マツコ・デラックスが先日記者会見で、共演する有働由美子元NHKアナウンサーについてこう語っていた。
「有働さん? 有働さんなんて出してませんよ。あれはそっくりさんです。テレ東に本物の有働さんなんて出しません。有働さんのそっくりさんって意外と簡単に見つかるのよ。あれね、がっつりアイライン引いてつけまつ毛ゴッツイのつけるとだいたい有働さんになるから。すごいの。それでだいたい世の中の人、有働さんって勘違いするから。ありがたい。あれはそっくりさん」
引用元: マツコ・デラックス民放初登場の有働由美子アナと“共演”も…「あれはそっくりさんです」
中々言い得ているが、これを発言したのが輪郭がはっきりしすぎているマツコ・デラックスという点も興味深い。有働アナは度々その言動でネットの話題となってきた。「脇汗がひどい」であったりとか、「朝ドラの感想が長い」とか、とにかく自由奔放で自分を貫くNHKには珍しいキャラの立ったアナウンサーとして人気を博していた。しかし意外と私たちは有働アナをちゃんとみていない。毎日イノッチの隣で楽しそうに横槍を入れる彼女を気にも留めない。顔よりも脇汗に目が行くから、マツコのように「がっつりアイライン引いてまつ毛ゴッツイのつける」人としてしか機能していない。よってだいたいそういう人は有働アナに見える。見える、というか見えても支障がないし判別は面倒だからそうしておく。結局はアナウンサーなので個別の認識にそこまでの労力は割かない。
少し前にあるツイートが話題になった。元ツイートを見つけることはできなかったが、その内容はタワーレコードでWANIMAを紹介したポップの写真がWANIMAではなく、よく似た別バンドだったことを指摘したツイートだった。事実その写真はWANIMAによく似たもので、顔をはっきりと把握していない人ならばおそらくWANIMAと答えて当然だろう。
このツイートからわかるのは、WANIMAのファンか音楽好き以外は彼らの顔を認識していないということ。テレビや、たまに画像で、あとは紅白歌合戦でちらっと、ぐらいの人たちにとってはもじゃもじゃの髪の毛にやたら笑顔のお兄ちゃんを筆頭とする3人組、でしかない。そういった輪郭でしか人を捉えない時、記憶は曖昧になり分かりやすいシンボルに頼ってしまう。それが別に悪いとかいけないことだとか、失礼だとか言うつもりはない。ただ思っている以上に人はその曖昧な記憶を頼りにしている。
FUJI(Dr, Cho) 声をかけていただける機会が多くなってきたんですけど、まだ僕の名前を知らない方もたくさんいらっしゃって……「ギターの方ですよね?」とか言われるので。まだまだがんばらないとなと思います。
引用元: 音楽ナタリー
またそれは決して見た目だけの話ではない。キャラクターから想像されるメッセージも改変されることがある。WANIMA=前向き、明るい、というイメージから大体の人が”とりあえず前向きで応援ソングが多い”というイメージを抱く。だけれども、意外と彼らの意図は違ったりする。頑張れを連呼していそうな雰囲気だが、本人たちはその言葉に案外敏感である。安易なポジティブメッセージは発しない。しかしそれは伝わらない。”なんとなく暑苦しくてなんとなく前向きそう”で片づける。
そこ、最初は「悲しい歌はいらない」やったんですよ。でもよく考えたら、いらないのは優しい歌やなって。「大丈夫だよ」って歌われても大丈夫じゃないし、「がんばれ」って言われてもがんばっとるから。だから優しい歌はいらない気がしたんです。それよりも、一緒になる……寄り添うことのほうが必要だなと。応援はしてるんですけど、応援しなくていいと思ってるんですよ。うまいこと言えないんですけど。「がんばれ」よりも「一緒にいこう」のほうが大事だと思います。
──WANIMAの曲には、「前に進もう」というよりは「踏ん張ろう」という歌詞が多いですよね。
KENTA もしかしたら1歩踏み出せる人にはWANIMAの歌は必要ないのかもしれないですね。俺は1歩踏み出すのはそんなに簡単なことじゃないと思ってるので、そういう人に音楽を届けたい。でもそれだけやとアレなので、1歩踏み出せるよっていう人はWANIMAのエッチな歌を聴いてもらえれば。引用元: 音楽ナタリー
今回WANIMAについて書くにあたり、音源化されている曲はとりあえず聴いたしインタビュー記事も片っ端から読んだ。しかし一向に彼らの姿が掴めない。いや、すごく単純に考えればすぐに彼らの性質は見つけられる。アルバム「Are You Coming?」のタイトルセンスから分かるように”エロ”が多く盛り込まれている事。熊本出身で熊本弁を使いテレビ出演の際はくまモンをアンプの上に乗せる事。「ワンチャン!」を口癖にし、写真では常に全力の笑顔。ネットではカレーを目の前にして笑顔の彼らの画像を「世界で一番カレーに喜ぶ男たち」とネタにされている事。PIZZA OF DEATH出身であるという事。そして派手な服と半ズボンとハットを制服としている事。
あまりにわかりやすいキーワードが散りばめられているから、うっかり彼らを分かった気になってしまう。何かを掴んだ気になってそのまま放置する。結局なにも分かっていないのに。WANIMAはそうした”なんとなく分かったような気にさせる”素質を持った人たちである。気づけばいつのまにかタワレコの店員と大して変わらない。
音楽ブログ、おとにっちではWANIMAの売れた理由を①笑顔②刺青がない③日本語、の3つ挙げている(「WANIMAが売れた理由はやっている音楽がJ-POPだから」より)。
それがJ-POP化につながり、より多くの人に受け入れられた、というもの。大変よくまとまったほぼ正解に近い解説だとは思うが、やはりここでも記号的なものに終始している。この3つを備えたメロコアバンドは誰でしょうというクイズを出せばおそらく多くの人がWANIMAと答えるだろう。それだけ彼らがある意味で革新的で斬新な”唯一無二のスタイル”なんだと言われればそうかもしれない。いや、そうだと思う。だから別に批判的な意味はない。ただ私たちがあまりに安易に掴みやすいものだからそこにあぐらかいて彼らの詮索を諦めているような気がするのだ。
一方で同じく音楽ブログ、ロッキンライフでの記事「メロコアというジャンルでWANIMAが紅白に出れた理由とは?」を引用させてもらうと
なぜ彼らはそういう人(普段はメロコアなんて一切聴かない人)たちを囲うことができたのだろうか?
実はこれに対する分析って、あまり意味がないように感じる。
というか、そう簡単に分析できる話ではないと思うのだ。
だって、WANIMAだけしかメロコアバンドを聴かない人に、なんで他のメロコアバンドは聴かないのにWANIMAは聴くの?と訊ねてみたとして、返ってくる答えは「んん〜わからん」みたいなことになると思うのだ。
と慎重な姿勢を保つ。すごくマツコデラックス的だ。あれはそっくりさんよ!と有働由美子を簡単に受け付けないその姿勢と近しいものを感じる。あれが若者に受けてるのは笑顔でノリやすくて刺青がないからだね!と安易にそのキャラクター性を引き受けない。だからこそ見えてくるものがある。WANIMAという箱で考えるのではなく例えば「THANX」で考察してみる。ストーリーに人は魅了される。WANIMAのストーリーが「THANX」には詰まっている。だからウケた。そこに共感した。と言ったほうがまだ距離を保ちながら彼らのストーリーに触れられて考えることができる。箱ではなく点で考えてみる。そこから線に繋げて箱を理解したほうがいい。その箱が何色かとか傷がどこにどうあるのかとかで判断はしない。
合コンとかで会った人と二回目に会うとき、印象が全然違いすぎてびっくりする、というのはよくある話だとは思うが、一度大晦日でちらっと見たパーマで派手な服の笑顔のお兄ちゃんは、タワレコで似たような人たちの写真が貼られていたけど多分アレあの時のお兄ちゃんやで、とひとり納得する。印象は変わらない。むしろ印象から近づいてくる。それは興味のない人たちだから。興味が無いときと薄暗い居酒屋は人の印象を曖昧にする。だからタイプの女性はお天道様の下でみたら見当違いだったなんてことにならないようにじっくり観察する。つまり私たちのような物知り顔でWANIMAを語るときも、じっくり観察したい。一般的に人がどう見ているのか、を語るときは「おとにっち」のような視点は重要だけれど、自分の口からWANIMAを語るときにこの辺のキーワードをなぞるだけは避けたい。分かったようでなにも分かっていない。分からせてくれない彼らの術中にハマっているようでなんとなくそわそわする笑
マツコみたいにあっさり放棄するか。それとも意中の女性のようにじっくり見るか。どちらにせよWANIMAは今日もカレーの前で笑っている。