名匠、グザヴィエドランの新作がようやく日本でも劇場公開された。タイトルは「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」

彼の撮る作品はすごくミクロな世界で、ドラマチックなのにちっとも簡単にわたしたちを喜ばせたりしない。すべてに含みを持たせ、ひとつひとつの言動や所作に意味があり多面的な捉え方ができることを教えられる。”映画を観る”とはこのことを指すのだ、と言われているかのような、そんな監督だ。
画期的な画角の使い方で話題になった「Mommy」(これはマイベストムービーである)、家族に秘密を打ち明けに実家に帰る男性を描いた「たかが世界の終わり」とはまた少し違った視点の、でも、とても彼らしい、彼ならではの視点と人生が反映されているような、そんな今作。

「Mommy マミー」「たかが世界の終わり」などで高い評価を得ているカナダ出身の若き俊英グザビエ・ドランが、初めて挑んだ英語作品。2006年、ニューヨーク。人気俳優のジョン・F・ドノヴァンが29歳の若さでこの世を去る。自殺か事故か、あるいは事件か、謎に包まれた死の真相について、鍵を握っていたのは11歳の少年ルパート・ターナーだった。10年後、新進俳優として注目される存在となっていたルパートは、ジョンと交わしていた100通以上の手紙を1冊の本として出版。さらには、著名なジャーナリストの取材を受けて、すべてを明らかにすると宣言するのだが……。物語は、ドランが幼いころ、憧れていたレオナルド・ディカプリオに手紙を送ったという自身の経験から着想を得た。出演は「ゲーム・オブ・スローンズ」のキット・ハリントン、「ルーム」のジェイコブ・トレンブレイをはじめ、ナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツら豪華実力派がそろった。

今までと違うのは、役者のそろい踏み感。豪華そのもので、アメリカでナンバーワンヒット級のビッグドラマ、「ゲームオブスローンズ」のキットハリントンを起用し、主人公の母親には言わずもがなの大女優、ナタリーポートマンを抜擢。さらに主人公の幼少期役には「ルーム」や「ワンダー 君は太陽」で名演を披露した次世代のキッズスター、ジェイコブ・トレンブレイ。決してネームばかりの大根役者ではなく、本気で選んだ、本気でクオリティを高められるガチガチの役者たち。それが今作では余すところなく実力を発揮している。

ドラン作品の多くに通ずるのは、家族の絆である。もちろんその絆は日本の映画で簡単に擦られるようなヤワな、美しいばかりの絆ではない。ネガティヴな意味合いでも用いられる。切り離したいのに切り離せない。愛しているのに誤解される、あるいは伝わらない。思わず声を張り上げてしまったり、手を出してしまったり。所詮は他人、という事実をとことん突き詰めてくるのは今作でも同じだ。文通で通じる大スターと一人の少年。二人は対照的な人生と顛末を辿るのだが、二人には通じ合う共通点があった。家族、コミュニティ、セクシュアリティ。ドラン作品には必ずと言ってもいいほどセクシュアリティに関する言及がある。時にそれは彼を妙なカテゴライズでくくってしまい苦言を呈されるのだが。(グザヴィエ・ドラン「母親&ゲイ」がテーマと言われることに違和感)

もう一つの特徴は、多くの音楽をシーンに合わせて流すことだ。そのマッチングの見事さに音楽ファンなら必ず納得してれるだろう。もはやこれはひとつのプレイリストだ、と言っても良いくらいに、カジュアルかつミーニングフルなセレクトで客により主人公たちの心情理解を深めさせる。

今作もAdeleの「Rolling in the Deep」から始まり、Green Day「Jesus of Suburbia」、Sum 41の「Pieces」、重要で涙が思わずこぼれてしまったTR/STの「Sulk」など、200年代後半の舞台設定ならではの、グッとくるセレクション。エンディングはThe Verveの「Bitter Sweet Symphony」と、とにかく見事。映像美と音楽美。この二つだけでも十分お釣りの来る作品である。

ぜひ劇場で観ておきたい。これが映画だ、ただのドラマの120分拡大版とはわけが違う。その必然性を感じてほしい。

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