらを実行していくキャリーは課題を通して、自分自身の変化に気づいていく。キャリー役を「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」「ミニー・ゲッツの秘密」のベル・パウリ―が演じる。監督はプロデューサーとして「さよなら、僕らの夏」などを手がけ、本作が長編初監督作品となるスーザン・ジョンソン。

自分にもアメリカ人の凄く賢い知人がいるのだが、主人公とすごくよく似た話し方をするなあなんて思いながら観ていた。という事はいわゆる”賢い”人たちの話し方を習得して技と話しているのだろうな、と感じた。フェイスブックのマークザッカーバーグを主人公にした映画でも同じことを感じたが、やはりインテリにはインテリらしい話し方みたいなものがアメリカにもあるのだろう。

なかなか今回はインテリの人の会話なので、知らない言葉や単語がちらほら出ていたので、その確認をしておく。是非視聴した人はここでおさらいしてください。

キャサリンヘプバーン ・・・アメリカ合衆国の女優。 2017年現在、演技部門においてオスカーを4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数も、俳優としてはオスカー史上第2位の12回に上る(最多ノミネート記録はメリル・ストリープの20回/2017年1月31日時点)。ヘプバーンは、当時としては珍しいパンツ・スタイルを好んだ。黄金時代の映画スターであるにもかかわらず、着飾ることをせず、実用性のあるパンツ・スタイルで常に過ごしていたため、それがやがてトレンドとなった。何より男性に寄りかからない、自立した女性のパイオニアとして未だに尊敬を集めている。また己のプライヴァシーを重視し、独自のライフ・スタイルを貫き、現代女性のライフ・スタイルのベースともなったとも評される。(wikipediaより)

ディジュリドゥ・・・ ディジュリドゥ(Didgeridoo, Didjeridu)とは、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの金管楽器である。木製ではあるが発音原理から木管楽器ではなく金管楽器に分類される。 (wikipediaより)

ケサディーヤ・・・メキシコ料理のファストフードである。主な材料はチーズで、トウモロコシ、小麦、または穀粉のトルティーヤまたはマサ(トウモロコシ粉の生地)に包む。

フラニーとゾーイー・・・、J・D・サリンジャーが1955年1月29日に『ザ・ニューヨーカー』に発表した『フラニー』(Franny)と、1957年5月4日に同誌に発表した『ゾーイー』(Zooey)の連作二編の小説を1つにまとめたもので、『ライ麦畑でつかまえて』に並ぶ、代表作のひとつ。1961年9月14日刊行。 グラース家の末っ子である女子大生のフラニーと、そのすぐ上の兄で俳優のゾーイーをめぐる、1955年11月のある土曜日の午前中から、翌週の月曜日にかけての物語である。 (wikipediaより)