「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督が、映画「花束みたいな恋をした」やテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで人気の脚本家・坂元裕二によるオリジナル脚本で描くヒューマンドラマ。音楽は、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、2023年3月に他界した作曲家・坂本龍一が手がけた。大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。「怪物」とは何か、登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに訪れる結末を、是枝裕和×坂元裕二×坂本龍一という日本を代表するクリエイターのコラボレーションで描く。中心となる2人の少年を演じる黒川想矢と柊木陽太のほか、安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子ら豪華実力派キャストがそろった。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され脚本賞を受賞。また、LGBTやクィアを扱った映画を対象に贈られるクィア・パルム賞も受賞している。

映画.comより

今年絶対に見た方がいい作品のひとつ。是枝氏と坂元氏のタッグは間違いなく面白いだろうという前評判とその期待を裏切らないクオリティ。みんながこれだけ考察してああだこうだと言いたくなる作品は国内映画では久々だったなと感じる。解釈の余地があり多面性があるから語りたくなる。そしてある人は疑問に思い、ある人は感動する。それでいいと思う。一つの解釈、ひとつの面しかないものは語りたくないからだ。

クィアの描き方に疑問を呈する人たちの理屈はよくわかるし、そういわれると確かにそうだな(自分では気づくことのできない視点だ)とは思う。その一方で、評価できる点も多々ある。これだけ性自認に対して窮屈な国で、そしてそれを自由に描くはずの映画においても大衆作品で一切触れられない事態にも飽き飽きしていた自分にとっては是枝監督と坂元裕二氏が描いてくれたことには大きな評価をもってたたえられてほしいと思う(そんなこと思わなくても十分評価されているが)。

結局、怪物だ~れだ、というキーフレーズの答えはそれぞれが考えるものなのだが、個人的には「誰もが怪物だ」とか「怪物的な一面はだれにでもある」としちゃうことは、クィアの子供たちの性自認も「人によっちゃ怪物に映る」というミスリードへとつながってしまう気もして、それの結論は避けた。多分その怪物はみている我々が作り出したもので(つまりメタ的な視点で)、作中のキャラクターたちの話ではないのかもしれない。

なので、誰も怪物じゃない、みんな人間で、知らないことは人を怪物と決めつけてしまう、という無難な着地点に収めておきたいなと思った。

そして一番印象的だったのは、どっきり番組を見ていた時に「どっきりだとわかるのはテレビで見ているからだ」という趣旨の発言が麦野湊からあったが、それこそが痛烈な観客への皮肉、メッセージになっているのかなとも感じた。

校長の決め台詞もよかったし、放火の犯人も最後まで濁していたし、言葉がすべて物足りなくて誤解とともにねじ曲がっていくのは怪物を生む端的な要因にもなっていた。

自分で解釈するのがいい映画だな、ひさびさにいい映画を見たな、と満足だった。