「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」の製作スタジオ「GDH559」と主演女優チュティモン・ジョンジャルーンスックジンが再タッグを組んだタイ映画。デザイナーのジーンはスウェーデンに留学し、ミニマルなライフスタイルを学んで帰国する。かつて父が営んでいた音楽教室兼自宅の小さなビルで、出ていった父を忘れられない母や自作の服をネット販売する兄と暮らす彼女は、ビルを改装してデザイン事務所にしようと思いつき、モノに溢れた家の断捨離を開始。洋服、レコード、楽器、写真など友達から借りたままだったモノを返してまわる中で、元恋人から借りたカメラも小包にして送るが、受取拒否され返ってきてしまう。整理されていく部屋に反比例して様々な思い出が溢れ出し、ジーンの心は乱れていき……。監督は「マリー・イズ・ハッピー」などで国際的に注目を集める新鋭ナワポン・タムロンラタナリット。

映画.comより

まずは掛け値なしに個人的大名作だったと宣言する。久々に嗚咽しながらブワッと泣いてしまった。

コンマリに影響を受けた主人公ジーンは自宅をミニマリズムに改装して自分のオフィスを構えようとする。どんどんものを捨てていくジーンは、振り返らない、非情になることを心がける。そのなかで親友からもらったCDを捨てて傷つけてしまったことから、思いやりを持てというアドバイスから、持っていた借り物(貰い物)を当人に返していく。

「ゴミ袋はブラックホール。捨てたものを思い出すことはない。存在も記憶もなくなっていく」みたいなことを言っていたのだが、それはこの映画のテーマでもあり裏返しのテーマでもある。ジーンは人のものもどんどん捨てようとするが、それは他の人にとっては大切なものであったり、簡単に忘れられるようなものでなかったり。またその行為は人にもあてはまっていて、人を簡単に捨てても捨てられた方は忘れたり水に流せたりはできなくて。。ブラックホールへとつながっていると思っているのは捨てる側の原理で、捨てられる側はブラックホールに吸い込まれるのでもなんでもなくて彼らの日常が続いていく。そこにスポットを当てて人間模様を描く。母親との確執。その象徴となるピアノ。カメラと写真は忘れようとしたもの、捨てようとしたものを引き留める作用がある。捨てなかったから感謝され、涙を流し喜ばれる。でもこの映画は「じゃあ物を大切にしようね」っていうオチにもっていくわけでもなくて、やっぱり感傷に浸りすぎては前に進めないという決意がある。ピアノも、人も、アイスクリームのTシャツも。

そもそも彼女がここまで思いつめるまでは彼女の家はものにあふれ、彼女自身も写真のデータを大量に保管したりレコードを所有していたり人から借りたものがわんさかあって、「自分でもこんなにもらいものなどで家があふれていないぞ。。」と思うくらいに物持ちもよい。あんなでかいぬいぐるみをくれる友人がいるって幸せじゃないか。

映像、美術、衣装、カメラワークが非常に繊細で、どこか日本映画的な雰囲気も感じられる。登場人物全員キャラが素敵でメイクも髪型も素敵だ。なによりジーンの携帯の着信音。めちゃくちゃいい。あれにしたい。もしご存じの方がいれば教えてください。

主題歌はSinglarというタイのバンド。wikipediaによると2010年ごろにデビューし、DEPAPEPEともコラボの経験があるという、国内で人気のデュオ。

Singular – กลับไปที่เก่า