「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が、「ハムナプトラ」シリーズのブレンダン・フレイザーを主演に迎えた人間ドラマ。劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇を原作に、死期の迫った肥満症の男が娘との絆を取り戻そうとする姿を描く。40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。272キロの巨体の男チャーリーを演じたフレイザーが第95回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。メイクアップ&ヘアスタイリング賞とあわせて2部門を受賞した。共演はドラマ「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンク、「ザ・メニュー」のホン・チャウ。

映画.comより

ブレンダンフレイザーが見事な変貌を遂げ、200キロを超える巨体男を演じているが、その鬼気迫る姿に圧倒された。何かを思い詰めたときの表情、やたらめったら食料を詰め込む姿。親友リズ(ホンチャウ)に怒られてしきりに謝る表情。娘に対峙するときの声色。主人公の自宅の中で完結する映画なので、人間がすべてを物語らなければならない。終盤の元妻との二人きりのシーンでは所狭しと元妻が家じゅうを歩き回る。もともと舞台をメインとした作品なので、そういった緻密性はより高い。

キリスト教と「白鯨」をクロスオーバーさせ、主人公はなにから救われたくて、何に意味を見出しているのか。アランという恋人を亡くして引きこもりになったことと、家族を捨てたこと、どちらも嘘偽りない事実で、主人公はアランも家族も心から大切に思っていること、そのふたつが矛盾しながら両立しているから、娘に責め立てられる。

私はこの映画はどのキャラクターに肩入れしてみればいいのか迷った。それほどにどのキャラクター(5人しか登場しないのだが)にも意味が重く、捉え方で見方が変わるからだ。親友との深い絆を見るべきか、最愛の人を亡くして巨体化した同情すべき主人公として見るべきか、はたまた父親と娘の再交流の物語ととるべきか。自分は最終的には「受け入れる」ということをテーマにしていたんじゃないかな、という結論に達した。確かに「白鯨」のレポートを度々(そして最重要ポイントとして)登場させてきて、「作中の彼らは白鯨を憎み倒すことが使命になっている」と言及してきた。それは明らかに主人公や娘に対するメタファーなんだろうと感じ取ることはできるが、主人公にも娘にも、「受け入れる」ことを乗り越える様を描いているんじゃないかと感じた。収支意地悪な態度をとり続ける娘も、受け入れる覚悟を決める。もちろん、リズも、冒頭から登場する宣教師も、みんなあの家にいるものはなにかを失って何かを受け止めきれずにいる。決して主人公がそれを埋めたり気づきを与えたりするわけではないが、次第に交差する中で変化が起きていく。その様はいかにも舞台劇的だし、ハイコンテクストだ。

派手な映画ではないが、鑑賞後にはきっと満足感であふれる状態になっているに違いない。